「久保、聞こえるか。聞こえたら答えろ」
 十一朗が耳元で叫んでも久保の反応はない。久保は意識のない状態にあった。
 首を吊って何分経過したかはわからないが、することは決まっていた。
 蘇生術だ。興味を持った時に父に聞いて、やり方は知っていた。
 久保の気道を確保してから、胸の動きを見た。同時に脈も取る。
 しかし、呼吸も脈も停止していた。
 フッと十一朗の中で、昨日の久保の姿が思い出された。
「ごめん、大事な用事があって」そういって出ていこうとした久保が、最後に小さく呟いた言葉があった。「ありがとう」裕貴は聞こえなかっただろう。
 いや、他の部員も聞こえていなかった。聞こえていたら誰かしら反応したはずだ。聞こえたのは自分だけだったのかもしれない。
 あれが最後に聞いた言葉にはしたくなかった。絶対に助ける。そう決断した。十一朗は迷わなかった。
 久保の唇に唇を合わせて息を吹きこんだ。しばらく待ってから二度目の息を吹きこむ。
 同時に心臓マッサージも開始した。一度蘇生術をはじめたら、救急車がくるまでやめることは許されない。教わったことを忠実に繰り返し続ける。
「お願いだ。頼むから、息をしてくれ」
 十一朗が蘇生術を施しているのを見て裕貴も近づき、久保の手を強く握った。
 心臓マッサージを続けながら、十一朗は久保に目を向けた。瞳孔が拡大し、混濁しているように見えた。裕貴が握っている久保の右手にも視線を向ける。指先に、死に神が手を付けた印が浮かび上がっているのが見えた。
 死後、数十分後に浮かび上がる死斑の出現が、久保の絶命を示していた。どうしても受け入れたくない現実――死。
 十一朗は手をとめた。大きく息を吸いこんで肩を落とした。
「裕貴……警察にも電話……」
 静寂が室内を包みこむ。「ありがとう」聞こえるはずもない久保の声が響いた気がした。
 現実を受けとめた裕貴が、嗚咽を漏らしながら顔を伏せる。十一朗は手をかざすと、久保の目に当てて、その瞼を閉じた。顔を直視するのも苦痛で、ハンカチをかけた。
 ――数時間前には顔を合わせて話していた。その仲間が遠い場所に離れていく苦しみ……。
 十一朗は久保の部屋に視線を巡らせた。几帳面な久保の性格が表れたかのように整頓された本は、ガラス張りの書棚の中で奇麗にジャンル分けされている。
 ミステリー、事件ルポ、犯罪心理学。ミス研部員の久保らしい書籍が並んでいた。
 全ての本を見てから、久保の机に視線を移動させた時だった。
 机の上にノートパソコンが見えた。電源が入ったままになっている。そして、パソコンの上に取り付けられた一つの目があった。固定カメラ――
 立ち上がった十一朗は上着を脱いで、一つの目に被せた。途端に怒りで全身が震えた。
 噂で聞いていた公開自殺。久保が自殺した瞬間から今まで、自分たちの姿はネット上で公開されていた。
「くそ、くそぉ」
 抑えきれない気持ちが怒号となって口から出た。
 これは自殺か、他殺か? 自殺屋はいるのか? 目的は何なのか?
 久保の死が自殺屋事件の十九件目となった。一階では電話が鳴っていた。
 二人はただ、その場で金縛りにあったかのように動けないでいた。