「…ヒナ、ヒナ」
今日は退院の日。龍也が迎えに来てくれた。今日までの1週間、毎日の様に龍也はお見舞いに来てくれた。あまり多くは語らない龍也だったが落ち着いた雰囲気に私も心を開き始めていた。
『龍也…!おはよう』
「おはよう、ちゃんと準備してた?ヒナは直ぐに忘れ物するから」
『大丈夫だよ、龍也は心配症だなあ』
クスクスと笑うと龍也はおどけた様な表情を見せて“そっかそっか”と言いながら頭を撫でてくれた。
今日までで分かったことも幾つかあった。私の年齢、家族構成、龍也の職業、記憶を失った原因。そして…龍也と私との関係。私と龍也は同棲までしている程仲は良好だというのに色恋の一文字も無かったらしい。お互いが近くに居過ぎて、と言うやつだろう。
「手続き済ませるから先に車に行っててくれる?車、前教えたから分かるよね?」
『ナンバーで分かると思うよ。先に行くね』
初めて履いた感覚のヒールにヨロヨロしながら病院の外に出た。…磯の香り。そうか、此処は海の近くなんだった。病室からははっきりと嗅ぎ分けられなかったからかとても新鮮な感覚があった。
龍也の車はすぐに分かった。そして助手席に乗って気付いた。後部座席に可愛いヌイグルミが置いてある。じっと見てると1つだけ他のヌイグルミと雰囲気が違うヌイグルミ。ウサギのヌイグルミだ。そっと手に取ると龍也と少し甘い香水の匂い。龍也の匂いではないからきっと他の人のものであろう。
「あ、ヒナがミリを抱き締めてる」
『ミリ…?』
「そのウサギのヌイグルミ。ヒナが付けたんだよ。俺とヒナの大事な家族」
『じゃあ、この香水の匂いって…』
「ヒナのだよ、作るのが趣味でお気に入りの香りがそれだったから匂い移ってたんだね」
そう告げると龍也はエンジンを掛けて車を動かした。
車内はヌイグルミの話で持ちきりだった。私は出掛ける時に必ず後部座席のヌイグルミ達を車に乗せるらしい。そしてミリを抱き締めて眠っているのだとか。
10分程すると1軒の小さなお家に着いた。私と龍也の家だ。
