サイドベッドに置いたリュックからお数珠を取り出しまず方便自我偈。
椅子を克彦の枕元に寄せ前かがみになればすぐ耳元に届く。
呼吸器マスク姿の顔面を見やりながらしっかりとお題目をあげる。

髪は白髪に禿げ髭も伸び口は入れ歯だったらしく大きく開いたまま
内にめくれハの字の長めの眉も白く垂れ下がり閉じた目じりに
涙が浮かぶ。両頬にはいくつかのシミが広がり右目の下に大きなほくろ。

『あれ、こんなほくろあったっけ?』
「克彦!おーい!克彦―っ!」
大声で叫んでみたが、やはり何の反応もない。
『だめか』
酸素もずっと75のままだ。

看護師が二人来て克彦の寝てる向きを変える。
昨晩までは相当もだえ苦しんでいたようだ。
再び静けさの中題目を上げ始める。

ふと窓の外の陽光に目をやるとレースのカーテンからそよ風。
大自然の中に今死にゆく甥っ子を抱く。お題目が澄んで遠く
大宇宙に溶け込んでいくようだ。

と突然大粒の涙があふれ出た。とめどなくそれはあふれ
拭う気もなくお題目は嗚咽に変わった。
別に悲しいなどという気持ちではない。

何なのだこれは。気を取り直ししっかりとお題目を上げ始めると
生と死との不思議なはざま、時空の神秘に感動した。
他人ごとではない今度は自分だ。

小学5年の時死んだらどうなるんですか?宇宙の果ての向こうは?
なぜいつから私は私なんですか?などと先生を詰問して、

「松村君、人生やこの宇宙にはいくら考えてもわからない、答えの出ない
事柄がたくさんあるんだよ。その時はそっと心の片隅に鍵をかけてしまっとき。
また出くわしたときにまた鍵を開けるんだ。それまではそっと…オーケー?」