そして、その目を見て静かに頷いた。
先生は、小声であたしに話した。
「彼に、前に介抱してもらった事があったわね?あなた」
「はい…」
「彼女さんか何か?」
「え…?」
「あ、ごめんなさいね。ぶしつけだったわね」
先生はそう笑いながら言うと、リュウくんが寝ているベッドの方を見やって、そっと言った。
「じゃあ、彼の今の状態は、知ってるのね?」
今の状態?
どういう事だろう。
病気の事は知っているけど…。
あたしは何の事だかわからず、首を少し傾げた。
「まあ、いいわ。彼の病気の事と、発作的な症状の事は、学校側の人間しか知らないのよ。口外しないように、と、彼本人と、彼のご両親の意向でね」
「それは…知ってます」
「それなら、話が早いわ。彼、今みたいに発作を起こした事があってね。だから少し心配してて。で、苦しくなったらいつでもいらっしゃい、って言ってあったの」
「そうなんですか…」
「だから、今日もここに駆け込んできたのね。クラスのみんなには内緒だから、そこでこんな風になるわけにいかなかったんでしょう」
あたしは先生の話を聞きながら、頷いた。
それもそうだ。
どんなに苦しくても、彼はいつも平然と、元気そうに振舞っていた。
そうするしかなかったのだ。
だから、苦しくなったらここに来るしか選択肢はない。
それか、早退だ。
でも、早退したら、あたしと…。
そこまで考えて、あたしははっとした。
リュウくんは、あたしのために、無理を押して退院したんじゃないか?
あたしにまた、毎日会うために。
都合の良い、己惚れた考えかも知れない。
けれど、それが一番、あたしにとって合点がいく思考だった。
今までの彼のあたしに対する態度を見ていれば、大体わかる。
だからあたしも、こういう思考に至ったのだ。
毎日連絡もくれていたし、逢いたい、と言ってくれた。
それを、全部、信じたかった。
でも、そのためだとしたら…。
あたしがいるせいで、彼を苦しめているんだとしたら。
あたしは…。
そんな事を俯いて一人で悶々と考えていると、先生が突然、
「今って、一年生は、HRの時間よね?」
「あ、はい」
「担任にはあたしから言っておくから、あなた、彼に付き添っててあげてくれない?」
「はい?…いいんですか?」
「あたしね、今から会議に出なくちゃいけなくて。職員会議があるのよ。2年生の修学旅行の件でね」
「あ、そうなんですね」
「そこにあたしも同行するから、外せなくて。他にも誰か来るかも知れないし、留守番しといてくれると助かるわ」
「そんな事…担任の先生が、許してくれるでしょうか…」
「あたしから話せば大丈夫じゃない?だって、この事知ってるの、あなたしかいないのよ。水島さん」
あ、あたしの名前…。
あの時覚えられたに違いない。
あたしは、その嬉しい申し出を、受ける事にした。
「HRは基本全員参加だけど、あなた、抜け出してきたんでしょ?それなら、あなたも参加しなくても良いと思った、って事よね?それよりも、相良くんの方が大事だって」
あたしは図星を突かれ、顔が赤くなって俯いてしまった。
先生はふふっ、と笑って、あたしの肩をぽんぽん、と叩いて言った。
「大丈夫。何かあったら、あたしのPHS鳴らして。そこの内線から。番号は書いてあるから」
「わかりました…」
あたしは頷き、先生は何やらデスクから書類を束ねて、ファイルに入れ、筆記用具を持って出て行った。
こうして、ここにいるのは、今は、あたしとリュウくんだけになった。
あたしは、他に誰もいないその空間に、妙に緊張していた。
とは言っても、ここは学校だ。
何も起きるはずが…無い、はずだ…。
リュウくんの突発的な行動は、いつも予測不可能だ。
だから、今回もあたしは警戒していた。
でも、リュウくん今は寝ているし…。
心配だから、様子だけ見に行こう。
あたしは、彼が寝ていると思われる、カーテンを引かれたベッドにそおっと近づこうとした。
…いやいや、やめておこう。
もし本当に眠っているとしたら、起こしてしまっては申し訳ない。
あたしに今、できる事は…。
リュウくんが目を覚ました時に、傍にいてあげる事。
だから、ここで待っていよう。
あたしは、そう決めた。
保健の先生のデスクの近くに、丸椅子があった。
あたしはそれに腰かけ、ポケットに忍ばせていた携帯を開いてみた。
リュウくんからのLINEは当然ないが、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんからLINEが入っていた。
『大輪花、相良と一緒にいるんでしょ?』
『HR戻って来れそうになかったら、いいからね。あたしたちが、何とかしとくよ』
そう交互に、グループラインに入っていた。
あたしはそれに、
『うん。ありがとう』
とだけ、返信しておいた。
携帯を閉じ、辺りを見回す。
リュウくん、ひょっとしたら、熱があるかも知れないな。
息が上がっているのが見えたから。
あたしは洗面器を探し、それに水を入れ、近くに干してあったタオルを浸す。
近くに体温計も準備し、熱があっても看病できる体制は整えておいた。
もしかしたら、気分が悪いかも知れない。
突然の嘔吐に備え、それ用の袋を探し出し、それも近くに置いておいた。
それから…。
あたしは、先生が片付け忘れた様々な書類、教科書、筆記用具などを、デスクから仲間を探し出し、そこにしまっておいた。
ついでに、掃除もしようかな。
掃除用具箱からモップを取り出し、それを床全体にかけ始めた。
窓も拭いておこう。
同じく用具箱にあった雑巾も濡らし、それで窓を拭いた。
そうこうしていると、突然、カーテンが開いた。
「…センセ?」
リュウくんが寝ぼけながら、そう言う。
意識はまだ、朦朧としているようだった。
あたしを先生と勘違いしている。
こんな時、どう答えたら良いのかわからず、あたしはただにっこりして、リュウくんを見た。
「気が付いた?」
「大輪花…?」
声を出すと流石に気づいたらしく、彼はガバッとベッドから飛び出た。
「だめだよ!まだ寝てないと…」
あたしはふらつくリュウくんを、両腕で支える。
「まだヨロヨロじゃない。もう少し寝てなよ」
そのままベッドまで連れて行き、カーテンの向こうに連れ戻した。
ベッドに横たわらせる事は出来なかったが、なんとか座らせる事はできた。
リュウくんは抜け殻になったかのように、おとなしく、あたしの言う事を聞き、黙ってベッドに腰かけた。
「また、薬忘れたの?」
「……そう」
「そっか…。ちゃんと、普段は飲んでるんだよね?」
「ちゃんと飲んでる」
青ざめた表情に回復の傾向が見られないまま、彼は視線を足元に落としながら答えた。
今日は随分としおらしい。
いつもの迫力がなく、あたしと彼はまるで形成逆転したかのようになっていた。
覇気が無く、ぐったりとしている様は、見ていて痛々しかった。
「リュウくん、本当の事、言って」
「…何?」
「ほんとは、入院…もっと長引く予定だったんじゃないの…?」
彼は無言で俯いたまま、目も合わせず、顔を動かそうとはしなかった。
その様子から、あたしはそれが図星なんだな、と察知した。
「だめじゃない…。ちゃんと、良くなる為に、入院したんでしょ…?」
「…そうだけど…」
まるで聞き分けの無い子どものように、彼は口を尖らせ、そう、拗ねて見せた。
あたしはため息を一つつき、彼を諭すように言った。
「あたしは、リュウくんの、元気な姿が見たいよ。一刻も早く元気になって欲しい。だから、ちゃんと、良くなるまで病院にいて欲しかった…」
あくまで怒らず、怒りを露わにせず。
小さい子をなだめるように、優しく言い聞かせるように。
あたしはリュウくんに、そう、言った。
いつもなら、反論してくるはずのリュウくんが、きょうは何故か黙ったまま、あたしの言う事を俯きながら聞いていた。
変だな。
いつものリュウくんじゃない。
あたしは少しばかりの不安を覚えたが、あたしの気持ちや考えが少しでも伝わっているなら、それで良いと思った。
それ以上は、何も、言うまいと。
「あたしが言いたいのは、それだけだよ。怒ってもいないし、怒るつもりもない。わかったような口きいて、ごめん」
あたしはそう言うと、少しリュウくんに寝ていて欲しかった為、カーテンの向こうに戻る事にした。
「今日はあたしが先生の代わりにお留守番なんだ。だから、そっちにいるね。何かあったら、声かけて」
そう言って、腰を上げ、カーテンを閉めようとした。
その時。
突然、背を向けたリュウくんに背後から、ぎゅっと抱きしめられた。
その力は強く、ぐったりしているのにどこにそんな力があるのか、と思うぐらいだった。
その強さで、彼のあたしに対する愛情の深さが、伝わってくるようだった。
「離れないで…」
「…え?」
「頼むから…」
そう、懇願する彼は、少しではあるが、震えていた。
「怖いんだ。すごく。自分がどうなっちまうのか、自分は今、どうなってるのか。わかんなくて、怖い…」
そんな弱気な発言を彼の口から聞いたのは、あたしは、初めてだった。
彼でも、あんな気丈に振舞っているリュウくんでも、こんなに弱気になる事があるんだ…。
あたしは、彼もまた、一人の弱い人間なんだ、という事を再認識させられた。
その手をギュっと握り、ポンポン、と叩きながら、
「大丈夫、大丈夫」
そう、おまじないのように呟いた。
あたしに見えないように、リュウくんは泣いているようだった。
声にならない嗚咽のようなものが、少しだけ、聞こえて来た。
あたしは、敢えてそっちを見なかった。
見て欲しくないと思ったし、そんなのはリュウくんのプライドが許さないだろう。
あくまで、気丈に振舞っていたいんじゃないか、という勝手なあたしの想像ではあるが、そのままの体制でいる事にした。
「…オレから離れるの、禁止」
と、小さな声で、いつものようなリュウくんの声が聞こえて来た。
耳元でそっと、囁くようではあったが、いつものリュウくんらしい、言い回しだった。
あたしは一瞬、ドキッとしてしまった。
ビクッと身体が反応し、きっとリュウくんにも、それは間違いなく伝わってしまっていた。
「…え?」
なるべく平静を装いながら、あたしは言った。
「オレ専属の保健のセンセ、だろ?」
意地悪そうに、悪戯っぽく、少し笑みを浮かべている表情は、安易に想像がついた。
あたしは何と返したら良いのかわからず、ただリュウくんにされるがままになっていた。
と、そこへ、保健の先生が戻ってきた。
あたしたちは急いで離れたが、気づかれてはいないようだった。
奥のベッドの事までは、目が行き届いていない様子だった。
ホッとしたと同時に、あたしは急いでカーテンを閉め、先生の元へと行った。
「お留守番ありがとう。何も変わりはなかった?」
「はい。掃除、しておきました」
「そう。助かるわ。ありがとう。で、彼は?」
「あ、今寝てます」
「そっか。特段変わった様子は無かった?」
「はい。寝言を言っていたくらいで…」
「寝言?」
その言葉に、先生の表情がにわかに曇った。
「うなされてた、とかではなく?」
「…?はい」
「そう、それならいいんだけど…」
先生ははぁ、とため息を一つつき、デスクの椅子に腰かけた。
「あの…先生?」
「水島さんには、話しておくわね」
先生はそう意味深な表情を浮かべ、あたしに言った。
なんだろう?
あたしは聞くのが急に怖くなったが、そのまま先生の話を待った。
「彼ね、うなされる時があるんですって。ご両親が言ってたわ。それは、危険な前兆だから、すぐに連絡が欲しいそうよ」
危険な前兆?
それは、どういう意味なんだろう?
あたしはよく意味がわからなかった。
するとそれを察知したかのように、先生はあたしの目を見て、言った。
「彼は…突発性の発作を起こす、危険性があるという事よ」
それが、何を意味するのかは、あたしにはわからなかった。
すると先生は、こう付け加えた。
「彼が本物の発作を起こした時…、その時は、命に危険が及ぶかも知れない」
先生は、小声であたしに話した。
「彼に、前に介抱してもらった事があったわね?あなた」
「はい…」
「彼女さんか何か?」
「え…?」
「あ、ごめんなさいね。ぶしつけだったわね」
先生はそう笑いながら言うと、リュウくんが寝ているベッドの方を見やって、そっと言った。
「じゃあ、彼の今の状態は、知ってるのね?」
今の状態?
どういう事だろう。
病気の事は知っているけど…。
あたしは何の事だかわからず、首を少し傾げた。
「まあ、いいわ。彼の病気の事と、発作的な症状の事は、学校側の人間しか知らないのよ。口外しないように、と、彼本人と、彼のご両親の意向でね」
「それは…知ってます」
「それなら、話が早いわ。彼、今みたいに発作を起こした事があってね。だから少し心配してて。で、苦しくなったらいつでもいらっしゃい、って言ってあったの」
「そうなんですか…」
「だから、今日もここに駆け込んできたのね。クラスのみんなには内緒だから、そこでこんな風になるわけにいかなかったんでしょう」
あたしは先生の話を聞きながら、頷いた。
それもそうだ。
どんなに苦しくても、彼はいつも平然と、元気そうに振舞っていた。
そうするしかなかったのだ。
だから、苦しくなったらここに来るしか選択肢はない。
それか、早退だ。
でも、早退したら、あたしと…。
そこまで考えて、あたしははっとした。
リュウくんは、あたしのために、無理を押して退院したんじゃないか?
あたしにまた、毎日会うために。
都合の良い、己惚れた考えかも知れない。
けれど、それが一番、あたしにとって合点がいく思考だった。
今までの彼のあたしに対する態度を見ていれば、大体わかる。
だからあたしも、こういう思考に至ったのだ。
毎日連絡もくれていたし、逢いたい、と言ってくれた。
それを、全部、信じたかった。
でも、そのためだとしたら…。
あたしがいるせいで、彼を苦しめているんだとしたら。
あたしは…。
そんな事を俯いて一人で悶々と考えていると、先生が突然、
「今って、一年生は、HRの時間よね?」
「あ、はい」
「担任にはあたしから言っておくから、あなた、彼に付き添っててあげてくれない?」
「はい?…いいんですか?」
「あたしね、今から会議に出なくちゃいけなくて。職員会議があるのよ。2年生の修学旅行の件でね」
「あ、そうなんですね」
「そこにあたしも同行するから、外せなくて。他にも誰か来るかも知れないし、留守番しといてくれると助かるわ」
「そんな事…担任の先生が、許してくれるでしょうか…」
「あたしから話せば大丈夫じゃない?だって、この事知ってるの、あなたしかいないのよ。水島さん」
あ、あたしの名前…。
あの時覚えられたに違いない。
あたしは、その嬉しい申し出を、受ける事にした。
「HRは基本全員参加だけど、あなた、抜け出してきたんでしょ?それなら、あなたも参加しなくても良いと思った、って事よね?それよりも、相良くんの方が大事だって」
あたしは図星を突かれ、顔が赤くなって俯いてしまった。
先生はふふっ、と笑って、あたしの肩をぽんぽん、と叩いて言った。
「大丈夫。何かあったら、あたしのPHS鳴らして。そこの内線から。番号は書いてあるから」
「わかりました…」
あたしは頷き、先生は何やらデスクから書類を束ねて、ファイルに入れ、筆記用具を持って出て行った。
こうして、ここにいるのは、今は、あたしとリュウくんだけになった。
あたしは、他に誰もいないその空間に、妙に緊張していた。
とは言っても、ここは学校だ。
何も起きるはずが…無い、はずだ…。
リュウくんの突発的な行動は、いつも予測不可能だ。
だから、今回もあたしは警戒していた。
でも、リュウくん今は寝ているし…。
心配だから、様子だけ見に行こう。
あたしは、彼が寝ていると思われる、カーテンを引かれたベッドにそおっと近づこうとした。
…いやいや、やめておこう。
もし本当に眠っているとしたら、起こしてしまっては申し訳ない。
あたしに今、できる事は…。
リュウくんが目を覚ました時に、傍にいてあげる事。
だから、ここで待っていよう。
あたしは、そう決めた。
保健の先生のデスクの近くに、丸椅子があった。
あたしはそれに腰かけ、ポケットに忍ばせていた携帯を開いてみた。
リュウくんからのLINEは当然ないが、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんからLINEが入っていた。
『大輪花、相良と一緒にいるんでしょ?』
『HR戻って来れそうになかったら、いいからね。あたしたちが、何とかしとくよ』
そう交互に、グループラインに入っていた。
あたしはそれに、
『うん。ありがとう』
とだけ、返信しておいた。
携帯を閉じ、辺りを見回す。
リュウくん、ひょっとしたら、熱があるかも知れないな。
息が上がっているのが見えたから。
あたしは洗面器を探し、それに水を入れ、近くに干してあったタオルを浸す。
近くに体温計も準備し、熱があっても看病できる体制は整えておいた。
もしかしたら、気分が悪いかも知れない。
突然の嘔吐に備え、それ用の袋を探し出し、それも近くに置いておいた。
それから…。
あたしは、先生が片付け忘れた様々な書類、教科書、筆記用具などを、デスクから仲間を探し出し、そこにしまっておいた。
ついでに、掃除もしようかな。
掃除用具箱からモップを取り出し、それを床全体にかけ始めた。
窓も拭いておこう。
同じく用具箱にあった雑巾も濡らし、それで窓を拭いた。
そうこうしていると、突然、カーテンが開いた。
「…センセ?」
リュウくんが寝ぼけながら、そう言う。
意識はまだ、朦朧としているようだった。
あたしを先生と勘違いしている。
こんな時、どう答えたら良いのかわからず、あたしはただにっこりして、リュウくんを見た。
「気が付いた?」
「大輪花…?」
声を出すと流石に気づいたらしく、彼はガバッとベッドから飛び出た。
「だめだよ!まだ寝てないと…」
あたしはふらつくリュウくんを、両腕で支える。
「まだヨロヨロじゃない。もう少し寝てなよ」
そのままベッドまで連れて行き、カーテンの向こうに連れ戻した。
ベッドに横たわらせる事は出来なかったが、なんとか座らせる事はできた。
リュウくんは抜け殻になったかのように、おとなしく、あたしの言う事を聞き、黙ってベッドに腰かけた。
「また、薬忘れたの?」
「……そう」
「そっか…。ちゃんと、普段は飲んでるんだよね?」
「ちゃんと飲んでる」
青ざめた表情に回復の傾向が見られないまま、彼は視線を足元に落としながら答えた。
今日は随分としおらしい。
いつもの迫力がなく、あたしと彼はまるで形成逆転したかのようになっていた。
覇気が無く、ぐったりとしている様は、見ていて痛々しかった。
「リュウくん、本当の事、言って」
「…何?」
「ほんとは、入院…もっと長引く予定だったんじゃないの…?」
彼は無言で俯いたまま、目も合わせず、顔を動かそうとはしなかった。
その様子から、あたしはそれが図星なんだな、と察知した。
「だめじゃない…。ちゃんと、良くなる為に、入院したんでしょ…?」
「…そうだけど…」
まるで聞き分けの無い子どものように、彼は口を尖らせ、そう、拗ねて見せた。
あたしはため息を一つつき、彼を諭すように言った。
「あたしは、リュウくんの、元気な姿が見たいよ。一刻も早く元気になって欲しい。だから、ちゃんと、良くなるまで病院にいて欲しかった…」
あくまで怒らず、怒りを露わにせず。
小さい子をなだめるように、優しく言い聞かせるように。
あたしはリュウくんに、そう、言った。
いつもなら、反論してくるはずのリュウくんが、きょうは何故か黙ったまま、あたしの言う事を俯きながら聞いていた。
変だな。
いつものリュウくんじゃない。
あたしは少しばかりの不安を覚えたが、あたしの気持ちや考えが少しでも伝わっているなら、それで良いと思った。
それ以上は、何も、言うまいと。
「あたしが言いたいのは、それだけだよ。怒ってもいないし、怒るつもりもない。わかったような口きいて、ごめん」
あたしはそう言うと、少しリュウくんに寝ていて欲しかった為、カーテンの向こうに戻る事にした。
「今日はあたしが先生の代わりにお留守番なんだ。だから、そっちにいるね。何かあったら、声かけて」
そう言って、腰を上げ、カーテンを閉めようとした。
その時。
突然、背を向けたリュウくんに背後から、ぎゅっと抱きしめられた。
その力は強く、ぐったりしているのにどこにそんな力があるのか、と思うぐらいだった。
その強さで、彼のあたしに対する愛情の深さが、伝わってくるようだった。
「離れないで…」
「…え?」
「頼むから…」
そう、懇願する彼は、少しではあるが、震えていた。
「怖いんだ。すごく。自分がどうなっちまうのか、自分は今、どうなってるのか。わかんなくて、怖い…」
そんな弱気な発言を彼の口から聞いたのは、あたしは、初めてだった。
彼でも、あんな気丈に振舞っているリュウくんでも、こんなに弱気になる事があるんだ…。
あたしは、彼もまた、一人の弱い人間なんだ、という事を再認識させられた。
その手をギュっと握り、ポンポン、と叩きながら、
「大丈夫、大丈夫」
そう、おまじないのように呟いた。
あたしに見えないように、リュウくんは泣いているようだった。
声にならない嗚咽のようなものが、少しだけ、聞こえて来た。
あたしは、敢えてそっちを見なかった。
見て欲しくないと思ったし、そんなのはリュウくんのプライドが許さないだろう。
あくまで、気丈に振舞っていたいんじゃないか、という勝手なあたしの想像ではあるが、そのままの体制でいる事にした。
「…オレから離れるの、禁止」
と、小さな声で、いつものようなリュウくんの声が聞こえて来た。
耳元でそっと、囁くようではあったが、いつものリュウくんらしい、言い回しだった。
あたしは一瞬、ドキッとしてしまった。
ビクッと身体が反応し、きっとリュウくんにも、それは間違いなく伝わってしまっていた。
「…え?」
なるべく平静を装いながら、あたしは言った。
「オレ専属の保健のセンセ、だろ?」
意地悪そうに、悪戯っぽく、少し笑みを浮かべている表情は、安易に想像がついた。
あたしは何と返したら良いのかわからず、ただリュウくんにされるがままになっていた。
と、そこへ、保健の先生が戻ってきた。
あたしたちは急いで離れたが、気づかれてはいないようだった。
奥のベッドの事までは、目が行き届いていない様子だった。
ホッとしたと同時に、あたしは急いでカーテンを閉め、先生の元へと行った。
「お留守番ありがとう。何も変わりはなかった?」
「はい。掃除、しておきました」
「そう。助かるわ。ありがとう。で、彼は?」
「あ、今寝てます」
「そっか。特段変わった様子は無かった?」
「はい。寝言を言っていたくらいで…」
「寝言?」
その言葉に、先生の表情がにわかに曇った。
「うなされてた、とかではなく?」
「…?はい」
「そう、それならいいんだけど…」
先生ははぁ、とため息を一つつき、デスクの椅子に腰かけた。
「あの…先生?」
「水島さんには、話しておくわね」
先生はそう意味深な表情を浮かべ、あたしに言った。
なんだろう?
あたしは聞くのが急に怖くなったが、そのまま先生の話を待った。
「彼ね、うなされる時があるんですって。ご両親が言ってたわ。それは、危険な前兆だから、すぐに連絡が欲しいそうよ」
危険な前兆?
それは、どういう意味なんだろう?
あたしはよく意味がわからなかった。
するとそれを察知したかのように、先生はあたしの目を見て、言った。
「彼は…突発性の発作を起こす、危険性があるという事よ」
それが、何を意味するのかは、あたしにはわからなかった。
すると先生は、こう付け加えた。
「彼が本物の発作を起こした時…、その時は、命に危険が及ぶかも知れない」

