〜秘密〜
あたしは、月に2度、婦人科に通っている。
思春期にはよくあるらしい、月経不順と、月経困難症と診断されてから、かれこれ一年程になる。
うちには近いけど、学校帰りに寄るには、少し遠い。
だから、いつも面倒になってしまう。
でも、行かないと、いざ月経がきた時に、薬が必要になる。
薬がないと、とんでもない事態を引き起こしてしまうのだ。
中学生の頃、月経中にムリに参加した体育の授業中、急に下腹部痛がひどくなり、その場に倒れ、救急車で病院に運ばれた事があった。
普段、地味で目立たず、友達もいなかったあたしが、そんな形で一気に学校中に噂になってしまった。
ただただ、恥ずかしかった。
でも、痛みは自分ではどうする事もできず、自分は無力だと思い知らされた。
その日は、朝からおかしいとは思っていたが、大して気にもせず、薬の持ち合わせもなかった。
この病気を侮ると、こんな仕打ちを受けてしまうのか…。
あたしはそれから、薬を、肌身離さず持ち歩く事にした。
普段地味なくせに、こんな時に目立って…。
そう、クラスや学年でも噂になっていたから、目立ちたがりグループからは目をつけられる存在になってしまった。
翌日から学校に行くのが怖くなってしまった。
クラスの女子からは冷たい目で見られるし、男子からは、笑いものにされた。
あたしの中学時代は、そんなものだった。
廊下に呼び出され、グチグチと小言のように責め立てられたりした。
だから…、高校は、皆が行かない所を志望した。
幸い、今の高校に入ったのは、同じ中学からは、全く面識のない男子二人と、女子はあたしだけだった。
もう、あんな思いは、したくない…。
だから、あたしは、たとえ通学に一時間かかっても、今の高校が良かった。
中学の暗黒時代の事は、秘密にしておきたかった。
あたしの通う学校には、校門の近くに、桜の木が植わっている。
受験の日、憧れと不安が入り混じった気持ちで校門をくぐった時、ふと、ある桜の木が目についた。
その木は、周りの木よりも、明らかに背が低かった。
なんだか、自分を見ているような気持ちになった。
その桜の木と、ふと目が合った気分になった。
だからあたしは、その木に、心で話しかけた。
(受験、頑張るね。もし受かったら、春に、またここで会おうね。約束ね)
少し背の低い桜の木は、微笑んで、頷いてあたしを見ていてくれた。
まるで、頑張ってね、と、背中を押してくれたような気がした。
だから、入学式の日、あの木に会えて、すごく嬉しかった。
満開の花をつけて、待っていてくれた。
あたしは、約束を果たす事ができた。
病院では、ホルモン注射と、痛み止めの処方。そして、エコー内診を行う。
注射の痛みにも、もう慣れてしまった。
病院が終わり、家路につく。
やっぱり、相良くんのあの、思いつめたイライラした顔が、頭から離れなかった。
あんな顔を見たのは、初めてだった。
怒っているわけではなかったと思う。
けど、明らかに、やるせない表情も、見せていた。
何か、一人で抱え込んでいる、悩みがあるのだろうか…?
相良くんの事が、なんでこんなに気になるのか、自分でもわからなかった。
恋では、ありませんように…。
そう、自分に言い聞かせていた。
臆病なあたしは、恋をする事すら、躊躇しているのだ。
あたしの、暗黒時代。
思い出すだけで、自分が嫌になる。
成績が特段良かったわけじゃない。
至って、平和主義だった。
争いごとはしたくなくて、いつも、自分の意見はクラスでは言わないようにしていた。
クラスには目立ちたがりグループがいたし、その子達に全て任せればあたしな何もしなくていい。
そう、なるべく目立たなく過ごすんだ。
そう自分に言い聞かせていた。
そんなあたしが気にいらなかったのか、目立ちたがりグループは、あたしを攻撃するようになった。
「ちょっとー。水島さんの意見がまだなんですけどー」
学園祭の出し物の時に、自分のクラスは何にするか、という議論の時だった。
「え、あの、あたしは……」
「まーあ、言ったところで、却下決定だけどねー」
彼女達は、そう言ってあたしを見下し、声高らかに笑った。
「水島さーん。日直代わりにやっといてー」
そんなのはしょっちゅうだった。
地味で目立たない、でも、優等生でもない。
そんな中途半端さが、自分でも嫌だった。
でも、彼女達に歯向かう勇気も根性もなかった。
断ろうものなら、放課後校庭に呼びだされ、水を頭からかぶせられた。
持ち物を盗まれた事もあったし、自分達の悪行をあたしのせいにされた事もある。
ある日なんかは、帰りにカバンを開けると、落ち葉が大量に突っ込んであった。
いつまでこんな、仕打ちを受けるのかな…。
あたし、何かしたのかな…。
悔しさと、悲しさと、怒りが入り混じった感情を抱きながら、無表情を装って、あたしは、それを校庭にそっと捨てた。
そんな、執拗な「イジメ」は、卒業間際まで続いた。
あたしはすごく恥ずかしい気持ちと、自分が情けない気持ちになったが、決して人前では泣かなかった。
自分に負けちゃ、終わりだ。
高校からは、絶対に変わるんだ。
あたしは、その強い決意だけで、暗黒時代を乗り切った。
そんな、執拗なイジメを、知らない人はいなかった。
また、目立ちたがりグループに係を押し付けられ、黒板を消していた時の事。
放課後の前の、一日の最後の黒板消しは、日直の仕事だった。
その後、先生に日誌を提出して、下校となる。
黒板を消した手をパンパンとはらい、座って日誌を広げて記入をしていた、その時だった。
「なあ」
ドアの方から、声が聞こえた。
あたしは幻聴でも聞いたのかと思い、びっくりして顔を上げた。
すると、そこには、クラスの男子が立っていた。
クラスでも爽やか系で人気の、大塚くんという男子だった。
気さくな性格で、愛想も誰にでも良い事は知っていた。
確か、部活は、バスケ部だったはず。
なのに、こんな時間に、何故教室なんかに…?
そんな疑問をぐるぐると頭の中で巡らせていると、大塚くんが、クスっと笑って近づいてきた。
「日誌、いつも大変だな」
「……え?」
「あ、俺、忘れ物取りに来ただけなんだけどさ」
「…………………そう」
やっぱり、あたしをバカにしているんだ。
わざわざそんな事、言わなくてもいいのに。
あたしの滑稽さが、際だってしまう。
これでも、必死に耐えているというのに。
あたしは、日誌に目を落とし、黙々と記入を続けた。
「ここのとこ、毎日じゃんか。手伝おっか?」
「………え?」
その瞬間、あたしの手が止まった。
「いっ、いいよ。部活でしょ?」
「実はさ、始まるまで自主練なんだけど、そこは自由参加なんだ。ホラ、俺3年だし」
「………………」
「大変そうだな、って思って、手伝いたいな、って思ったんだ。でも…照れくさくて。なかなか言い出せなくて、ごめんな」
そう言いながら、彼はあたしの隣の席に腰を下ろした。
あたしは、目が丸くなり、日誌を呆然と見つめ、手が震えているのが、自分でもわかった。
この人………、あたしが、最近毎日のように日直やらされてた事、気づいてくれてた…。
誰にも、そんな事言われた事なかったのに。
みんな、見てみぬフリして、そのうち、気にもとめなくなって…。
どうしたらいいのかわからず、固まったように動けなくなった。
大塚くんは、笑みを浮かべたまま、あたしから日誌をひょい、と奪った。
「どれ、貸してみ。二人でやった方が早いじゃん」
「………して………?」
「え?」
「ど………して…………こんな、事……」
それだけ、声を絞りだすのがやっとだった。
大塚くんは、キョトンとした顔をあたしに向けたが、すぐにいつもの爽やかな笑みを浮かべ、日誌を記入しながら言った。
「水島の事…見てたから。いつも、見てた」
………え………?
一瞬、思考が全停止した。
その言葉を、どう解釈したら良いのだろう…?
持っていたペンが、手からすり抜けて、机の下に落ちた。
「つーか、やたらめんどくせー。こんなんいつもびっしり書いてんの?水島、すげえなぁ」
ペンをひょいと拾い上げてくれた大塚くんが、記入しながらブツブツ呟いている。
その言葉の意味すら、まともには理解できなかった。
あたしは、お礼を言うのも忘れ、ただ呆気にとられて、あさっての方向を見ていた。
「…水島。これからはさ。一人で溜め込むなよ。オレ、手伝える時は手伝うからさ」
あたしの方を見ながら、爽やかにそんな照れくさい事を、いとも自然に彼は言った。
「………あ、ありがとう……」
「ん。今日のは書いといたぜ」
日誌を渡され、ハッと我にかえる。
「あたし…っ、先生に、コレ、出して帰るね!」
慌てて席を立ち、教室を飛び出し、走って職員室に向かった。
「水島!」
背後から呼び止められ、足が咄嗟に止まる。
「明日…一緒に帰らないか?部活、休みなんだ」
あたしは、振り返る事ができなかった。
こくん、と小さく頷いて、職員室まで走った。
家に帰ってからも、彼の言葉が、頭から離れなかった。
クラスでも人気が高い彼が、何故あたしにあんな事を…?
そもそも、あの言葉は、何?
ずっと見てた、って………。
女の子として、って、事………?
しかも、一緒に帰ろうだなんて…。
謎は深まるばかりだった。
が、ドキドキして、心臓が飛び出るのではないかと思う程だった。
結局、その夜は、マトモに眠れなかった。
それからというもの、あたしは大塚くんと一緒に帰る事が多くなった。
彼は日誌を書くのを手伝ってくれ、あたしが何かされそうになると、誘い出してその場から逃げ出させてくれた。
ただ、ひとつだけ、不思議に思っていた事があった。
あたしなんかと一緒にいたら、バカにされるに決まってる。
目立ちたがりグループの人達とはそんなに仲良さそうではなかったのに、何故なにもされないのか?
陰口を言っているのも、聞いた事がなかった。
疑念を持ちながらも、毎日のように一緒にいてくれる大塚くんに、あたしは、次第に想いを寄せて行った。
一度も、付き合おうとか、好きだとか、言われた事はなかったけれど、いつしか、彼女でいるような感覚に陥っていた。
携帯の連絡先も交換したし、毎日のようにLINEもしていた。
これが、恋というものか。
あたしは、生まれて初めて、恋をする事の喜びを、知った。
毎日が、キラキラ輝いて見える。
ドキドキして、ワクワクして、胸がきゅん、となって、体全体が、心臓になったみたいだった。
幸せだな、と思った。
……………その時は。
ある日の放課後、大塚くんと一緒に帰る約束はしていなかったが、彼の部活が終わるまで、待っていようと思った。
図書室で時間潰しをする事にしよう。
あたしは、鞄を持って、図書室に向かった。
大塚くん、びっくりするかな。
喜んでくれるかな?
そんな期待に胸を膨らませ、ワクワクした気持ちで本を手に取る。
無意識に、海外の恋愛小説を選んでしまっていた。
そんな自分に、赤面しながら、バレないようにうつむいて、テーブル席に腰掛ける。
ページをめくっていると、ふと、ペンケースを教室に忘れた事に気づいた。
鞄は、そのまま置いて行ってもいいかな…?
あたしは、一応図書委員に確認し、OKをもらって、急いで教室に向かった。
教室着くと、扉が少し開いていた。
中から、話し声も聞こえる。
誰か残っているみたいだ。
あの人達が、いなくなってからにしようかな…。
勢い良く扉を開けてしまって、目立つのが嫌だった。
一旦立ち去ろうとしたその時、聞きなれた声が耳に入ってきた。
あたしは、月に2度、婦人科に通っている。
思春期にはよくあるらしい、月経不順と、月経困難症と診断されてから、かれこれ一年程になる。
うちには近いけど、学校帰りに寄るには、少し遠い。
だから、いつも面倒になってしまう。
でも、行かないと、いざ月経がきた時に、薬が必要になる。
薬がないと、とんでもない事態を引き起こしてしまうのだ。
中学生の頃、月経中にムリに参加した体育の授業中、急に下腹部痛がひどくなり、その場に倒れ、救急車で病院に運ばれた事があった。
普段、地味で目立たず、友達もいなかったあたしが、そんな形で一気に学校中に噂になってしまった。
ただただ、恥ずかしかった。
でも、痛みは自分ではどうする事もできず、自分は無力だと思い知らされた。
その日は、朝からおかしいとは思っていたが、大して気にもせず、薬の持ち合わせもなかった。
この病気を侮ると、こんな仕打ちを受けてしまうのか…。
あたしはそれから、薬を、肌身離さず持ち歩く事にした。
普段地味なくせに、こんな時に目立って…。
そう、クラスや学年でも噂になっていたから、目立ちたがりグループからは目をつけられる存在になってしまった。
翌日から学校に行くのが怖くなってしまった。
クラスの女子からは冷たい目で見られるし、男子からは、笑いものにされた。
あたしの中学時代は、そんなものだった。
廊下に呼び出され、グチグチと小言のように責め立てられたりした。
だから…、高校は、皆が行かない所を志望した。
幸い、今の高校に入ったのは、同じ中学からは、全く面識のない男子二人と、女子はあたしだけだった。
もう、あんな思いは、したくない…。
だから、あたしは、たとえ通学に一時間かかっても、今の高校が良かった。
中学の暗黒時代の事は、秘密にしておきたかった。
あたしの通う学校には、校門の近くに、桜の木が植わっている。
受験の日、憧れと不安が入り混じった気持ちで校門をくぐった時、ふと、ある桜の木が目についた。
その木は、周りの木よりも、明らかに背が低かった。
なんだか、自分を見ているような気持ちになった。
その桜の木と、ふと目が合った気分になった。
だからあたしは、その木に、心で話しかけた。
(受験、頑張るね。もし受かったら、春に、またここで会おうね。約束ね)
少し背の低い桜の木は、微笑んで、頷いてあたしを見ていてくれた。
まるで、頑張ってね、と、背中を押してくれたような気がした。
だから、入学式の日、あの木に会えて、すごく嬉しかった。
満開の花をつけて、待っていてくれた。
あたしは、約束を果たす事ができた。
病院では、ホルモン注射と、痛み止めの処方。そして、エコー内診を行う。
注射の痛みにも、もう慣れてしまった。
病院が終わり、家路につく。
やっぱり、相良くんのあの、思いつめたイライラした顔が、頭から離れなかった。
あんな顔を見たのは、初めてだった。
怒っているわけではなかったと思う。
けど、明らかに、やるせない表情も、見せていた。
何か、一人で抱え込んでいる、悩みがあるのだろうか…?
相良くんの事が、なんでこんなに気になるのか、自分でもわからなかった。
恋では、ありませんように…。
そう、自分に言い聞かせていた。
臆病なあたしは、恋をする事すら、躊躇しているのだ。
あたしの、暗黒時代。
思い出すだけで、自分が嫌になる。
成績が特段良かったわけじゃない。
至って、平和主義だった。
争いごとはしたくなくて、いつも、自分の意見はクラスでは言わないようにしていた。
クラスには目立ちたがりグループがいたし、その子達に全て任せればあたしな何もしなくていい。
そう、なるべく目立たなく過ごすんだ。
そう自分に言い聞かせていた。
そんなあたしが気にいらなかったのか、目立ちたがりグループは、あたしを攻撃するようになった。
「ちょっとー。水島さんの意見がまだなんですけどー」
学園祭の出し物の時に、自分のクラスは何にするか、という議論の時だった。
「え、あの、あたしは……」
「まーあ、言ったところで、却下決定だけどねー」
彼女達は、そう言ってあたしを見下し、声高らかに笑った。
「水島さーん。日直代わりにやっといてー」
そんなのはしょっちゅうだった。
地味で目立たない、でも、優等生でもない。
そんな中途半端さが、自分でも嫌だった。
でも、彼女達に歯向かう勇気も根性もなかった。
断ろうものなら、放課後校庭に呼びだされ、水を頭からかぶせられた。
持ち物を盗まれた事もあったし、自分達の悪行をあたしのせいにされた事もある。
ある日なんかは、帰りにカバンを開けると、落ち葉が大量に突っ込んであった。
いつまでこんな、仕打ちを受けるのかな…。
あたし、何かしたのかな…。
悔しさと、悲しさと、怒りが入り混じった感情を抱きながら、無表情を装って、あたしは、それを校庭にそっと捨てた。
そんな、執拗な「イジメ」は、卒業間際まで続いた。
あたしはすごく恥ずかしい気持ちと、自分が情けない気持ちになったが、決して人前では泣かなかった。
自分に負けちゃ、終わりだ。
高校からは、絶対に変わるんだ。
あたしは、その強い決意だけで、暗黒時代を乗り切った。
そんな、執拗なイジメを、知らない人はいなかった。
また、目立ちたがりグループに係を押し付けられ、黒板を消していた時の事。
放課後の前の、一日の最後の黒板消しは、日直の仕事だった。
その後、先生に日誌を提出して、下校となる。
黒板を消した手をパンパンとはらい、座って日誌を広げて記入をしていた、その時だった。
「なあ」
ドアの方から、声が聞こえた。
あたしは幻聴でも聞いたのかと思い、びっくりして顔を上げた。
すると、そこには、クラスの男子が立っていた。
クラスでも爽やか系で人気の、大塚くんという男子だった。
気さくな性格で、愛想も誰にでも良い事は知っていた。
確か、部活は、バスケ部だったはず。
なのに、こんな時間に、何故教室なんかに…?
そんな疑問をぐるぐると頭の中で巡らせていると、大塚くんが、クスっと笑って近づいてきた。
「日誌、いつも大変だな」
「……え?」
「あ、俺、忘れ物取りに来ただけなんだけどさ」
「…………………そう」
やっぱり、あたしをバカにしているんだ。
わざわざそんな事、言わなくてもいいのに。
あたしの滑稽さが、際だってしまう。
これでも、必死に耐えているというのに。
あたしは、日誌に目を落とし、黙々と記入を続けた。
「ここのとこ、毎日じゃんか。手伝おっか?」
「………え?」
その瞬間、あたしの手が止まった。
「いっ、いいよ。部活でしょ?」
「実はさ、始まるまで自主練なんだけど、そこは自由参加なんだ。ホラ、俺3年だし」
「………………」
「大変そうだな、って思って、手伝いたいな、って思ったんだ。でも…照れくさくて。なかなか言い出せなくて、ごめんな」
そう言いながら、彼はあたしの隣の席に腰を下ろした。
あたしは、目が丸くなり、日誌を呆然と見つめ、手が震えているのが、自分でもわかった。
この人………、あたしが、最近毎日のように日直やらされてた事、気づいてくれてた…。
誰にも、そんな事言われた事なかったのに。
みんな、見てみぬフリして、そのうち、気にもとめなくなって…。
どうしたらいいのかわからず、固まったように動けなくなった。
大塚くんは、笑みを浮かべたまま、あたしから日誌をひょい、と奪った。
「どれ、貸してみ。二人でやった方が早いじゃん」
「………して………?」
「え?」
「ど………して…………こんな、事……」
それだけ、声を絞りだすのがやっとだった。
大塚くんは、キョトンとした顔をあたしに向けたが、すぐにいつもの爽やかな笑みを浮かべ、日誌を記入しながら言った。
「水島の事…見てたから。いつも、見てた」
………え………?
一瞬、思考が全停止した。
その言葉を、どう解釈したら良いのだろう…?
持っていたペンが、手からすり抜けて、机の下に落ちた。
「つーか、やたらめんどくせー。こんなんいつもびっしり書いてんの?水島、すげえなぁ」
ペンをひょいと拾い上げてくれた大塚くんが、記入しながらブツブツ呟いている。
その言葉の意味すら、まともには理解できなかった。
あたしは、お礼を言うのも忘れ、ただ呆気にとられて、あさっての方向を見ていた。
「…水島。これからはさ。一人で溜め込むなよ。オレ、手伝える時は手伝うからさ」
あたしの方を見ながら、爽やかにそんな照れくさい事を、いとも自然に彼は言った。
「………あ、ありがとう……」
「ん。今日のは書いといたぜ」
日誌を渡され、ハッと我にかえる。
「あたし…っ、先生に、コレ、出して帰るね!」
慌てて席を立ち、教室を飛び出し、走って職員室に向かった。
「水島!」
背後から呼び止められ、足が咄嗟に止まる。
「明日…一緒に帰らないか?部活、休みなんだ」
あたしは、振り返る事ができなかった。
こくん、と小さく頷いて、職員室まで走った。
家に帰ってからも、彼の言葉が、頭から離れなかった。
クラスでも人気が高い彼が、何故あたしにあんな事を…?
そもそも、あの言葉は、何?
ずっと見てた、って………。
女の子として、って、事………?
しかも、一緒に帰ろうだなんて…。
謎は深まるばかりだった。
が、ドキドキして、心臓が飛び出るのではないかと思う程だった。
結局、その夜は、マトモに眠れなかった。
それからというもの、あたしは大塚くんと一緒に帰る事が多くなった。
彼は日誌を書くのを手伝ってくれ、あたしが何かされそうになると、誘い出してその場から逃げ出させてくれた。
ただ、ひとつだけ、不思議に思っていた事があった。
あたしなんかと一緒にいたら、バカにされるに決まってる。
目立ちたがりグループの人達とはそんなに仲良さそうではなかったのに、何故なにもされないのか?
陰口を言っているのも、聞いた事がなかった。
疑念を持ちながらも、毎日のように一緒にいてくれる大塚くんに、あたしは、次第に想いを寄せて行った。
一度も、付き合おうとか、好きだとか、言われた事はなかったけれど、いつしか、彼女でいるような感覚に陥っていた。
携帯の連絡先も交換したし、毎日のようにLINEもしていた。
これが、恋というものか。
あたしは、生まれて初めて、恋をする事の喜びを、知った。
毎日が、キラキラ輝いて見える。
ドキドキして、ワクワクして、胸がきゅん、となって、体全体が、心臓になったみたいだった。
幸せだな、と思った。
……………その時は。
ある日の放課後、大塚くんと一緒に帰る約束はしていなかったが、彼の部活が終わるまで、待っていようと思った。
図書室で時間潰しをする事にしよう。
あたしは、鞄を持って、図書室に向かった。
大塚くん、びっくりするかな。
喜んでくれるかな?
そんな期待に胸を膨らませ、ワクワクした気持ちで本を手に取る。
無意識に、海外の恋愛小説を選んでしまっていた。
そんな自分に、赤面しながら、バレないようにうつむいて、テーブル席に腰掛ける。
ページをめくっていると、ふと、ペンケースを教室に忘れた事に気づいた。
鞄は、そのまま置いて行ってもいいかな…?
あたしは、一応図書委員に確認し、OKをもらって、急いで教室に向かった。
教室着くと、扉が少し開いていた。
中から、話し声も聞こえる。
誰か残っているみたいだ。
あの人達が、いなくなってからにしようかな…。
勢い良く扉を開けてしまって、目立つのが嫌だった。
一旦立ち去ろうとしたその時、聞きなれた声が耳に入ってきた。

