久保が命を落とした現場が嫌でも思い起こされる。部屋の見取り図と、自室の位置があまりにも似ていた。後ろからついてきている裕貴も同じ感覚を捉えたのか、足取りが重い。
 母親がドアノブに手を掛けて扉を開ける。十一朗は無意識に息をとめていた。その瞬間、突然、裕貴が寄りかかってきた。
 フラッシュバック――鮮明に思い起こされた情景で、裕貴は意識を失いかけたのだ。
 十一朗が足取りの重い裕貴を気にしていなかったら、床に倒れこんでいたに違いない。
「ごめん……大丈夫……大丈夫だから」
 自力で立ててはいるが、意識は朦朧としていそうだ。十一朗は裕貴を抱き寄せたまま、公開自殺、第一の現場に足を踏み入れた。
「何も触ってないのよ。あの時のまま……あの子がずっと部屋にいるような気がして……」
 母親の説明を触り程度に聞きながら、十一朗は現場の観察をするのに必死だった。少女の自殺に自殺屋が関与していたなら、痕跡があるはずだ。室内の端から写真で撮るように頭の中に記憶していく。久保の死に少しでも近づきたい執念があった。
 どこにでもある中学生の少女の部屋だった。ポスター、漫画、巨大なぬいぐるみ――片付けたのだろう。パソコンと固定カメラはない。
 ただ、十一朗の目には気になる物が映っていた。タグの付いたショルダーバックが三つ。アルバイトができない中学生の少女が買いためる物なのだろうか? 少し疑問が残った。
 しばらく室内を観察した十一朗は裕貴を促してから、静かに黙祷をした。約一分の静寂。
 二人ほぼ同時に黙祷を終えた――振り返ると、母親は瞼を覆って涙を流していた。自分に固定された二つの視線に気づいたのか、慌てて涙を拭う。
「ごめんなさい。まだあの子が死んだのを受け入れられなくて……」
 母親は遺族となった者、誰もが痛烈に思うことを口にした。
 十一朗も同じだった。久保の死を未だに受け入れられないでいた。部室に行けば、「おはよう」と存在しないはずの彼女の声が、鼓膜ではなく脳内を揺らす。
「僕も、沙耶さんが自殺したとは思えません」
 その思いが、十一朗の口から出た。直後に顔をあげた母親が目を見開いた。
「さっき、あなたと同じことを警察の方も言ったのよ……」
 同じことを違う人の口から繰り返し聞けば、どんなことでも疑ってしまう。
 中国の戦国策にある「曽参、人を殺す」がその例に近い。
 昔、孔子の高弟である曽参と同姓同名の男が人殺しをした。一人の男が曽参の母に「曽参が人を殺した」と告げた時、母親は信じずに機を織り続けた。二人目が言った時も同じ反応をした。
 しかし、三人目の口から聞いた途端、さすがの母親も驚いて家を飛び出したという話だ。
 少女の母親は娘が、いじめで自殺したと学校と相手側を訴え、多額の慰謝料を要求している。
 だが、自殺ではない。違う者の口から聞いた同じ話は、何よりも説得力があるものだろう。
 自分がしていることは間違っていたのか? 娘は生き甲斐を持っていたのか――
 母親は話の内容を、そう捉えたに違いない。
「娘が自殺じゃないとしたら……」
 母親は口ごもった。結論は出ているのだろう。だが、言葉にするには早いという思いがあるようだった。不意に裕貴が十一朗の腕をきつく握ってきた。
 それ以上深入りしないほうがいいという忠告だろうか――しかし、十一朗は構わず続けた。
「思い悩んでいる様子はありましたか? あと、新しい友達が出来たとか」
 母親は考えこんだ。娘が死んだ直前の出来事を必死に手繰り寄せている。そして、
「そういえば、男の人に声をかけられたって言ってたわ。それから外出が増えて……」
 母親は娘の影にあった男の存在を口にした。
「その男の人の、名前は訊きませんでしたか?」
 母親は「それは……」と言ってまた口ごもってしまった。詳しく訊いておけばという後悔の念が滲み出ている。
「僕は明鏡止水高校の東海林十一朗といいます。知人に刑事がいるので、もし、その男のことが少しでもわかったら教えてください」
 母親から返ってくる言葉はなかった。ただ小さく頷いた。
 目的を達すると、十一朗と裕貴は少女の家を出た。
 しかし、十一朗はそのまま帰らずに少女の家の裏へと回る。裕貴もついてきた。
 そして、裏の小窓を前に十一朗は足をとめた。首まで高い石塀で庭の様子は見えない。その塀に手を掛けて中を覗きこむ。
「ちょっと、プラマイ」
 静かに様子を見ていた裕貴も、さすがにここで十一朗をとめた。
 言われて十一朗は塀から手を離して着地する。両手に付いた土を叩き落としていると、裕貴が肩を寄せてきた。
「何してたのよ。変な人だと思われるじゃない」
 裕貴の言うように、警察が出入りをしたばかりの家だ。近所の人が見たら通報するかもしれない。手の土を払い終えた十一朗は、服に付いた土も叩き落とす。
「調べたいことがあってさ。だから……」
「だからって」
「隠れる隙間があるかなと思ったんだよ。人が隠れるような隙間が」
「まさか……」
 裕貴が口を覆いながら唸った。
 十一朗は構わずに、自分の推理の説明を続けた。