「じゃあ,陽和さんは,
 教室に戻って
 荷物を持ってきてください。
 
 多分,高比良君たちが
 待ってくれてるので,
 夕方だし,みんなで
 帰ってくださいね。」

「あ・・・はい。
 ありがとうございました。」

曲を決めた陽和は,
楽譜をもって教室に戻る。

多分,美咲は
習い事にもう行って
いるだろうから,
きっと朔と公ちゃんが
待っていてくれる。

陽和はそう思いながら
階段を上がっていた。

陽和たちの教室は
3階にある。

陽和が2階から3階への
階段に差し掛かったころ,
教室から声が聞こえた。

もうすぐ5時。
他の学年や隣のクラスには
もう誰もいない。

電気が付いているのは
陽和たちの教室だけだ。


「よかった,
 朔ちゃんたち
 待っててくれたんだ。」

陽和は心細い気持ちで
階段を上ってきたから
少しだけホッとした気持ちで
小さい声でつぶやいた。

少しだけ足取りを軽くして
階段を上る陽和の足が
最後の段を上ったところで
ピタッと・・・止まった。

・・・遠くてはっきりと
聞き取れなかった言葉が・・・
聞き取れて・・・しまった
とき・・・から。


「だけどいいよな・・・
 朔ちゃんは?」

公ちゃんの声だ。

「え・・・?」

朔ちゃんの驚いたような
声が聞こえる。

「俺はさ,
 ひーちゃんのこと,
 好きになってから,
 ずっとひーちゃんの
 ことを見てきて,
 気が付いちゃったんだよね。」


え・・・!?
公ちゃん・・・が
私のことを好き・・・?

陽和は・・思いもよらぬ
公ちゃんの告白に驚いた。

 び・・びっくりした・・・。

だけど・・・陽和が
気になったのは,
残念ながら公ちゃんの
ことではなかった。

陽和の頭の中は
朔でいっぱいだった。

それを聞いて,朔は
どんな反応をするんだろうか。

朔は,公ちゃんから
告白を受けた直後に
「自分も陽和が好きだ」と
告白していたわけだけど・・・

陽和はそんなことは
知らない。

朔が・・・何も
反応してくれないように
誤解した陽和は・・・
心が大きく揺さぶられていた。

 ・・・それを聞いて
 朔ちゃんは・・・
 何も・・感じないんだ。

「・・・何を?」

朔の冷静な言葉は,
陽和の耳には
ひんやりと冷たく感じた。

 ・・・やっぱり朔ちゃん
 何も・・・感じないんだな・・・。


陽和の頭の中には,
金属音のような冷たい
音が鳴り響いた。

 そっか・・・
 そりゃ・・・
 そうだよね・・・

 朔ちゃんは・・・
 私のことなんて
 何とも思ってないよね。

納得しようとすれば
するほど・・・
体温が下がっていくような
気がした。

 このままふらっと
 倒れてしまうんじゃ
 無いかな・・・私。

陽和はそんな風に感じていた。

足がすくんで
動かすことができない。

こんな会話,
もう聞きたくないから
知らないふりをして
思いっきり目の前の
ドアを開ければ・・・

そうしたらこの二人の
会話は終わるのに。

だけど・・・
陽和の体は・・・
凍ったように動かなかった。

朔の声に
凍ってしまった・・・
みたいだった。


「俺・・・
 ひーちゃんのこと
 見てるからさ・・・

 ずっと見てるから・・・
 わかるんだよ。」

「え?」

陽和の気持ちも知らず
公ちゃんは続ける。

そして朔の返事は
聞けば聞くほど
陽和には冷たく聞こえた。

「ひーちゃんさ,
 朔ちゃんと話してる時,
 顔つきが全然違うんだよ。

 ホントに顔を真っ赤にして
 恥ずかしそうな,
 でも幸せそうな
 顔をしてる。」

 ・・・え・・?
 や・・・やめて!!
 公ちゃん・・・やめて!!

陽和は心の中で
叫んでいた。

 公ちゃんは・・・
 私の気持ちに気が付いている。

 私が朔ちゃんを
 好きなことを知ってる・・。

 そしてそれを・・
 朔ちゃんに伝えてしまう。

 嫌!!
 やめて!!
 朔ちゃんは私のことなんて
 好きじゃないのに!!

 やめて・・・お願い・・!

陽和の足はガタガタと
ふるえて・・
今にも崩れ落ちて
しまいそうだった。

「え・・・?」

「ひーちゃんはさ・・・
 朔ちゃんのことが
 好きなんだよ。」

 ・・・

陽和は時が止まるのを
感じた。

背中にはひんやりと
汗が流れた。

 どうして・・
 公ちゃんはそんなこと
 言ってしまうの?

 朔ちゃんと・・・
 もう・・・恥ずかしくて
 顔を合わせることが
 できないよ・・・

 私の気持ちが・・・
 朔ちゃんに・・・
 ・・・分かってしまった・・・。

気が付くと陽和の頬には
涙が流れていた。


もしこのとき,
朔が発した最初の言葉を
陽和が聞いていたなら・・・

きっと・・・
全く違う気持ちで
全く違う捉え方で
朔の声を聴いただろう。

だけど・・・

誤解している陽和には・・・

朔の声はどんどんと
冷たく響き渡る。

「は・・・・?」


・・・本当は違う。

朔は・・・ただただ
困惑していただけなのだ。

自分は陽和のことが好きで
好きでたまらないけれど
陽和が自分を・・・なんて
思いもよらなかった
だけなのだ。

その・・・困惑の色は
陽和には「拒否の色」に
見えた・・・。

「な・・・何言ってんだよ。
 公ちゃん。
 陽和は,どちらかと
 言えば,俺のことは
 苦手なんだって。

 だから・・
 あんなふうに・・・。」

 朔ちゃん・・・それは
 誤解・・・だよ・・・。

陽和は心の中で叫んだ。

 だけど,それを伝えた
 ところでどうなるだろう。

 どうせ・・・自分のことなんて
 朔は何とも思っていないのだ。

 それなら・・・いっそ・・・
 陽和の気持ちを
 否定してくれた方が・・
 助かる・・・。

「朔ちゃんは
 乙女心が全く
 わからないんだなあ・・

 ひーちゃんが,
 顔を真っ赤にして
 言葉に詰まるのなんて
 朔ちゃんのことが
 好きすぎて
 意識しすぎてるからに
 決まってんじゃん。」

 ・・・公ちゃん。

陽和は,公ちゃんの思いの
強さに・・・少しだけ
感動していた。

でも・・・どうして
朔ちゃんじゃないんだろうと
思う気持ちの方が
強かった。

 朔ちゃんがこのくらい
 自分の気持ちを理解して
 くれたなら・・・

 私はどれだけ
 幸せだろう・・か。

しばらく会話が途絶えた。

この時朔は,
巡り巡る気持ちに
どうしていいのか混乱して
頭の中を何とか整理しようと
していた。

だけど陽和には,
この沈黙は・・・
気持ちをどんどんと
深い沼に沈めていくように
感じた。

前にも後ろにも進めない・・
八方塞がりだ・・・。

荷物を取りに教室に
入らないといけないけれど・・・
こんな顔ではとても
朔ちゃんの前に現れることは
できない。

 私・・・どうしたら・・?

そう思っていると・・・

陽和にとっては
「とどめ」とも思われる
言葉が・・・
朔から発せられた。

本当は・・・誤解なのだが・・・。

「そ・・・
 そんなわけないだろ!」




強い語気の朔の言葉は
冷静に考えれば
「照れ」から出た強さ。

だけど・・・その時の
マイナス思考99%の
陽和の耳には・・・

それは・・
「全否定」の言葉に
聞こえた。




あれだけ竦んでいた
陽和の足は
教室とは反対方向へ
走り出していた。


『ソンナワケナイダロ』

 ・・・いったい・・・
 どういう意味・・なの?

はっきりとした
意味は分からなかったけど,
陽和には「否定」の言葉に
聞こえた。


 朔ちゃんが私のことなんか
 好きなわけないだろ
 という意味なの?

 それとも,
 私が朔ちゃん・・を・・?

 わからない。
 真意がわからない。

なのに・・・どうしてだろう,
陽和は,
朔に拒絶されたように
感じていた。



廊下の突きあたりの
階段を駆け上がった。

4階は小さな倉庫。
カギは閉まっている。

段ボールや
カラーコーンの横に
そっと腰かけて
陽和は・・・
泣きじゃくった。

 分かってた・・・
 朔ちゃんが私のことなんて
 好きじゃないのなんて。

 なのに・・・
 淋しくて悲しくて・・・

 好きじゃないなら
 せめて,すごく嫌いでも
 よかった・・・。

 なんか・・・
 「何とも思ってない。」
 って言われたような
 気がして・・・

 陽和のことなんて
 気にも留めていないって
 言われたみたいで・・・

 すごくすごく
 悲しかった・・・。

 

 それでも・・・
 あんなに優しくて
 私のことをすごく
 よく見てくれていて
 わかってくれている
 公ちゃんのことを
 気に留める余裕もなかった。

それくらい陽和の頭の中は
朔でいっぱいだった。

なのに・・・。



陽和は一度意を決して
教室に近づいたけれど
やっぱり入ることは
できなかった。

一階に降りて,
公ちゃんの靴箱に
メモを置いた。

 『先に帰ります
  ごめんなさい
         陽和』

落ち着いて考えたら
おかしなことだ。
カバンを置いて
帰るなんて。

だけど,帰ってこない
陽和を探しに
1階に降りた二人は
なぜか納得して,
そのまま帰ってしまった。

陽和は再び
4階に戻って少し泣いた後,
教室の電気が消えているのを
確認して,中へ入った。

ついさっきまで
朔が座っていた椅子に
腰掛けた。

 まだ・・・温かい。

だけどこの温もりすら
陽和には冷たく感じた。


 朔・・・ちゃん。


やっぱり涙が流れて
止まらなかった。

陽和は・・・
涙を止めることが
できぬまま・・・
学校を出た。