「ああ……」
 工藤が声を震わせながら腰を抜かした。それでも、その場にいるのは嫌なのか、這って僕たちのほうに戻ってくる。
 先程と同じように秀喜の手をつかんだ工藤は、
「あれって何なんだよ!」
 機内中に響き渡る叫び声をあげた。
「見ただろ今! あいつが、僕をすり抜けたんだ! まるで幽霊みたいに!」
 そう、僕たちは見てしまったのだ。倒れこんだ人が工藤にぶつかることなく、すり抜けた瞬間を――
 あれは幻などではない。四人が見た百パーセント確実な現実――
 それに、周りを見ると様子がおかしい。工藤があれほど大きな声を上げたのに、こちらを誰も見ていないのだ。
 そういえば、ここに入った途端、胸が押しつけられるような感覚と異様な寒さがあった。
 一階に行った時も同じだった。吹くはずのない風と、あの大きな影――
 思い出して肩を震わせてしまう。
「機長に! スチュワーデスに言わないと!」
 いつもは沈着冷静の工藤のろれつが回っていない。
 が、彼の判断は間違っていない。僕達は手を繋いだまま運転席のほうに行く。
 すると、後ろにいた笹田が急に立ちどまり、僕はつんのめってしまった。
 振り返ると、目を見開いた笹田が一点を食い入るように見つめている。
 気になって彼女の見ている方ほうに視線をやると、信じ難いものがあった。
「何だよ……これ」
 乗客たちの姿が透けていく。しかも一人だけではない。一人、二人とその現象は機内全体に広がっていく。笹田の親友、山口も例外ではない。鮮明だった体は、既に見るのも困難なくらい透けている。
 それを見て笹田が、僕から手を離して山口のほうに駆け出した。
「山口さん!」
 笹田が声を上げても山口は振り返らない。笹田が山口に手を伸ばすが、触れる直前に霧のように消え去ってしまっていた。ショックでか、笹田はその場に座りこんでしまう。
「おい……」
 一部始終を見ていた秀喜が僕と工藤の手を引く。はじめ、秀喜は消えた山口を見て、僕たちの判断を得ようと言ったのだと思った。しかし、秀喜の目は機内全体を見ている。
「あ――」
 秀喜の視線を辿った僕は――いや、工藤や笹田も気の抜けたような声を出した。
 機内客全員の姿が消えてしまっていた。
 おそらく一階で僕たちが見られなかった現象がこれだったのだろう。一階の乗客と同様、二階の乗客も姿を消してしまったのだ。
「おい! 俺の体は透けてないよな!」
 混乱して秀喜が妙な質問をしてくる。今はそれどころではない。何せ、乗客全員が僕たちの目の前で消え去ってしまったのだ。
「化け物のせいでもないし、ハイジャックのせいでもない。まるでメアリー・セレスト号事件の再現みたいだ……」
 工藤が他人事のように言う。しかし、声は震えている。彼なりに恐怖を抑えているのだ。乗客もスチュワーデスも消えた。だとすれば、僕達が頼れる人物は限られている。コックピットにいる機長と副機長だ。
 まず僕は秀喜と手を繋ぎながら進むと、座りこんで動かない笹田の手を取った。
 上げた笹田の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。無理もない。親友が消える瞬間を目の当たりにしたのだから――
 誰も何も言わず、コックピットに向かって前進した。あと十歩、五歩、三歩と近づくにつれ、歩を進めるスピードが速く、間隔が広くなっていく。
 そして、先頭にいる僕が腕を伸ばすと、コックピットの扉にとどく距離まできた。
 扉を叩くよ――と秀喜達に目で合図する。秀喜たちは頷く。
 僕は扉を叩いた。
 しかし、手ごたえがない。扉に重さが感じられないのだ。妙だと思っていると、コックピットの扉が開いた。工藤が驚いた顔をする。
「コックピットの扉が開いているなんておかしいぞ。普通は運航の邪魔をされないように、鍵をかけているんだ。たとえハイジャック犯が、開けなければ乗客全員を殺すと騒いでも、機長はコックピットに犯人を入れない。機長の使命は一つの命を守るのではなく、多くの命を乗せた機を無事に着陸させることだから……」
 では、なぜ開いたというのか? わずかに開いた隙間からコックピットの中を見る。
「どうだ?」
 聞いてきた秀喜に、僕は何も答えられなかった。
「俺にも見せろよ」
 僕に続いて秀喜も覗きこむ。笹田と工藤はそんな僕たちの反応を見ているだけだ。
 しばらく見ていた秀喜だったが、
「うわああああ!」
 悲鳴を上げると尻餅をついた。その拍子で扉が完全に開く。
 コックピットを見て、工藤も笹田も金縛りにあったように動かなくなった。
 運転席に機長と副機長の姿はなかった。但し、操縦桿は動いていて、機体も水平状態のまま安定した飛行をしている。無線だろうか、問いかける音声がどこからか聞こえてくる。