生暖かい、むしろ暑い空気が、周りを取り巻く季節。
あたしが、一番好きな季節がやってきた。
もうすぐ、夏になる。
夏は、何故だか開放された気分になれる。
ステキな事が、待ち受けている、そんな気分にもさせてくれる。
あと一ヶ月もすれば、夏休み。
中間テストの成績もボロボロだったあたしは、せめて、夏休みの間は、並程度には勉強しないと…。そう、密かに決めていた。
が、遊びたくなるのが、10代の性。
何でも程々がいいよね。
そんな風に、楽観的に考えていた。
そんな、何でもない、いつもの日常での事だった。
あたしにしては珍しく、何の前触れもなく、予期せずそれは起こった。
あたしの、最も恐れていた、事態を招く事になった、あの、出来事…。
朝から暑いぐらいの気温で、少々あたしはバテ気味だった。
何となく頭痛はするけれど、きっと暑さのせいだろう。
その程度にしか、考えていなかった。
思えばそれが、サインだったのかも知れない。
いつものように授業が始まる。
あたしは、ノートを取るのが遅いから、いつも他の人より少しだけ早く準備をする。
書いては次々と消していかれる黒板に必死についていきながら、カラーペンを駆使して、ノートと格闘していた、その時だった。
ズキン…………。
突然、下腹部にものすごい激痛が走った。
……うそ。
よりによって、このタイミングで…?
あたしは無意識に、下腹部を押さえた。
えっと、薬、薬……。
カバンの中をゴソゴソと、必死で薬入れのポーチを探した。
…………ない。
どうしよう……見つからない………。
カバンの中にないのか、それとも、探し当てる事ができないだけなのか、よくわからなかったが、とにかく、ポーチは、見つからなかった。
ガマンしなきゃ………。
あんな思い、またするの、嫌だ………。
あたしの額からは、脂汗が滲み出ていた。
その時は、痛みに耐えるのに必死で、こちらを不意に振り返った相良くんの視線にすら、気付いていなかった。
どうか………どうか、このまま、治まりますように……。
あたしはそう天に祈ったが、神とは何とも残酷なものだ。
痛みは治まる様子はなく、それどころか、どんどんひどくなっていく。
次第に、身体にも力が入らなくなり、意識も遠のき始めた。
…………ああ、もう、ダメ…………。
楽しい高校生活も、今日で終わりかな………。
そんな事を考えている間に、目の前が真っ暗になり、遂には、あたしは、授業中にもかかわらず、その場に倒れてしまった。
「水島?!おい、水島!大丈夫か!」
先生の声が聞こえたけれど、それに応える余裕もない。
口々に、皆が、救急車、とか、保健室、とか言って騒いでいる声が聞こえた。
遠くなる意識の中で、一番最後に残ったのは、誰かの力強い腕の温もりと、
「うるせぇ!おまえら少し黙ってろ!こいつは俺が連れて行く」
そんな、男子の怒鳴る声、だった。
聞き覚えのある、低めの、ハスキーボイス。
この、声は……。
気がついた時、あたしは、保健室のベッドの上にいた。
痛みはなんとなく引いていたが、まだ鈍痛がして、起き上がるのは少々困難な状況だった。
…また、やっちゃった…。
あたしは、溜息をひとつ、ついた。
…と、少しだけ開いたカーテンの向こう側に、誰かの気配を感じた。
保健の先生ではなさそうだ。
そこに見える手は、明らかに、男性のものだった。
肘までまくりあげた、制服のワイシャツ。
生徒の誰かである事は、明らかだ。
痛むお腹を抑えながら、ゆっくりと起き上がる。
カーテンの向こうを見た瞬間、思わず、悲鳴が漏れそうになった。
動揺が隠せず、近くのゴミ箱も倒してしまった。
ガタンっ!!
と大きな音を立ててしまい、咄嗟にゴミ箱を元に戻そうとする。
「…気がついたか?」
振り返ると、カーテンを開けてこちらを見ていたのは、やはり、相良くんだった。
「あ…………はい……」
「具合はどうだ?…まだあまり良さそうじゃないな」
あたしがお腹をおさえている手に目を落とし、彼が静かに言う。
「ほれ。弁当。食えるようなら食っとけ。薬の効きが早くなるぞ」
そう言って、あたしのお弁当を、持ってきてくれた。
「…ありがとう…」
あたしはそれを両手で受け取った。
まだ、全部食べられる程、回復したわけじゃない。
時計を見ると、昼休みも終わり、5時間目が始まっている時間だった。
「あれ…先生は?」
「ああ。今日、二年の保健指導あるんだってよ。で、オレ留守番担当」
「え…?相良くんが…?」
「そ。そんな心配しなくても大丈夫だって。取って食ったりしねえよ」
彼は、静かに優しい笑みを浮かべた。
視線は、あたしからは敢えて外していたが。
それが、彼なりの、あたしへの気遣いに思えて、なんでだか嬉しくなった。
「そんな事、思ってないよ」
なんだか可笑しくなり、あたしも思わず笑ってしまう。
「………笑った」
「え?」
「笑えんじゃん。お前」
「………………?」
「いつも緊張して難しいカオしてんだろ?ひょっとして、オレのせいかなって…」
「………え?」
自分でも、不思議なくらい、自然に笑えている事に気づいた。
と同時に、なんだか少し、照れくさくなった。
そんな事、ないよ……。
とは、心の中でしか、言えなかった。
彼から隠れるようにして、半分程、お弁当を食べた。
あたしは、ある事に気づいた。
倒れた時に、遠のく意識の中で、聞いた声。
ひょっとして……。
「…ね、相良くん」
「ん?なんだ、水か?」
「あっ、そうだね。薬……。って、そうじゃなくて」
「じゃあ何だよ」
相変わらず、その風貌に似つかわしくない優しい表情で、彼はあたしにお水を手渡してくれた。
「…ありがと」
「いーえ。で、何?」
「もしかして…ここまで、運んでくれたのって……」
「ん?あ、そう。オレ」
「やっぱり……。どうもありがとう」
「あんな派手に倒れたら、普通運ぶだろ」
彼は、ハハッと笑って、あたしに薬のポーチを渡してくれた。
「驚かせちゃったね…。ごめんなさい」
「いや、別に…」
「って、ええっ?!なんでコレあるの?」
倒れる前に、必死に探しても見つからなかったポーチを、相良くんから渡されるなんて。
どこにあったのだろう?
相良くんは、ビックリした顔を一瞬のぞかせた。
「あ、ああ……。机の中に入ってたぜ」
え?机の中?
なんだって、そんなトコに……。
まあ、何はともあれ、見つかって良かった。
あたしはポーチを開け、痛み止めを探し出すと、それを服用した。
「なぁ…悪いと思ったんだけど。その中、見させてもらったんだ」
「………え?」
「お前、その痛み止め、あまり飲み過ぎんなよ」
「はい……?どして?」
「ボルタレンの50ミリはかなり強いから、胃に負担がかかりやすい。ロキソニンでも充分に効果が出るはずだから、持ち歩くとしたら、ロキソニンの方を多めにしとけ。それから、PMSか何か持ってんのか?イライラしたり気分沈んだりしたら飲めって言われてんだろうけど、ルボックスは強いぜ。できれば、デパスかリーゼに替えてもらえ。それから…」
「ち、ちょっと待って!」
あたしは、相良くんが言っている事を理解するまでに時間がかかった。
それ以前に、なんで、こんなに薬に詳しいの?
薬から、あたしの病気まで当てるなんて。
確かに、相良くんの言う通りだ。
あたしは呆気に取られてしまうと同時に、頭の中が、疑問符だらけになった。
相良くんは、ハッとした表情をして、話を中断した。
「なんで……そんなに、詳しいの?」
あたしの問に、彼はいとも簡単に答えた。
「オレ、医者のタマゴだから。親、二人とも医者だし」
ええっ?!
そんな事、全然知らなかった。
どうりで頭良いわけよね……。
あたしはびっくりしすぎて、自分の手元の布団をぎゅ、っと握りしめながら、俯いてしまった。
「あっ、気にしてたか?ごめんな。薬の事…」
俯いたまま、ふるふると、頭を左右に振った。
中学の頃の悪夢が、蘇る。
あたしの手は、わずかに震えていた。
「どした?まだ、痛むか?」
必死に首を左右に振る。
まだ、あの時の恐怖が、抜けていなかった。
「……怖くて……」
「は?何が?オレが?」
「そうじゃなくて…。昔の事、思い出して」
気を緩めると、泣き出してしまいそうだった。
「だから…誰も知らない高校に来たのに…」
少しの間、沈黙が続いた。
相良くんは何も言わず、足を組んで視線を落としている。
イヤな思い、させちゃったかな…。
せっかく、運んでくれたのに…。
「ごっ、ごめんね。こんな話…」
あたしは、平静を装うとして、少しでも明るく振る舞おうと努力してみた。
すると、相良くんが急に立ち上がり、あたしの前で屈んだ。
じっと、あたしの顔を、真顔で覗き混む彼から、視線が外せなくなった。
段々と鼓動が早くなる。
顔から火が出そうなくらい、恥ずかしくなった。
きっとひどい顔をしてるに違いない。
顔をそらそうとしたその時、
「お前さ」
相良くんが、口を開いた。
「オレの秘密…知りたい?」
「……はっ?」
「誰にだって、トラウマや傷はある。オレだって、例外じゃねえんだよ。同じだって知れば、ちょっとはラクになんだろ?」
「…………」
「知りたいなら、放課後、オレに着いて来い。あ、体調ムリならいーけど」
「………行く……」
あたしは、考える間もなく、ふたつ返事で答えてしまっていた。
自分でも、どうしてなのかは、わからなかった。
ただ、彼の、気遣いがすごく、嬉しかった。
「おし。じゃ、放課後な」
相良くんはそう言うと立ち上がり、向きを変えて去ろうとした。
「…あ」
あたしに対して背中を向けていた彼がゆっくりあたしの方に振り返った。
「お前、笑ってる方がいいぜ」
そう優しい笑顔で言うと、あたしの頭をクシャッと撫でた。
「!!」
あたしはまた、いつかの時のように、魚みたいに口をパクパクさせながら、固まってしまった。
それを面白がるかのように、相良くんは笑いながらカーテンの向こうに去って行った。
下校のチャイムが鳴ると、勢いよく扉が開き、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんが保健室に入ってきた。
「大輪花!大丈夫なのっ?!」
息を切らし、目が飛び出そうな形相で、聖羅ちゃんが言う。
「うん。ごめんね、心配かけちゃって」
「ホント、心配しちゃったよぉ。いくらか、良くなった?」
「うん。だいぶ休んだし、薬も効いてるみたい」
「良かったぁ〜。死ぬほど心配したんだからぁ!」
絵摩ちゃんが、泣きそうになりながら駆け寄ってくる。
「ごめんね。持病もちで…」
「何はともあれ、大丈夫そうで良かったよ。今日は真っ直ぐ帰るんでしょ?送って行こうか?」
聖羅ちゃんが、あたしにカバンを渡してくれながら言う。
「うん、ちょっと病院行かなきゃかな」
「…そっか。大丈夫?」
「うん。平気だよ。病院、うちから近いし」
なんだか不安そうにあたしを見る二人に、あたしはありったけの笑顔を作って見せた。
放課後、用事があるなんて言ったら…しかも、相良くんがらみだなんて言ったら、止められるに違いない。
直感で、あたしはそう感じていた。
「カバンありがとうね。ホントに、今日はもう大丈夫」
「まぁ…大輪花がそう言うなら、大丈夫かな。夜、LINEしてよね!」
絵摩ちゃんが、少しホッとした表情を浮かべてあたしに念を押すように言う。
「うん、わかった。心配かけちゃって、ごめんね」
あたしは、ベッドに突っ伏して泣きそうになっている絵摩ちゃんの背中をさすった。
「ところでさぁ、5時間目、相良がいなかったんだけど、アイツ、ひょっとして、ここにいたの…?」
勘の鋭い聖羅ちゃんが、怪訝そうな表情になって、辺りを見回す。
あたしが、一番好きな季節がやってきた。
もうすぐ、夏になる。
夏は、何故だか開放された気分になれる。
ステキな事が、待ち受けている、そんな気分にもさせてくれる。
あと一ヶ月もすれば、夏休み。
中間テストの成績もボロボロだったあたしは、せめて、夏休みの間は、並程度には勉強しないと…。そう、密かに決めていた。
が、遊びたくなるのが、10代の性。
何でも程々がいいよね。
そんな風に、楽観的に考えていた。
そんな、何でもない、いつもの日常での事だった。
あたしにしては珍しく、何の前触れもなく、予期せずそれは起こった。
あたしの、最も恐れていた、事態を招く事になった、あの、出来事…。
朝から暑いぐらいの気温で、少々あたしはバテ気味だった。
何となく頭痛はするけれど、きっと暑さのせいだろう。
その程度にしか、考えていなかった。
思えばそれが、サインだったのかも知れない。
いつものように授業が始まる。
あたしは、ノートを取るのが遅いから、いつも他の人より少しだけ早く準備をする。
書いては次々と消していかれる黒板に必死についていきながら、カラーペンを駆使して、ノートと格闘していた、その時だった。
ズキン…………。
突然、下腹部にものすごい激痛が走った。
……うそ。
よりによって、このタイミングで…?
あたしは無意識に、下腹部を押さえた。
えっと、薬、薬……。
カバンの中をゴソゴソと、必死で薬入れのポーチを探した。
…………ない。
どうしよう……見つからない………。
カバンの中にないのか、それとも、探し当てる事ができないだけなのか、よくわからなかったが、とにかく、ポーチは、見つからなかった。
ガマンしなきゃ………。
あんな思い、またするの、嫌だ………。
あたしの額からは、脂汗が滲み出ていた。
その時は、痛みに耐えるのに必死で、こちらを不意に振り返った相良くんの視線にすら、気付いていなかった。
どうか………どうか、このまま、治まりますように……。
あたしはそう天に祈ったが、神とは何とも残酷なものだ。
痛みは治まる様子はなく、それどころか、どんどんひどくなっていく。
次第に、身体にも力が入らなくなり、意識も遠のき始めた。
…………ああ、もう、ダメ…………。
楽しい高校生活も、今日で終わりかな………。
そんな事を考えている間に、目の前が真っ暗になり、遂には、あたしは、授業中にもかかわらず、その場に倒れてしまった。
「水島?!おい、水島!大丈夫か!」
先生の声が聞こえたけれど、それに応える余裕もない。
口々に、皆が、救急車、とか、保健室、とか言って騒いでいる声が聞こえた。
遠くなる意識の中で、一番最後に残ったのは、誰かの力強い腕の温もりと、
「うるせぇ!おまえら少し黙ってろ!こいつは俺が連れて行く」
そんな、男子の怒鳴る声、だった。
聞き覚えのある、低めの、ハスキーボイス。
この、声は……。
気がついた時、あたしは、保健室のベッドの上にいた。
痛みはなんとなく引いていたが、まだ鈍痛がして、起き上がるのは少々困難な状況だった。
…また、やっちゃった…。
あたしは、溜息をひとつ、ついた。
…と、少しだけ開いたカーテンの向こう側に、誰かの気配を感じた。
保健の先生ではなさそうだ。
そこに見える手は、明らかに、男性のものだった。
肘までまくりあげた、制服のワイシャツ。
生徒の誰かである事は、明らかだ。
痛むお腹を抑えながら、ゆっくりと起き上がる。
カーテンの向こうを見た瞬間、思わず、悲鳴が漏れそうになった。
動揺が隠せず、近くのゴミ箱も倒してしまった。
ガタンっ!!
と大きな音を立ててしまい、咄嗟にゴミ箱を元に戻そうとする。
「…気がついたか?」
振り返ると、カーテンを開けてこちらを見ていたのは、やはり、相良くんだった。
「あ…………はい……」
「具合はどうだ?…まだあまり良さそうじゃないな」
あたしがお腹をおさえている手に目を落とし、彼が静かに言う。
「ほれ。弁当。食えるようなら食っとけ。薬の効きが早くなるぞ」
そう言って、あたしのお弁当を、持ってきてくれた。
「…ありがとう…」
あたしはそれを両手で受け取った。
まだ、全部食べられる程、回復したわけじゃない。
時計を見ると、昼休みも終わり、5時間目が始まっている時間だった。
「あれ…先生は?」
「ああ。今日、二年の保健指導あるんだってよ。で、オレ留守番担当」
「え…?相良くんが…?」
「そ。そんな心配しなくても大丈夫だって。取って食ったりしねえよ」
彼は、静かに優しい笑みを浮かべた。
視線は、あたしからは敢えて外していたが。
それが、彼なりの、あたしへの気遣いに思えて、なんでだか嬉しくなった。
「そんな事、思ってないよ」
なんだか可笑しくなり、あたしも思わず笑ってしまう。
「………笑った」
「え?」
「笑えんじゃん。お前」
「………………?」
「いつも緊張して難しいカオしてんだろ?ひょっとして、オレのせいかなって…」
「………え?」
自分でも、不思議なくらい、自然に笑えている事に気づいた。
と同時に、なんだか少し、照れくさくなった。
そんな事、ないよ……。
とは、心の中でしか、言えなかった。
彼から隠れるようにして、半分程、お弁当を食べた。
あたしは、ある事に気づいた。
倒れた時に、遠のく意識の中で、聞いた声。
ひょっとして……。
「…ね、相良くん」
「ん?なんだ、水か?」
「あっ、そうだね。薬……。って、そうじゃなくて」
「じゃあ何だよ」
相変わらず、その風貌に似つかわしくない優しい表情で、彼はあたしにお水を手渡してくれた。
「…ありがと」
「いーえ。で、何?」
「もしかして…ここまで、運んでくれたのって……」
「ん?あ、そう。オレ」
「やっぱり……。どうもありがとう」
「あんな派手に倒れたら、普通運ぶだろ」
彼は、ハハッと笑って、あたしに薬のポーチを渡してくれた。
「驚かせちゃったね…。ごめんなさい」
「いや、別に…」
「って、ええっ?!なんでコレあるの?」
倒れる前に、必死に探しても見つからなかったポーチを、相良くんから渡されるなんて。
どこにあったのだろう?
相良くんは、ビックリした顔を一瞬のぞかせた。
「あ、ああ……。机の中に入ってたぜ」
え?机の中?
なんだって、そんなトコに……。
まあ、何はともあれ、見つかって良かった。
あたしはポーチを開け、痛み止めを探し出すと、それを服用した。
「なぁ…悪いと思ったんだけど。その中、見させてもらったんだ」
「………え?」
「お前、その痛み止め、あまり飲み過ぎんなよ」
「はい……?どして?」
「ボルタレンの50ミリはかなり強いから、胃に負担がかかりやすい。ロキソニンでも充分に効果が出るはずだから、持ち歩くとしたら、ロキソニンの方を多めにしとけ。それから、PMSか何か持ってんのか?イライラしたり気分沈んだりしたら飲めって言われてんだろうけど、ルボックスは強いぜ。できれば、デパスかリーゼに替えてもらえ。それから…」
「ち、ちょっと待って!」
あたしは、相良くんが言っている事を理解するまでに時間がかかった。
それ以前に、なんで、こんなに薬に詳しいの?
薬から、あたしの病気まで当てるなんて。
確かに、相良くんの言う通りだ。
あたしは呆気に取られてしまうと同時に、頭の中が、疑問符だらけになった。
相良くんは、ハッとした表情をして、話を中断した。
「なんで……そんなに、詳しいの?」
あたしの問に、彼はいとも簡単に答えた。
「オレ、医者のタマゴだから。親、二人とも医者だし」
ええっ?!
そんな事、全然知らなかった。
どうりで頭良いわけよね……。
あたしはびっくりしすぎて、自分の手元の布団をぎゅ、っと握りしめながら、俯いてしまった。
「あっ、気にしてたか?ごめんな。薬の事…」
俯いたまま、ふるふると、頭を左右に振った。
中学の頃の悪夢が、蘇る。
あたしの手は、わずかに震えていた。
「どした?まだ、痛むか?」
必死に首を左右に振る。
まだ、あの時の恐怖が、抜けていなかった。
「……怖くて……」
「は?何が?オレが?」
「そうじゃなくて…。昔の事、思い出して」
気を緩めると、泣き出してしまいそうだった。
「だから…誰も知らない高校に来たのに…」
少しの間、沈黙が続いた。
相良くんは何も言わず、足を組んで視線を落としている。
イヤな思い、させちゃったかな…。
せっかく、運んでくれたのに…。
「ごっ、ごめんね。こんな話…」
あたしは、平静を装うとして、少しでも明るく振る舞おうと努力してみた。
すると、相良くんが急に立ち上がり、あたしの前で屈んだ。
じっと、あたしの顔を、真顔で覗き混む彼から、視線が外せなくなった。
段々と鼓動が早くなる。
顔から火が出そうなくらい、恥ずかしくなった。
きっとひどい顔をしてるに違いない。
顔をそらそうとしたその時、
「お前さ」
相良くんが、口を開いた。
「オレの秘密…知りたい?」
「……はっ?」
「誰にだって、トラウマや傷はある。オレだって、例外じゃねえんだよ。同じだって知れば、ちょっとはラクになんだろ?」
「…………」
「知りたいなら、放課後、オレに着いて来い。あ、体調ムリならいーけど」
「………行く……」
あたしは、考える間もなく、ふたつ返事で答えてしまっていた。
自分でも、どうしてなのかは、わからなかった。
ただ、彼の、気遣いがすごく、嬉しかった。
「おし。じゃ、放課後な」
相良くんはそう言うと立ち上がり、向きを変えて去ろうとした。
「…あ」
あたしに対して背中を向けていた彼がゆっくりあたしの方に振り返った。
「お前、笑ってる方がいいぜ」
そう優しい笑顔で言うと、あたしの頭をクシャッと撫でた。
「!!」
あたしはまた、いつかの時のように、魚みたいに口をパクパクさせながら、固まってしまった。
それを面白がるかのように、相良くんは笑いながらカーテンの向こうに去って行った。
下校のチャイムが鳴ると、勢いよく扉が開き、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんが保健室に入ってきた。
「大輪花!大丈夫なのっ?!」
息を切らし、目が飛び出そうな形相で、聖羅ちゃんが言う。
「うん。ごめんね、心配かけちゃって」
「ホント、心配しちゃったよぉ。いくらか、良くなった?」
「うん。だいぶ休んだし、薬も効いてるみたい」
「良かったぁ〜。死ぬほど心配したんだからぁ!」
絵摩ちゃんが、泣きそうになりながら駆け寄ってくる。
「ごめんね。持病もちで…」
「何はともあれ、大丈夫そうで良かったよ。今日は真っ直ぐ帰るんでしょ?送って行こうか?」
聖羅ちゃんが、あたしにカバンを渡してくれながら言う。
「うん、ちょっと病院行かなきゃかな」
「…そっか。大丈夫?」
「うん。平気だよ。病院、うちから近いし」
なんだか不安そうにあたしを見る二人に、あたしはありったけの笑顔を作って見せた。
放課後、用事があるなんて言ったら…しかも、相良くんがらみだなんて言ったら、止められるに違いない。
直感で、あたしはそう感じていた。
「カバンありがとうね。ホントに、今日はもう大丈夫」
「まぁ…大輪花がそう言うなら、大丈夫かな。夜、LINEしてよね!」
絵摩ちゃんが、少しホッとした表情を浮かべてあたしに念を押すように言う。
「うん、わかった。心配かけちゃって、ごめんね」
あたしは、ベッドに突っ伏して泣きそうになっている絵摩ちゃんの背中をさすった。
「ところでさぁ、5時間目、相良がいなかったんだけど、アイツ、ひょっとして、ここにいたの…?」
勘の鋭い聖羅ちゃんが、怪訝そうな表情になって、辺りを見回す。

