すると、どうだろう。
あれだけ朝に弱かった私が「早起きも良いかもしれない!」と心から思えるほど、車内が空いていた。
たった十分の違いがこんなに大きな差を生むなんて。

それと同時に、始業前の効率の素晴らしさも身を持って実感したのだった。
とんでもない集中力を発揮し、いつになく仕事がはかどる。
これは活かさなきゃもったいない。

今まで損していたと気づいた私はさらに早く起きるようになり、いつの間にか午前七時にはオフィスに着くという生活が身に付いていた。


だから、そろそろ引っ越してもいいかもしれない。
築浅のデザイナーズマンションにも憧れるし、この三年間、切り詰めていたおかげで少しは貯金もある。

これは引っ越し時かな?
六月中旬、梅雨空が鬱陶しいその日の朝も、そんなことを思いながらドアの窓から『ラヴィアンローズ』を眺めていた。

そんな時だった、思いがけず目が合った。

「えっ」

思わず、声に出してつぶやいてしまう。
『ラヴィアンローズ』二階のとある一室のベランダで、柵に腕をもたれかけさせていた男性と。

こちらをじっと見つめる大きな瞳は印象的で、色素の薄い髪はわずかに風になびいている。
黒色のTシャツから覗く鎖骨は男性にしては華奢で、細身な容姿を思わせた。

じきに電車は速度を増して、『ラヴィアンローズ』の前を通り過ぎて行く。
その男性はすぐに見えなくなった。

でも、確かに目が合った。
こんなことは初めてで、同じマンションの住人だろうけど、さっきの男性も初めて見かけた。

そういえば、お隣さんでさえどんな人が住んでいるのかあまりよく知らない。
住人同士、顔を合わせることなんてほとんどないから。