全国統一模試から、2週間が経った。
リュウくんは、まだ入院していた。
あれから、何となく病院に行きづらくなり、お見舞いを避けていた。
が、一週間経過した頃、リュウくんから連絡があった。
『なんで、来てくれねーの?そろそろ顔見たい』
あたしはホッと胸をなでおろした。
彼はもう、怒ってはいない。
あたしは、学校が終わったら直行すると、彼にLINEを返し、その日は登校した。
病室に着くと、彼はいつもより顔色も良く、元気そうに見えた。
ただ、以前よりも若干、痩せていた。
長引く入院生活のせいだろう。
あたしは心配もあったが、何より、リュウくんに逢えた事の嬉しさの方が勝ってしまっていた。
リュウくんは、以前と変わらない笑顔で、「よぉ」と言ってあたしを迎えてくれた。
「大丈夫?寝てなくて」
「ああ。今日は調子が良くて」
「良かった。ちゃんと、食事してる?」
「できるだけ食うようにはしてる。けど、病院メシは口に合わねぇよ。だから、明日からなんか差し入れ持ってきて」
「え?何を?」
「大輪花の手料理がいいなー」
悪戯っぽくそう言い、二カッと歯を見せて笑う彼は、まるで子どものようだ。
「え?あたしが作ったやつでいいの?」
「弁当にして。食いて」
「いいけど…口に合うかどうか」
料理の腕前にも自信がないあたしは、そう言葉を濁した。
「大輪花が作ったもん食ったら元気になるかも」
「調子の良い事ばっか言って。逆に、食中毒になるかもよ?」
「げ、そりゃないぜ。食材の賞味期限は確認しろよな」
「はいはい。そのへんは大丈夫」
何気ない、リュウくんのささやかな我儘。
いつもと変わらない、楽しい会話。
こんな時間を過ごしたのは、随分と久しぶりな気がしていた。
あたしは、リュウくんに謝らなければ、と思っていたのだけれど。
そんな決心を鈍らせてしまうかのような、楽しい時間。
それを、壊したくなかった。
でも、こないだの事は、きちんと謝らなきゃ。
あたしは、リュウくんの言葉を信じると決めたのだ。
もう、あれこれ勝手に詮索して、自分を不安に追いやる事はやめようと。
リュウくんが言うのだから、そうなのだろう。
それが、真実なのだ。
確認できる術は今の所は存在しない。
でも、彼が真実だと言えば、真実になる。
そんな気がした。
でも、やっぱり…
「あの、リュウくん」
あたしが声をかけると同時くらいに、彼が口を開いた。
「こないだは…悪かったな」
「え…?」
なんで、リュウくんが謝るの?
聞かれたくない事を聞かれて、自分の言葉を疑われて、謝らなければならないのは、あたしの方なのに…。
「お前の言ってる事も、よくわかってさ。つい、イライラしちまったんだ。あの後、また検査もあって。だから…」
「ううん。いいの。あたしの方が、ごめんね、だよ」
しょぼん、と元気なくなってしまったリュウくんの肩を叩いて、あたしは言った。
と、その瞬間、その手を掴まれた。
「今…なるべく触らないでくんない?」
「え?どうして?」
きょとんとしてあたしが尋ねると、彼は、
「全く鈍いやつだな」
そう言って、顔をぐいっと近づけた。
「こう、したくなるの、我慢してんだから…」
そして、何か言葉を発しようとしたあたしの唇を、自分のそれで塞いだ。
一瞬頭が真っ白になり、息ができなくなった。
神社でしたキスとは全然違う、熱のこもった、キス。
そんなのは、頭の中の妄想でしか、経験した事がなかった。
そしてそれと同時に、彼の手があたしの身体を這い始める。
あたしは何も考えられなくなった。
が、次の瞬間、はっと我に返った。
「だ…だめっ!」
そう言って、彼の身体を自分から突き放してしまっていた。
リュウくんは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「そっか。そうだよな。こんなところで…ごめん」
「違うの!リュウくんが悪いわけじゃなくて…その…」
あたしは、どことなく寂し気な笑顔を浮かべる彼に、慌てて弁解した。
本当に、そうではないのだ。
ただ…
「あたし…そういう事、した事、ないから…」
恥ずかしさで体が熱くなった。
恥ずかしすぎて、その場から走り去りたかった。
穴があったら入ってしまいたい、とは、こんな心境の事を言うのだろう。
彼は一瞬目を丸くしたが、プッと吹き出して笑い始めた。
「な…何か、あたし、おかしな事でも…?」
「…いや。悪い。そっか、そうなんだ。それ、なんか嬉しい」
そう言って、今度はあたしの身体を強く抱きしめた。
「ごめんな。そんな事にも気づいてやれなくて…」
あたしは何を言ったらいいのかわからず、黙って彼の腕の中にいる事しかできなかった。
あたしには、縁遠いものだと思っていた。
だから、何も知らないまま、今日まで来てしまった。
完全に、あたしの勉強不足だ。
保健体育の授業で、そのような行為を学んだ事はある。
でも、それだけの知識しか、あたしは持ち合わせていなかった。
あたしは一人っ子で兄弟はいないし、だから、情報の共有をする事もできない。
親になど、聞けるはずはなかった。
何せ、小さい頃は、本当にあたしはコウノトリが運んできた、と思い込んで疑わなかったくらいだ。
次第に、何故、鳥が運んできたのに、こんなに親に似ているんだろう、と疑問に感じ、母に聞いたところ、母は母子手帳と、あたしのへその緒を見せてくれた。
それで、ああ、あたしは母のお腹の中にいたんだな、という事実を初めて知った。
その為の行為、という認識しかあたしにはなく、結婚してからするのが普通だろう、とぐらいにしか思っていなかった。
だから、こんなにも早く、その日が訪れる事になるかも知れない事を、知らなかったのだ。
当然、心の準備もしていなかった。
リュウくんはそれを察知してくれたらしく、あたしの頭をポンポン、と撫でてくれた。
「焦らないでいこうな。ゆっくり。オレも体調それどころじゃねーし。大輪花に合わせるから」
囁くような口調で、あたしの耳元でそう優しく言ってくれた。
あたしは、恐る恐る頷いた。
やはり、経験した事がない事に足を踏み入れるのは、とても勇気がいるし、少し怖い。
でも、リュウくんなら、きっと大丈夫。
そんな漠然とした安心感は、どこかで持っていた。
その日が来ても、ちゃんと応えられるように。
あたしは、心と身体の準備だけをしておこう。
あたしはその時、そう決めた。
結局、「あの話」には触れなかった。
触れて欲しくはない事は、明らかだった。
あたしは敢えて何も言わず、聞かず、その日を過ごした。
この幸せな気分をぶち壊したくない。
心のどこかで漠然とした、形のない不安に襲われながらも、あたしはそう、今この時間をしっかりと嚙み締めようと思った。
その頃、学校では、三者面談が控えていた。
月末に模試の結果を元に三者面談が行われた。
あたしは、母と参加したが、その時、希望大学には、まだ十分に合格の余地があると言われ、二人でホッと胸を撫でおろした。
それはどちらも国立大学だったからだ。
私大になると、莫大な学費がかかるが、国立はそうでもない。
あたしは、そこにかろうじてひっかかかる程度ではあるが、今のままをキープすれば、充分に合格するラインらしかった。
それをいの一番に、リュウくんに報告した。
すると、
『よかったな。でも、勝負はこれからだ。気抜くなよ』
そんな、リュウくんらしい厳しい返信が返ってきた。
あたしはその言葉に笑顔を浮かべながら、うん、とだけ、返信した。
この頃には、彼はもう学校へ登校できるまでに回復していた。
相変わらず、痩せてはいたが、顔色は良く元気そうだった。
ただ、時折見せる苦し気な表情が、気にはなっていた。
多分、あたししか気づいていない。
リュウくんはいつも、ひとりで苦しむから。
俯いて、ノートを取るふりをして、左手で心臓の辺りをぎゅ、と握っていた。
それはちょうど、斜め後ろの席のあたしからしか見えない角度だった。
それを、何食わぬ顔をしてやり過ごすリュウくんは、本当に強いのだな、とあたしは尊敬すらしていた。
でも…苦しむ姿は、あまり見たいものではない。
何度か先生に報告しようと思ったが、いつかのリュウくんのあの形相を思い出して、やめた。
『大事にするな』
それが、あたしに今できる、彼への最大の配慮だった。
体調がもう少しよくなったら、また学校帰りに出かけようね。
そんな小さな約束を、あたしたちは交わした。
それからというもの、リュウくんは周りに対して、いつも以上に警戒するようになった。
入院の結果は、あたしも聞いていない。
恐らく、先生と本人の秘密事項なのだろう。
だからあたしも敢えて聞かなかった。
少しでも早く、良くなりますように。
リュウくんが、元気になりますように。
それだけを、あたしは毎日のように願った。
もちろん、自分の勉強もきちんとした。
たまに学校で添削してくれるリュウ先生は、学校のどの先生よりも厳しく、そして親身だった。
そして、とても優しい先生でもあった。
あたしはそんな彼に頼り切っていたのかも知れない。
中間テストでは、それなりに良い成績を残す事ができた。
結果が掲示された時、誰よりも誉めてくれたのは、リュウくんだった。
聖羅ちゃんより、絵摩ちゃんより、良い成績だったのだ。
「大輪花。すごいじゃん」
「恋のパワーってすごいねぇ」
聖羅ちゃんと絵摩ちゃんが、交互にそうあたしを褒めてくれた。
あたしは少しだけ、大学合格が見えて来た気がした。
そんな、矢先の出来事だった。
季節は変わり、秋口になって学校祭の準備が始まろうとしていた。
クラスでの出し物の話、学年合同の出し物の話、スケジュール、全部を生徒で作り上げるのだ。
うちのクラスも、ちょうどそんな話になっていた。
リュウくんは学校には来ていたが、学校祭にはあまり関心がないらしく、いつも早退するか、音楽を聴くか、どちらかだった。
それもそのはずだ。
彼は、参加できるかもわからないのだから。
そんな話を聞きたい訳もないんだろうな、と、あたしは遠くからその様を傍観していた。
ある、HRの時間の事。
リュウくんが突然席を立った。
そして、誰にも何も告げず、そのまま足早にどこかに向かった。
鞄は置いたままだったから、帰ったわけではない事が、わかっていた。
あたしは、そおっとクラスを抜け出し、彼に付いて行ってみた。
向かった先は、保健室だった。
彼はそこに急に駆け込み、保健の先生に何か事情を少しだけ話すと、すぐにベッドに横になりに行った。
ドアが開いていたので、その一部始終が見えてしまった。
あたしは覗きの趣味はないが、見えてしまったのだから、仕方がない。
これは覗きのうちに入らないだろう。
と、自分を説得してみたものの、リュウくんの見られたくない部分を見てしまったのは事実だ。
罪悪感でいっぱいになったが、あたしはその場から動けないままだった。
また、具合が悪くなったのだろうか。
今度は、どうして…。
入院して、良くなったはずなのに。
なんで、まだこんなに、彼は苦しんでいるのだろう…。
やはり、彼の病気の事は気になったが、あたしはその様を見ている事しかできなかった。
切なさで、苦しさで、胸がいっぱいになった。
泣きそうになってしまいそうだった。
すると、保健の先生があたしに気づいた。
やばい!覗いてたのがバレた…!
あたしは咄嗟にその場から逃げようとしたが、ドアの向こうの保険の先生をチラッと見ると、にっこり笑ってあたしに手招きした。
なんだろう…?
笑顔だという事は、叱責ではないはずだ。
あたしは恐る恐る保健室に入り、先生に近づいた。
「あの…」
あたしがそう言いかけると、先生は口元に人差し指を当て、しっ、と無言であたしに言った。
「今、彼寝てるわよ。静かにしてあげないと」
はっとして、あたしは両手で口を塞ぎ、口をつぐんだ。
リュウくんは、まだ入院していた。
あれから、何となく病院に行きづらくなり、お見舞いを避けていた。
が、一週間経過した頃、リュウくんから連絡があった。
『なんで、来てくれねーの?そろそろ顔見たい』
あたしはホッと胸をなでおろした。
彼はもう、怒ってはいない。
あたしは、学校が終わったら直行すると、彼にLINEを返し、その日は登校した。
病室に着くと、彼はいつもより顔色も良く、元気そうに見えた。
ただ、以前よりも若干、痩せていた。
長引く入院生活のせいだろう。
あたしは心配もあったが、何より、リュウくんに逢えた事の嬉しさの方が勝ってしまっていた。
リュウくんは、以前と変わらない笑顔で、「よぉ」と言ってあたしを迎えてくれた。
「大丈夫?寝てなくて」
「ああ。今日は調子が良くて」
「良かった。ちゃんと、食事してる?」
「できるだけ食うようにはしてる。けど、病院メシは口に合わねぇよ。だから、明日からなんか差し入れ持ってきて」
「え?何を?」
「大輪花の手料理がいいなー」
悪戯っぽくそう言い、二カッと歯を見せて笑う彼は、まるで子どものようだ。
「え?あたしが作ったやつでいいの?」
「弁当にして。食いて」
「いいけど…口に合うかどうか」
料理の腕前にも自信がないあたしは、そう言葉を濁した。
「大輪花が作ったもん食ったら元気になるかも」
「調子の良い事ばっか言って。逆に、食中毒になるかもよ?」
「げ、そりゃないぜ。食材の賞味期限は確認しろよな」
「はいはい。そのへんは大丈夫」
何気ない、リュウくんのささやかな我儘。
いつもと変わらない、楽しい会話。
こんな時間を過ごしたのは、随分と久しぶりな気がしていた。
あたしは、リュウくんに謝らなければ、と思っていたのだけれど。
そんな決心を鈍らせてしまうかのような、楽しい時間。
それを、壊したくなかった。
でも、こないだの事は、きちんと謝らなきゃ。
あたしは、リュウくんの言葉を信じると決めたのだ。
もう、あれこれ勝手に詮索して、自分を不安に追いやる事はやめようと。
リュウくんが言うのだから、そうなのだろう。
それが、真実なのだ。
確認できる術は今の所は存在しない。
でも、彼が真実だと言えば、真実になる。
そんな気がした。
でも、やっぱり…
「あの、リュウくん」
あたしが声をかけると同時くらいに、彼が口を開いた。
「こないだは…悪かったな」
「え…?」
なんで、リュウくんが謝るの?
聞かれたくない事を聞かれて、自分の言葉を疑われて、謝らなければならないのは、あたしの方なのに…。
「お前の言ってる事も、よくわかってさ。つい、イライラしちまったんだ。あの後、また検査もあって。だから…」
「ううん。いいの。あたしの方が、ごめんね、だよ」
しょぼん、と元気なくなってしまったリュウくんの肩を叩いて、あたしは言った。
と、その瞬間、その手を掴まれた。
「今…なるべく触らないでくんない?」
「え?どうして?」
きょとんとしてあたしが尋ねると、彼は、
「全く鈍いやつだな」
そう言って、顔をぐいっと近づけた。
「こう、したくなるの、我慢してんだから…」
そして、何か言葉を発しようとしたあたしの唇を、自分のそれで塞いだ。
一瞬頭が真っ白になり、息ができなくなった。
神社でしたキスとは全然違う、熱のこもった、キス。
そんなのは、頭の中の妄想でしか、経験した事がなかった。
そしてそれと同時に、彼の手があたしの身体を這い始める。
あたしは何も考えられなくなった。
が、次の瞬間、はっと我に返った。
「だ…だめっ!」
そう言って、彼の身体を自分から突き放してしまっていた。
リュウくんは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「そっか。そうだよな。こんなところで…ごめん」
「違うの!リュウくんが悪いわけじゃなくて…その…」
あたしは、どことなく寂し気な笑顔を浮かべる彼に、慌てて弁解した。
本当に、そうではないのだ。
ただ…
「あたし…そういう事、した事、ないから…」
恥ずかしさで体が熱くなった。
恥ずかしすぎて、その場から走り去りたかった。
穴があったら入ってしまいたい、とは、こんな心境の事を言うのだろう。
彼は一瞬目を丸くしたが、プッと吹き出して笑い始めた。
「な…何か、あたし、おかしな事でも…?」
「…いや。悪い。そっか、そうなんだ。それ、なんか嬉しい」
そう言って、今度はあたしの身体を強く抱きしめた。
「ごめんな。そんな事にも気づいてやれなくて…」
あたしは何を言ったらいいのかわからず、黙って彼の腕の中にいる事しかできなかった。
あたしには、縁遠いものだと思っていた。
だから、何も知らないまま、今日まで来てしまった。
完全に、あたしの勉強不足だ。
保健体育の授業で、そのような行為を学んだ事はある。
でも、それだけの知識しか、あたしは持ち合わせていなかった。
あたしは一人っ子で兄弟はいないし、だから、情報の共有をする事もできない。
親になど、聞けるはずはなかった。
何せ、小さい頃は、本当にあたしはコウノトリが運んできた、と思い込んで疑わなかったくらいだ。
次第に、何故、鳥が運んできたのに、こんなに親に似ているんだろう、と疑問に感じ、母に聞いたところ、母は母子手帳と、あたしのへその緒を見せてくれた。
それで、ああ、あたしは母のお腹の中にいたんだな、という事実を初めて知った。
その為の行為、という認識しかあたしにはなく、結婚してからするのが普通だろう、とぐらいにしか思っていなかった。
だから、こんなにも早く、その日が訪れる事になるかも知れない事を、知らなかったのだ。
当然、心の準備もしていなかった。
リュウくんはそれを察知してくれたらしく、あたしの頭をポンポン、と撫でてくれた。
「焦らないでいこうな。ゆっくり。オレも体調それどころじゃねーし。大輪花に合わせるから」
囁くような口調で、あたしの耳元でそう優しく言ってくれた。
あたしは、恐る恐る頷いた。
やはり、経験した事がない事に足を踏み入れるのは、とても勇気がいるし、少し怖い。
でも、リュウくんなら、きっと大丈夫。
そんな漠然とした安心感は、どこかで持っていた。
その日が来ても、ちゃんと応えられるように。
あたしは、心と身体の準備だけをしておこう。
あたしはその時、そう決めた。
結局、「あの話」には触れなかった。
触れて欲しくはない事は、明らかだった。
あたしは敢えて何も言わず、聞かず、その日を過ごした。
この幸せな気分をぶち壊したくない。
心のどこかで漠然とした、形のない不安に襲われながらも、あたしはそう、今この時間をしっかりと嚙み締めようと思った。
その頃、学校では、三者面談が控えていた。
月末に模試の結果を元に三者面談が行われた。
あたしは、母と参加したが、その時、希望大学には、まだ十分に合格の余地があると言われ、二人でホッと胸を撫でおろした。
それはどちらも国立大学だったからだ。
私大になると、莫大な学費がかかるが、国立はそうでもない。
あたしは、そこにかろうじてひっかかかる程度ではあるが、今のままをキープすれば、充分に合格するラインらしかった。
それをいの一番に、リュウくんに報告した。
すると、
『よかったな。でも、勝負はこれからだ。気抜くなよ』
そんな、リュウくんらしい厳しい返信が返ってきた。
あたしはその言葉に笑顔を浮かべながら、うん、とだけ、返信した。
この頃には、彼はもう学校へ登校できるまでに回復していた。
相変わらず、痩せてはいたが、顔色は良く元気そうだった。
ただ、時折見せる苦し気な表情が、気にはなっていた。
多分、あたししか気づいていない。
リュウくんはいつも、ひとりで苦しむから。
俯いて、ノートを取るふりをして、左手で心臓の辺りをぎゅ、と握っていた。
それはちょうど、斜め後ろの席のあたしからしか見えない角度だった。
それを、何食わぬ顔をしてやり過ごすリュウくんは、本当に強いのだな、とあたしは尊敬すらしていた。
でも…苦しむ姿は、あまり見たいものではない。
何度か先生に報告しようと思ったが、いつかのリュウくんのあの形相を思い出して、やめた。
『大事にするな』
それが、あたしに今できる、彼への最大の配慮だった。
体調がもう少しよくなったら、また学校帰りに出かけようね。
そんな小さな約束を、あたしたちは交わした。
それからというもの、リュウくんは周りに対して、いつも以上に警戒するようになった。
入院の結果は、あたしも聞いていない。
恐らく、先生と本人の秘密事項なのだろう。
だからあたしも敢えて聞かなかった。
少しでも早く、良くなりますように。
リュウくんが、元気になりますように。
それだけを、あたしは毎日のように願った。
もちろん、自分の勉強もきちんとした。
たまに学校で添削してくれるリュウ先生は、学校のどの先生よりも厳しく、そして親身だった。
そして、とても優しい先生でもあった。
あたしはそんな彼に頼り切っていたのかも知れない。
中間テストでは、それなりに良い成績を残す事ができた。
結果が掲示された時、誰よりも誉めてくれたのは、リュウくんだった。
聖羅ちゃんより、絵摩ちゃんより、良い成績だったのだ。
「大輪花。すごいじゃん」
「恋のパワーってすごいねぇ」
聖羅ちゃんと絵摩ちゃんが、交互にそうあたしを褒めてくれた。
あたしは少しだけ、大学合格が見えて来た気がした。
そんな、矢先の出来事だった。
季節は変わり、秋口になって学校祭の準備が始まろうとしていた。
クラスでの出し物の話、学年合同の出し物の話、スケジュール、全部を生徒で作り上げるのだ。
うちのクラスも、ちょうどそんな話になっていた。
リュウくんは学校には来ていたが、学校祭にはあまり関心がないらしく、いつも早退するか、音楽を聴くか、どちらかだった。
それもそのはずだ。
彼は、参加できるかもわからないのだから。
そんな話を聞きたい訳もないんだろうな、と、あたしは遠くからその様を傍観していた。
ある、HRの時間の事。
リュウくんが突然席を立った。
そして、誰にも何も告げず、そのまま足早にどこかに向かった。
鞄は置いたままだったから、帰ったわけではない事が、わかっていた。
あたしは、そおっとクラスを抜け出し、彼に付いて行ってみた。
向かった先は、保健室だった。
彼はそこに急に駆け込み、保健の先生に何か事情を少しだけ話すと、すぐにベッドに横になりに行った。
ドアが開いていたので、その一部始終が見えてしまった。
あたしは覗きの趣味はないが、見えてしまったのだから、仕方がない。
これは覗きのうちに入らないだろう。
と、自分を説得してみたものの、リュウくんの見られたくない部分を見てしまったのは事実だ。
罪悪感でいっぱいになったが、あたしはその場から動けないままだった。
また、具合が悪くなったのだろうか。
今度は、どうして…。
入院して、良くなったはずなのに。
なんで、まだこんなに、彼は苦しんでいるのだろう…。
やはり、彼の病気の事は気になったが、あたしはその様を見ている事しかできなかった。
切なさで、苦しさで、胸がいっぱいになった。
泣きそうになってしまいそうだった。
すると、保健の先生があたしに気づいた。
やばい!覗いてたのがバレた…!
あたしは咄嗟にその場から逃げようとしたが、ドアの向こうの保険の先生をチラッと見ると、にっこり笑ってあたしに手招きした。
なんだろう…?
笑顔だという事は、叱責ではないはずだ。
あたしは恐る恐る保健室に入り、先生に近づいた。
「あの…」
あたしがそう言いかけると、先生は口元に人差し指を当て、しっ、と無言であたしに言った。
「今、彼寝てるわよ。静かにしてあげないと」
はっとして、あたしは両手で口を塞ぎ、口をつぐんだ。

