『伝承と掟』

 ある村で深刻な事態が発生していた。
 突然、働き盛りの男が姿を消したのだ。置いていかれた女たちや子供たちは泣いて過ごすしかない。
 しかし、騒動から一週間が経った頃、行方不明になっていた男がひとり、村に戻ってきた。村人全員が男の無事を喜び、彼にこの一週間に何があったのかを訊いた。
 男は仕事に出ていただけだと答え、野ウサギやキノコといった山の幸を村人たちに披露した。
 しかし、これに村人全員が首を傾げた。いつも取れない食材ばかりである。
 貴重な食材は山の奥に入らなければ、手に入れることはできない。絶対に山の奥に入るなという掟と伝承があったからだ。
 村の奥には人狼がいる。もし、見つかったら、たちまち咬み殺されてしまうであろう。
 皆が男は掟を破ったと確信した。しかし、騒動はそれでは終わらなかった。
 二人目三人目と姿を消していた男たちが村に戻ってきた。皆が彼らにも理由を問う。戻ってきた男たちは首を振って、出掛けていたとだけ答えた。
 彼らに村人たちが不信感を抱く。人狼の邪悪な魂に犯されてしまったのかもしれない。
 村の男たち全員が農具を手に山の奥に入った。女たちは安全のために村に残り、男たちの帰りを待った。
 奥に進むにつれて道は険しくなり、鬱蒼と生い茂った木々が行く手を阻む。
 村を離れてから約三時間後、森を抜けると、そこは別世界だった。
 彼らの目に美しい田園風景と養鶏場、湯気がのぼる温泉が飛びこんできたのだ。
「これは一体どういうことだ……我々よりも遙かにいい暮らしぶりじゃないか」
 すると、奥にある小屋の扉が開く。全員が身構えると女性が姿を現した。
 尻にあるのは獣の尾。頭にあるのは獣の耳だ。村の男全員が、その姿に目を奪われる。
 ぴょこんと耳を立てた女狼(じょろう)が、男たちを見て尾を振った。
「あっ! おじさんたち、またきてくれたんだぁ。今度はなにを教えてくれるの?」
 女狼の色香のストライクを受けた、男たちの農具が次々と落ちる。更にもう一匹、二匹と、女郎の登場が続く。
「どこかの国では菜食健美って言うんだって。私もそれを目指すつもり。うーん……クワ重たいなあ」
 今更、彼女たちにそれは才色兼備だとは言い返さないほうがいいだろう。人を咬み殺す人狼が、それで草食系女子になってくれたら言うことなしだ。
 同時に男たちは駆け寄ると、クワを持って「僕が手伝います」と叫んだ。
 かくして、村の伝承は守られた。
『村の奥には人狼がいる。もし、見つかったら、たちまち咬み殺されてしまうであろう』
 それが女狼(じょろう)ならぬ、女郎(じょろう)だとは、口が裂けても村の女たちには言ってはならないと――。