航空路

「もしも、ハイジャックにあったなら――」
 ぼそりと呟いたのは工藤だった。疑問に答えるような、その言葉に僕はハッとなる。
 工藤も僕と同じことを考えはじめたらしい。
 元気だった人間が、何の前触れもなしに姿を消す。神隠し現象の謎に迫ったのだ。
「どこかに監禁されたと考えるのが、妥当じゃないかな」
「でも、誰にも気づかれないように、ひとりひとり監禁するなんて効率悪くない? いっぺんに脅して、一カ所に集めた方が監視も楽だと思うけど……だって銃を向けられれば、誰も反撃しようなんて思わないでしょ?」
 恐ろしいことを笹田がさらりと言う。しかし、彼女の言い分は尤もだ。
 ハイジャック犯の目的は、大抵、人質を引き換えにした取引だから、気づかれないより騒ぎになってくれたほうがいいはずなのだ。
「じゃあ、笹田はどう思うわけ?」
 秀喜の問いに、笹田は唸り声を出すと、思いついたように口を開いた。
「メアリー・セレスト号事件みたいなのは?」
 笹田の言葉に僕たち、男性陣は顔を見合わせる。聞いたことのない事件というのが理由だ。
「知らない? 怪奇事件って結構、有名な話なんだよ。ある帆船が、ビスケー湾に差しかかったところで、漂流している大型帆船を発見するの。けど、無線で呼んでも応答がない。回りこんだ船尾には船名があって『メアリー・セレスト』ってある。仕方なく、発見した船員たちで様子を見るために乗船するんだけど、船内には誰の姿もなくて、船長室には食べかけの朝ご飯が、船室の前には干したばかりの洗濯物が残されていたの。逃げた形跡もなければ、事件に巻きこまれた感じもない……平穏を感じさせる船内から失踪した船員たち。だから、怪奇事件と同時に海洋史上最高の神隠し事件とされているのよ」
「それって、実話?」
 ごくりと生唾を飲んだ秀喜が、恐る恐る笹田に訊く。自分たちもそれに近い状況にいるという恐怖がこみあげてきたのだろう。
「正真正銘の実話よ。他にはバミューダ現象っていうのがあって――」
「いいよもう! 実話ってのは、十分理解したからさ」
 秀喜は、熱を上げはじめた笹田の言葉を遮って叫ぶと、背中を震わせた。
「ありえないよ。そんなこと……何もいるわけないじゃないか……」
 普段、強気の秀喜が、怪奇現象とか心霊現象が物凄く苦手というのを僕は知っている。
 肝試し大会参加とかお化け屋敷に入るのを、一即答で確実に断るのが彼なのだ。
「取り敢えず、下に行こう。鈴木も後からくるかもしれないし、宮本もいるだろうからさ」
 僕が言うと、みんな了解して首を縦に振った。
 今度は秀喜に代わって、僕が先頭で進んでいく。
 後ろの誰かがいなくなるのではと不安だったが、秀喜は僕の服の裾をつかんでいる。姿は見えなくても、人の感触があるなら安心だ。
 階段をおり切ると、一階の様子がはっきりと確認できた。
 冷房がきいているのだろうか。妙に肌寒く感じる。上着を羽織ってくれば良かったかなと少し後悔した。
 皆がついてきているか不安になって後ろを見る。今度は欠員もなかった。秀喜と笹田、工藤が確認した僕を見つめて複雑な表情をしている。
 勝手に消さないでくれ。ちゃんとついて来てるからさ――そんな声が聞こえてきそうだ。
「じゃあ、捜そうか。僕と秀喜は右側の席、笹田さんと工藤は左側を見てよ。空席にいる可能性が高いから、背格好の似ている人には注意して」
 ――班長なのだからしっかりしなくては。そんな意識のせいか、いつの間にか僕は先頭で指揮をとっていた。
 乗客の顔を見ながら少しずつ進んでいく。地味な作業だが乗客の数が多いので一苦労だ。
 しかも、機内が薄暗いので遠くの人は見にくい。思わず目を細くしてしまう。
 窓に顔を向けながら寝ている人もいて、宮本や田淵ではないと確認するのに数分要した。
 奥に進んでトイレやドリンクバーも覗きこんだが、担任も二人の姿もなかった。
「いないな……どこに消えちゃったんだろう……」
 何の手がかりもなくなった僕たちは、トイレの前で考えこんでしまう。
 その時だ。
「!」
 カシャンという音とともに鍵の音が響いた。僕の後ろにはトイレがある。鍵の色は赤表示。つまり、誰かが入ったということだ。
 しかし、秀喜と笹田、工藤の三人は鍵の色を見たまま、全身を硬直させている。彼等が動けなくなった理由を、僕はすぐに知ることとなった。