研修は日本での研修よりも、もっと医療に近づくことができる。
看護師さんのように、先生のそばで助手をする。
直接、患者さんへの医療行為や投薬などがなければ私たちは参加できる。
朝の回診での手当の助手や、赤ちゃんのおむつを変えたり、食事の介助をしたり。
もちろん、医師でないのに学会での発表会や、カンファレンスにも見学できる。
日本より多くのことができた。
それはとても責任が重く、緊張の毎日となった。
ただ私には、子供と話したり触れ合ったりすることが、何よりも楽しかった。
基本的に研修生は医局にいて休憩をしていた。
ニックもそうすることが多かった。
アメリカは日本より休憩時間が長いし多い。
私はそんなとき、小児科の子供たちの所へ行っては遊んでいた。
「かな先生、折り紙教えてー!」
「かな先生、日本の歌を教えて!」
まるで日本での研修のように、保育士だった。
けどその中で、まだ一週間も経ってないのに、あまり自分の病気について語らない子が、私に話してくれたりした。
私はそれが嬉しかった。
もっとも、その病気を治してあげれたらもっと嬉しいのに。
そんな毎日はとてもバタバタとして過ぎていった。
家に帰ると夜中近くになってしまう。
研修は早く終わるけど、子供たちが寝てから、私は医局でカルテを見たり、珍しい症例の論文を読んだりした。
子供たちとの会話で、英語は完璧にマスターできた。
しかし論文は難しく、読む度に辞書を何度も引いたので、時間がかかってしまった。
夜まで残っていると、必ず毎日、救急からの呼びだしがある。
私は当直の先生に声をかけられて、手伝いに行く。
そうするとまた、帰るのが遅くなった。
当直の先生といっても、幸治さんがあまり家に帰っていないように、ほとんどの先生が帰らず仕事している。
私は毎日遅くても帰っていた。
小児科には第一小児科と第二小児科がある。
第二小児科の方が重症患者が多い。幸治さんはその第二小児科にいるので、私が仕事で会うことはあまりなかった。
一度だけ見たことがあったけど、声をかける余裕もなかった。
金曜となり、翌日から休み。
翌日には、ニックとたけると出かけることになっていた。
しかし、帰り際にたけるが寮で外せない用事ができたということで、ニックと二人で出かけることになった。



