朔は,昨日
由宇が持って帰ってきた
「園だより」を見て,

おそらく…であるが
ずっと思い続けていた
…あの…「陽和」が
すぐそばにいることを
知った。


「さくちゃん,
 きょうはどうしたの?」

由宇に不思議そうに聞かれて
はじめて,
朔は自分がとても
ウキウキとした気分で
朝早く目覚めていたことに
気が付いた。

「あ…いや…
 別に…。」

由宇への返答に
困ってしまう朔…。

「へんなの…さくちゃん。」

 相変わらずわかりやすいんだな
 俺…。

保育園児の由宇に悟られて
しまうくらいわかりやすい
自分が…
さすがに嫌になった。


それでも,どこか
今日は気合が入っている。
いつもは鏡を
見るか見ないかで
家を出る朔が,
今日は,髪のセットに
時間を十分にかけた。

 今日…
 陽和に…会えるかもしれない。

そう思うだけで
足取りは軽やかになり
顔は…少し赤くなる。

 …やっぱり俺…
 …ずっと…陽和のことが
 好きだったのかな…。

朔は心の奥底で
冷凍させていた陽和への
思いが…
どんどん解けていることに
気が付いていた。


「よし,由宇。
 そろそろ行くぞ!」

「あ…うん。
 いつもより
 はやいきがするけど…。」

「いいのいいの。
 さ,出発!」

そういって由宇を
玄関へ誘い,
思い切りドアを開けた。

きっと…今日,
新しい扉が開くと信じて。




「おはようございます。」

1階で田丸のおばさんに
挨拶をする。

「あら,今日は早いじゃないの。」

「あ・・・はい。」

朔は少し照れつつも
元気よく答えた。

「なんか,朔ちゃん
 今日は感じが違うわね。」

「え?そうですか??」

「ええ,なんか
 いつもより元気で
 さわやかな気がするわ。
 何かいいことでもあった?」

「あ!え!?
 いや・・・別に。」

朔は,
 ああ…俺ってやっぱり
 めちゃめちゃわかりやすい
 のかなあ…。
と自己つっこみしていた。

でも…それでもいい。

 だって…本当に
 ここ10年で一番
 嬉しいかもしれない。

 陽和に…
 再会できるなんて…!







保育園に着き,
れんげ組の教室の前で,
古川先生と挨拶をする。

「今日もよろしくお願いします。」

「はい,お預かりします。」

いつものイケメンスマイル。

だけど…今日は,
朔の心の多くは,
すみれ組の教室の中へと
向かっていた。

 とりあえず…
 一目見てみたい。

 今の…
 大人になった陽和を…。



もしかしたら別人かもしれない
可能性もある。
そう思って朔は,
気が付かれないように
そっとすみれ組に
目をやった…。






その瞬間…





ドクン!








朔の心臓は大きな音を
立てた。









教室にいたのは,
小柄で髪の長い
…美しい女性。






でも…あの
吸い込まれるような
大きな瞳は…

あの頃と全く
変わっていない。







朔は…
自分の足が震えているのに
気が付いた。


「どうしたの?さくちゃん?」

まだ近くにいた
由宇が朔の服を引っ張る。


「あ・・・い・・や・・・。
 大丈夫・・・。」

心ここにあらずといった
面持ちの朔を由宇は少し
心配していた。

幸い陽和は
こちらを向いておらず
園児とにこやかに
話をしていた。



「あ・・
 じゃあ・・由宇。
 また夕方にな。」

「うん。
 いってらっしゃい。」

「ああ。」


朔は急ぎ足で
園の敷地を出た。










ドン!

「わ!すみません。」

登園してくる保護者に
思いっきりぶつかった。

背の高い朔は
できるだけ体をかがめて
小さくなって
そそくさと歩いていた。

陽和が園にいる可能性が
高いってわかっていたのに
それでも…
今の陽和の姿は
朔にとっては衝撃的だった。


 間違いなく…
 陽和だ。

 やばいな…
 めちゃめちゃ綺麗…
 だし…。

 でも…あの美しい瞳と
 可愛い笑顔は
 何一つ変わっていない。

 ああ・・・
 ど・・・どうしよう。


とても朝そのまま
声をかけるなんて
できなかった。

朔は自分の足の震え
頭の混乱を
押さえるだけで必死だった。



勤務校の敷地に
入ってからも
朔はそわそわと落ち着かなかった。


「おはよう,朔ちゃん。」

「あ,お・・・
 おは・・・ようございます。」

中村先生に玄関で出会い
あいさつを交わす。

「ん?どうしたの朔ちゃん?
 なんか,顔が赤い気がする。
 熱でもあるんじゃない?」

「え?いや,大丈夫。」

「でもなんか,ぼーっと
 してるし。
 体調悪いんじゃないの?」

「・・・あ・・いえ・・・
 だいじょうぶですから。」

ドン!

朔はそういった矢先に
目の前にあった柱に
思いっきりぶつかる。

「わ・・・。」

「やっぱり朔ちゃん
 おかしいわよ,
 
 1限空いてる?」

「いや・・・1限は。
 2限なら・・・。」

「じゃあ,2限に保健室ね。」

「あ・・・・はい。」


自分のわかりやすさが
原因なのか,
中村先生の強引さが
原因なのかわからないけれど
そのように決められてしまった。


 まあ…いい…。
 落ち着かないから
 …ちょうど…いいかも。


朔はそう思った。

そして,心を落ち着かせるには
中村先生と話すのが
一番だと思ったから…。






1限の授業を終え,
朔は保健室へ向かった。

「おはようございま~す。」

朔はけだるそうに保健室を
覗いた。

「あ,朔ちゃん。」

中村先生は朔の顔を見て,
コーヒーメーカーの
コーヒーをカップへ移す。

「相変わらず,
 いい匂いっすねえ・・。」

保健室はコーヒーの香りに
包まれていた。

朔は定位置の
一人掛けソファーに
そっと腰掛けた。

「あら,思ったより
 元気そうねえ。」

中村先生はいつもの
笑顔で朔に話しかけた。

さっとカップを朔に渡し
テーブルについた。

「でも…
 なんかあったわね,
 朔ちゃん?」


「え…いや,
 そういうわけでは
 ないんですけどね…。」

別に何かあったわけでは
ない…。まだ
何もない。

ただ…
陽和を…
大人になった…陽和を
見かけた…だけ。



コーヒーを味わっていると
陽和の顔がパッと
浮かんでくる。

これまでは小学生の
あのときの笑顔が
思い浮かんでいたけれど…

不思議なものだ。
さっきみた一瞬で
もう今は,朔の頭には
今の陽和の顔が浮かぶ。

無意識に朔は
ため息をついていた。

「まあ,どうしたのかしら
 ねえ・・・。 

 朔ちゃんらしくない。」

「え…?」

「ため息なんてついて…。」

「え…俺ため息
 ついてました?」

そういって,朔は
自分で自分が可笑しくなって
吹き出した。

「なんか…
 今日の朔ちゃんは
 絶対変よ。」

「…いや…。」

朔は落ち着きを取り戻そうと
コーヒーを一口飲んだ。


しばらく沈黙が続く。


「ねえ,そういや,
 新しい体育科メンツは
 どう?」

「あ・・・そうですねえ。
 まあ,福原君は
 前から知ってるから…

 物腰もやわらかいし,
 癒し系だから
 やりやすいっすよ。」

「倉田先生は?」

「あ・・・ああ・・
 まあ・・・
 まだよくわかんないですけど・・・

 ま,俺のことは
 完全に
 『かわいそうなシングルファザー』
 というキャラ設定を
 されてますから。」

「え?
 あはは,何それ。
 『かわいそうな』って。」

「いや,だって,
 なんか若干勘違い
 してて…
 でも,あとの二人が
 面白がって誤解を
 解かないから。」

「なるほど・・・
 まあそれも
 面白そうね。」

「ええ・・・。」


中村先生は笑いながら
コーヒーを飲んだ。

「じゃあ,恋愛って感じには
 なりそうにないかあ。」

「はあ?」

「いや,ちょうど
 年齢的にもいいかなって
 思ったんだけどお?」

「いや・・・・
 うーん・・・ないっす
 ・・・・ね。」

「そっかあ。」

中村先生は少し
残念そうな顔をして
そう言った。