年が明けて去年の1月16日に完全に映画村を撤収しました。
お題目のおかげで表向きは穏やかに、映画村のえらいさんたち
に『ほんとに長い間お世話になりました』と頭を下げることが
できました。

嫁はんは今までのコネでさっさと次の仕事を見つけ撮影所の
会館の清掃の仕事を始めました。私はハローワークに通う
日々が続きます。65歳を過ぎるとなかなか仕事はありません。
年齢不問というのは嘘だと思います!

仕事が見つからぬまま40周年の日を迎えました。
3.16記念の地区座談会で
『つぎの地区座までには必ず実証を示します』
と宣言いたしました。

と、その三日後のことです。シルバー人材センターへの登録を
済ませた帰り道。ケータイが鳴ります。
『松村さん今何してはります?昔世話になった村山です』

すぐには思いつきませんでしたが。『あーあの村山君か』
と答えました。

『2年前から京北で木工所を立ち上げ、やっと軌道に乗ってきました。
和装デザインの檜のパネル1000枚を6月までに切り抜かな
あかんのですが、切る人がいません!お金は何ぼでも出します
から今すぐにでも来てください!できたばかりの京北トンネルを
左に入ったところです』と叫ぶではありませんか!

ほんまかいなそうかいなと驚きつつ『わかった、明日行くわ』
と返事しました。何ぼでも出すやなんて嘘やろう。
やはりウソでした。とりあえず時給1000円から。

それからは毎日切って切って切りまくり何と3か月の所を
2か月で切り終えました。

今広島の全日空ホテルの結婚式場、15mアーチパネルは、
木漏れ日チャペルという名で業界紙に取り上げられていますが、
これは私の作品です。

ところが魔は天界に住む。少し有頂天になってました。
早く切りすぎて次の仕事が無くなりました。その時また
ケータイが鳴りました。シルバー人材センターからです。

『花園駐輪場の空きができました。定期券発行のため、
パソコンレジ打てますか?』
『はいはい、なんでもやります!』と週三日が決まりました。

京北の村山社長も私の実力を高く評価し、なんとかこいつを
つなぎとめとかなあかんと思ったのでしょうか?行灯パネルの
仕事を作ってくれました。週三日ほど、好きな時に好きな時間
だけ来て切ってくださいとのこと。ありがたいことです。