『秘密の料理』

 閑静な住宅街の中に一件のレストランがあった。
 駅前という売り上げの場から距離を置いている、そのレストランにはルールがあった。
 完全予約制であり、受け入れる客は親子と限定。そしてリピーターの入店は拒否。その代わり、食事をした客にはレシピを提供するというものであった。
 このような集客を無視したサービス形態だと、徐々に客足が減るのが普通だろう。
 しかし、このレストランには親子を惹きつける魅力があり、前項には書いていない公言未許可のルールが、更に人気を集める理由となっていた。
 今日もそのレストランに予約した親子が入店する。レストランが一日に受け入れる客は三組で、決まった時間に入れ替わるかたちだ。それなので、入店した時には貸し切り状態で他の客はいない。
 入れ替わり時に、偶然すれ違った子供が「信じられないくらい美味しかった」と言いながら出ていくのを見て、店にきた親子の期待は更に膨らんだ。
「信じられないくらい美味しいって、このお店では何が食べられるの?」
 目を輝かせて言う我が子を見て、母親は父親に視線を送る。そして我が子に微笑んだ。
「お料理が出てくるまでは秘密のお店なのよ」
 入店した親子が席に着くと、まずは飲み物と前菜が出された。
 このレストランは客がメニューを選ぶのではなく、予約の時に客の好みを訊いて料理を提供するかたちをとっているのだ。そのため、メニュー表は一切なかった。
「お飲み物は草原の滴。そしてオードブルは緑のカナッペとなります」
 置かれたのは名前の通り、緑色の飲み物とクラッカーに緑のクリームがのったものだった。
 そして、ここではメニューの素材は明らかにされない。食べるまでは何を口に入れたのか、わからないのだ。それでも子供は、じっくりと料理を観察すると口に運ぶ。しっかりと咀嚼して味わうと、満面の笑みを浮かべながら言った。
「美味しいよ。お父さんもお母さんも食べてみて。これ、何なのかな」
 父親と母親も料理を口にして驚いた。
「本当に美味しい。これがあれなんて信じられない」
「あれって?」
 言った母親が子供に問われて、慌てて口を押さえる。父親も場が悪そうに居住まいを正して咳をした。
 すると、店員がすぐに次の料理を持ってきてテーブルに置く。
「カナッペはフランス語なのですが、意味はなんだと思いますか?」
 店員のこの質問に子供は首を傾げて考えるのに夢中になった。
「難しい。わかんないよ」
「よく見てください。なにかに見えませんか? 答えは食事後にしましょう」
 子供が考えているのを見て、両親は安堵の溜め息を吐く。そのまま何事もなく、出された食事を全て奇麗に食べて、食事は終わっていた。
 会計時に子供が目を輝かせながら店員に訊く。
「カナッペの意味って何? それと料理って何だったの?」
 料理が何だったのか。質問の後者に出たことから、子供の興味はカナッペの意味に向いていたというのが明白だった。
「カナッペとは、背もたれのあるイスやソファーという意味です。のっている素材が、まるで座っている人に見えなくもないですね。素材は、お父さまやお母さまにお聞きください。こちらがレシピになります。本日はありがとうございました」
 渡されたレシピを、母親の隙をついて取った子供が確認して目を丸くする。そして、その場で叫んだ。
「えっ、これって本当? 信じられないくらい美味しかったよ」
「それは良かった。では、次は大丈夫ですね。お母さまの、ご健闘もお祈りいたします」
 笑顔とともに店を出る家族を見て店員は微笑む。ここにリピーターは必要ない。食事を楽しんだ客が更に客を呼んでくれるのだ。そして、リピーターを望んでもいない。そんな不思議な店なのである。
「飽食主義という我が国で子供の好き嫌いをなくすということは、両親や私たち食に携わる者の永遠の挑戦なのだろうな。あの子供、ピーマンとほうれん草を好きになってくれると良いな」
 店員の手で店は閉じられ、そして明日の客のレシピを考える。
 ここはリピーターを望まないレストラン。子供が嫌いな食べ物を好きにする場所。
 家族の笑顔と素材への感謝のために、明日も新規の客を待っているのだ。