伊助(いすけ)は何度も後ろを振り返り、追っ手の姿がないことを確認しながら進んでいた。

 だが、それは走るという行為にはほど遠い。

 なにせ、進めば進むごとに膝は笑い、全身から力が抜け落ちていく。

 地面を這い、歩くような足取りだった。

 後ろを振り向けば、今はまだ何も見えない。

 ほっとひと安心すると、ふたたび足を引きずり、夜道を進む。

 周囲には静寂が広がっている。

 ひぃひぃと上がる息でさえも、おぞましく感じる。

 ここで足を止めたい。

 しかし、ひとたび立ち止まってしまえば、自分の命は『あれ』に喰われてしまう。

 伊助は震える身体に鞭を打ち、ただひたすらに身体を引きずり、進んでいた。


 どのくらい進んだ頃だろうか。

 牛車が見えた。

 それは夜道なのに薄ぼんやりと輝いているようにも見える。

 今の刻限は丑三つ。普通なら、恐怖を覚えるこの光景でも、今は追ってくる『あれ』の存在以上に怖いものはなかった。