朝。
いつものソファの上で、いつものように新聞を読む颯太の後頭部を凝視する。冷房の風に揺れる漆黒の髪。後ろからでもちらりと見える、長い睫毛。

翠はキッチンで腕を組んだ。後ろではフライパンがジリジリとウィンナーを焼いている音がする。

なんだろう、この胸の奥のうずくような感じ。

颯太の姿を見て、イライラするのはいつものことだけれど、それだけじゃなくて、懐かしいような、寂しいような。

翠は首をかしげる。

頭の中の空白時間。翠はいつも、わざとその部分を考えないようにしている。病院のベッドで、必死になって思い出そうとしても、焦点が合わないもどかしさで泣きたくなった。記憶の中に取っ掛かりがあるわけじゃない。真っ白な時間に意識を向けても、色づくわけじゃなかった。

でも今。この感覚は大切にしたほうがいい。初めて、空白時間のごくごく小さな一部分が、胸に蘇っているのかもしれないんだから。

「こげてる」
颯太の後頭部が言った。

「ん?」
翠が慌てて振り向くと、フライパンから白い煙があがってる。

「あっ、まずっ」
翠は慌ててガスの火を消した。

フライパンの中に、無残な姿のウィンナー。

「……焼き直し?」
翠はしょぼんと肩を落とした。昔から、何かに夢中になると、他が疎かになる。料理は一通りできるが、興味はほぼゼロ。今の自分を見ると、失われた時間に料理を頑張ったなんてことは、なかったらしい。

「もったいないことするな。食べる」
颯太はポンと新聞をテーブルに投げると、ソファーから気だるそうに立ち上がった。