「このガキ、命令するのは俺だ。黙って立ってろ。これ以上やると、公務執行妨害で逮捕するぞ」
 とうとう怒りが頂点に達したのか、貫野が十一朗を押しとどめる。
 ところが次の瞬間、貫野は突然表情を一変させると深く会釈した。十一朗が振り返るとスーツ姿の男が立っていた。
 直立不動――堂々とした男の態度からは威厳があふれている。
「おつかれさまです。東海林(しょうじ)刑事部長」
 貫野は声を裏返して敬礼した。見事な変わりようだ。十一朗はそれに呆れて息を吐いた。
 敬礼した貫野に「ご苦労」とだけ告げた刑事部長は黙ったまま十一朗に近づくと、優しく肩を叩いた。涙で目を腫らした裕貴にも「大変だったな」と声をかける。
 貫野と若い刑事は、その様子を言葉なく見守っていた。
 視線だけで交わす、言葉以上の語り合い――それが終わると、十一朗は口を開いた。
「あのさ、父さん……」
 十一朗が刑事部長に話しかけた途端、貫野が「へっ?」と奇妙な声を上げた。
 しばらくして、事情が呑みこめたのか、金魚のように口をパクパク動かして、十一朗を指差しながら「お子さん? 刑事部長の?」と潰れた声で訊く。
「ああ、一人息子だ。東海林十一朗、明鏡止水高校ミステリー研究部に所属している」
「ミステリー研究部?」
 貫野が声を荒げる。若い刑事も「どうりで……」と納得した。
「父さん、久保をおろす時に濡れた感触があったんだ。調べてくれないか? 多分、それが他殺の証拠になるはずだ」
 鑑識に訊いた時は貫野にとめられてしまった。刑事部長の父がきた今ならそれはない。十一朗は父を前にして、自分が得た情報を推理として伝えた。
「濡れた感触?」
 父が貫野に視線を向けた途端、「調べます」と言いながら貫野は室内に入っていった。
 鑑識班に「まだか、探せ」と八つ当たりする貫野の声が聞こえてくる。その声を聞きながら、十一朗は拳を握りしめながら歯噛みした。
「父さん、俺。久保を助けられなかった……馬鹿だ、俺。昨日、久保が何か言いたがっていたのを知っていたのに……無理やり訊いておけば良かった」
 必死に涙を耐えた。父は「自分を責めるな」ともう一度、十一朗の肩に手を置いた。
 その時だ。
「おい、これはなんだ?」
 室内の奥から貫野であろう叫びが響いた。父が室内に入る。十一朗と裕貴も追うように室内に入った。 中にいた貫野は、壁際に立って床を見ていた。
 床にある線状の跡――何かがそこにあったことを意味していた。
「擦った跡か?」
 貫野は屈みこんで、それが何であるかを思案していた。十一朗も覗きこむ。
「違うよ。あのショーケースが置いてあった跡だ」
 線状の跡の長さと大きさは、一目見てショーケースと一致しているとわかった。
 隣で屈んだ十一朗に、貫野が「この……」と言いかけてから口籠る。刑事部長の父がいる。それが十一朗の後押しにもなっていた。こうなれば貫野より十一朗のほうが立場は上だ。
 貫野は立ち上がると、後ろで突っ立っていた若い刑事を睨みつけた。
「おい、あのショーケースを、もとの位置に戻せ」
 もはや指示ではなく八つ当たりだ。殺気すら感じる貫野の剣幕を見て、若い刑事が鑑識ひとりを呼びとめる。二人で協力してショーケースを移動させることとなった。