三人の男たちが、閑静な住宅地に停車した車の中で息を潜め、ある一点を睨み続けていた。
 視線の先にあるのは、何の変哲もない一軒の薬局である。
 黒の乗用車、黒の背広の男たちの容姿は、住民に限らず、全ての人が不審者と捉えるであろう。
 しかし、男たちの素性は、逆に町の沈静を保つ職業であった。
 男たちは税務署に勤務する署員。そして、ある調査のために訪れていたのである。
 確定申告の時期になると、自営業者等の店舗所得者は収入金額を提示しなければならない。
 国民全員が所得に比例した金額を、税金として納める義務があるからだ。
 ところが所得を低く偽り、家賃を偽装したり、従業員数を多く設定して税金逃れをしようとする経営者は跡を絶たない。
 法律上犯罪なのだから、調べて税金を正しく納めさせる必要がある。悪質であるなら勧告だけでなく、法的処置も辞さない。
 男たちが睨みつけているこの薬局にも、所得を偽っている疑いがあった。
 閑静な住宅街にあるこの薬局は、総合病院の処方箋も取り扱っている。
 所得金額を調べた結果、そこに問題はなかった。
 店舗は借家であり、家賃の提示も問題ない。
 ただ一つ、問題が見つかったのが従業員数であった。
 処方箋を取り扱っているのだから、何人かの薬剤師が勤務しているのは確かだ。
 会計もしなければいけないから、レジ打ち担当者もいる。
 税務署員の男は何度か薬局に足を運び、勤務者の人数を確かめた。
 責任者の一人と、薬剤師三人――
 薬剤師が交代で週に一度休みをとり、レジ打ちも交代制でしているのは、既に調査で確認していた。
 そこからが問題だったのだ。
 この薬局は本来勤務者が四人のところを、七人と偽っていたのである。
 三人従業員が多いということは、給料を三人分多く支払っていると提示していることになる。
 つまり、所得金額から多い三人分の給料が引かれ計算しているので、薬局は税務署に本来得ている金額より収入が少ないと申告しているのだ。
 これは、明らかな所得隠し――税金逃れであった。
「さて……じゃあ行くか」
 代表者の言葉を合図に、三人の男たちは車を降りた。
 停車している車内で薬局を、しばらく睨みつけていたのは、勤務している従業員数を確認するためである。
 数週間前の調査と変わらず、今いる人数も責任者と薬剤師の合計四人の姿しか見えない。
 完全な証拠をつかみ、更に責任者を問いつめる構えに税務署員たちは入った。
 手動の押し戸を開けて薬局に入ると、男たち三人は周囲を見回した。
 些細な情報からでも怪しい部分を発見し、一円の所得隠しも見逃さないという思いだったからだ。
「税務署の者ですが、従業員数の確認をしにきました。こちらの従業員の人数は七人で間違いないですよね。今日は姿が見えないようですが、お休みですか?」
 男の質問に困惑した表情を見せた雇われの薬剤師三人は、責任者がいる部屋の扉に視線を向けた。
 責任者が騒ぎを聞いて出てきたのを見て、何やら薬剤師たちは話をしてクスクスと笑う。
 明らかに、税務署員の彼等を馬鹿にした行為だ。
 そんな反応を見て、さすがの税務署員たちも腹を立てはじめていた。
 そんな彼等の心の内を知ってか知らずか、
「休みではないのですが……見えないですか? いるはずなんだけどな」
 出てきた責任者も悪びれる様子もなく、頭を掻きながら、意味不明な答えかたをした。
「ふざけるな! 誰がどう見たって、四人しかいないじゃないか!」
 怒気を荒げる仲間を、税務署員の代表者は押さえた。
 正義感が強いのは構わないが、暴力に発展してしまえば、どちらが善かわからない。
 それに代表者である彼は、長年仕事を続けてきた中で知っていた。
 奇想天外な言い訳をして、罪を逃れようとする輩もいるということを。
 この責任者も、とぼけて罪を逃れるつもりなのだろうと予想したのだ。
 ガシャアアン
 と、その時突然、何の前触れもなしに税務署員達の後ろの棚から、瓶が落下した。
 瓶は割れて破片を周囲に飛び散らせると、中身の大量の薬液が床を濡らす。
「おい、気をつけてくれよ。それは発注に時間がかかるんだから!」
 責任者が税務署員にむかって声を上げる。
 しかし、瓶は自然に落ちたのだ。税務署員に謝る理由などない。
「今のは、触っていないのに落ちたんだ!」
 税務署員の代表者が声をあげた途端、
「すみません! 僕の不注意でした。以後、気をつけます!」
 何処からともなく――というより思いのほか近くで男性の声が響いた。
 どうやら薬剤が落ちた原因は、税務署員ではなく、雇われた男性の不注意かららしい。
 気づかないうちに背後で、作業していた従業員がいたのだろうか。といっても、声はするのに姿が見えない。
 税務署員たちは狐につままれる感覚に陥ったような、妙な気分になった。
「あっ、今のが、うちのもう一人の勤務者です」
 責任者の男に言われて、税務署員は顔を顰めた。
 今のが――と言われても、姿を確認していないのだから当然である。
「ドジなんですが、意外と美形で気立てがいい。独身なのが勿体ない」
「残りの二人は?」
 責任者の話に付き合えば長くかかるかもしれないと踏んで、税務署員は単刀直入に質問していた。
「奥で薬剤の調合を……ほら、あそこの席に」
 質問された責任者が指差した先を見て、税務署員たちは目を丸くした。
 誰もいない作業用テーブルと、引かれた椅子だけがそこにある。
 しかし、薬剤だけが規則正しく席の上には並べられていた。
「いい加減に――」
 怒鳴ろうとした時、税務署員は何者かに背中を押されてたたらを踏んだ。
 誰かが叩いたのだろうと振り返るが、手の届く範囲には誰もいない。
「すみません。荷物を見ていたもので気づきませんでした」
 ただ、誰もいない空間から若い男性の声がした。
 得体の知れない状況に、一人の税務署員が恐怖で腰を抜かし、その場で座りこんでしまう。
 他の二人も顔面蒼白の状態で次の言葉が出てこない。
 震える税務署員たちの顔を覗きこむように、薬局の責任者は口を開けた。
「大丈夫ですか? ああ、今の彼がもう一人ですよ。大学時代にラグビーをやっていたとかで体格がいい。力仕事はほとんど彼に任せています」
 言った責任者が腰を抜かした税務署員に手を差し伸べると、今度は入口の手動ドアが誰もいないのに、ゆっくりと開いていた。
「どうもこんにちは!」
 開いた誰もいない入口に向かって、責任者が笑顔で挨拶をする。
 そこが税務署員たちの我慢の限界であった。
 倒れこむような姿勢で出口をくぐって逃げ出す。
「幽霊薬局店だー!」
 去り際の税務署員たちの叫びに責任者は頭を抱えた。
「やれやれ……変な噂がたって、客が減らないことを祈るよ」
 責任者は誰もいないはずの空間にむかって、溜め息混じりに言った。
「そんなこと言って、面倒な奴等がいなくなったと思っているんでしょう。この研究は内密なんですから」
「そうですよ、余計な人が介入すると需要が増えすぎて僕等が困ります。まだ試してみたいことが、たくさんあるのですから……」
 空間から響く見えない人間の声を相手に、責任者は席に座ると呟いた。
「しかし、医療に協力してほしいと透明人間になる薬を開発したが、幽霊だとは心外だな。もっと高貴な発明なのに。これでは一般に理解されるのも遠い未来の話のようだ……」