震えた手で千恵が携帯をしまう。自殺屋の影が見えたことで恐ろしくなったのだろう。
「ねえ、東海林くん……本当に自殺屋の正体をつきとめる気?」
 確認するかのように訊いてきた。
「俺は久保が話したいことを聞いてやれなかった。だから久保が、したがっていたことをするつもりだ。自殺屋をつきとめる。公開自殺を続ける理由を訊いて、自首を勧める」
 十一朗は「だから……」と言って、メモ帳とペンをテーブルの上に置いた。
「まず、第一の公開自殺を詳しく調べたいんだ。自殺をした少女を恨んでいた可能性のある人間を思いつくだけ書いてほしい。なるべく、いじめにあっていた子を中心に」
 冴恵は頷くとペンを手に取った。十一朗の決意は通じていた。
 生徒のクラスと名前が書き込まれていく。その人数は数十名にも及んだ。そして、最後に冴恵は、自分の名前も書きこんだ。
「もし、この中に犯人がいたとしたら……私もその人の気持ちわかるよ。ただ殺すだけなんて気がすまない。物凄く苦しんで死んでほしいって思う。いじめってそういうものだから」
 メモ帳とペンを十一朗に返して、冴恵はそうしめくくった。
「ありがとう。絶対に犯人を自首させるよ。それと、何かあったら必ず電話してくれ」
 十一朗は、二人の会計も入っている伝票を手にして席を立った。裕貴も「誰にも話したってことは言わないで。私たちも誰に聞いたかは内緒にするから」と告げて立った。
 背後で、「ご馳走さま」と礼をいう冴恵の声が聞こえた。二人で振り返って手を振る。お礼を言いたいのはこっちのほうだった。
 喫茶店を出ると、沈みかけた夕陽が景色を金色に染めていた。
 気温が下降したのが原因か、裕貴がくしゃみをする。十一朗は笑いながら上着を脱ぐと、裕貴の背中にかけた。
「大丈夫……多分、花粉症」
 気を遣ったのか裕貴はそう言って、十一朗に上着を返した。しかし、受け取ろうとした十一朗の手から上着を引き戻して袖を見る。
「ねえ、プラマイ……どこか怪我してない? これって、血のように見えるんだけど」
 見ると確かに、線状に擦ったものが袖についていた。怪我していたら風呂に入った時に沁みるはずだから、自分の傷ではない。それに上着の外地につくこともない。
「覚えがないなぁ……いつつけたんだろ」
 ついたとしたら、久保を助けようとした時だろう。記憶を手繰らせて思い出そうとするが、それはかなわず、代わりに背後から近づいてきた足音に気づいた。
「デートですか? お二人さん。なーに、探りを入れてんだよ?」
 振り返ると、貫野と貫野に叩かれまくっていた若い刑事がいた。思わぬ人物の登場に、十一朗は一度向けた視線をそらす。
「何でここにいんだよ……一生、顔を合わさないですむと思ったのに」
 溜め息混じりに言う十一朗に、貫野も嫌味たっぷりに「僕もです」と返してきた。
「あの事件が他殺とわかったから、はじめから事件の洗い直しだ。ところがここの生徒……何故か口を割らねえ」
 あいからわずの口の悪さに十一朗は呆れた。冴恵たちが無闇に話したら、警察に捕まると噂するのも何となく理解できる。
「で? 他に収穫は?」
 十一朗の問いにあからさまに貫野は嫌な顔をすると、昨日と同じように、
「何でお前に、そんなことまで答えなきゃいけないんだ?」と、喧嘩腰で睨みつけてきた。
 そんな貫野の心境を感じ取れない天然気質なのか、
「そちらは? 何か収穫ありましたか?」と、若い刑事が訊いてくる。
 すぐさま、「馬鹿野郎、高校生に頼るな」と、貫野の鉄拳が飛んだ。
 どうやら、昨日のことで妙な競争心を貫野に持たれてしまったらしい。だがこれを利用しない手はない。十一朗は悪知恵を思いついた。
「あったよ。犯人の目星がつきはじめたところかな……」
 貫野が問い詰めてくるのは明白だ。十一朗はそれをわかっていてわざと言った。
「隠すな。教えろ……」
 突き刺さるような眼光を向けながら貫野が詰め寄ってくる。しかし、それこそが十一朗が求めていた貫野の反応だった。
「取引しよう。俺がつかんだ情報は全てあんたたちに話す。そのかわり、あんたたちも捜査の進展と情報を俺たちに話す」
「取引だぁ」
 貫野は声を荒げた。が、これも十一朗は予想していた。すぐに若い刑事に視線を向ける。
「確か……文目(もんめ)刑事だったよな」
「調べてくれたんですか? 嬉しいなぁ……」
 文目と呼ばれた若い刑事は、急に笑顔になって十一朗を見た。その反応を見て続ける。
「父さんに聞いた。褒めてたよ。若いのに根性があって、よく動くって」
 文目をべた褒めする十一朗を、怪訝な面持ちで貫野は見ている。
「貫野巡査部長は応じてくれなさそうだから、文目さんに話すよ。出世してほしいし」
 すぐに貫野は「待て待て待て」と食いついてきた。
「巡査部長って言うな。ちかいうちに警部補になるんだからな」
 視線を逸らさずに見つめた十一朗の表情に耐えられなくなったのか、貫野のほうが先に目をそらした。
 巡査部長が警部補になるには、昇任試験に合格しなければならない。
 警視庁においてはそれは更に狭き門となる。貫野はこれを痛いほど知っているのだ。
「くそっ……」と貫野は舌打ちをした。
「俺が言ったと刑事部長には伝えるなよ……本来なら一般人に話せないんだからな」
 お前には負けたよ。そんなふうに観念したかのようだった。