~偶然~

「大輪花、次、移動だよ!!」
絵摩ちゃんに声をかけられ、はっとして返事をする。
「う、うん!!」
あたしは前の授業の道具をしまい、移動の準備をそそくさと始めた。
机越しに、ちらりと相良くんの背中が、見えた。
彼はだるそうに、ゆっくりとしたスピードで、授業の準備をしている。
新学期が始まって、約1ヶ月。
相良くんは、今のところ、欠席していない。
遅刻はしょっちゅうだけれど、学校にはちゃんと来ていた。
新学期早々のテストも、受ける事はできたようで、教室で受けた教科に関しては、早々に終わらせ、残りの20分は机に突っ伏して寝ていた。
…なんだ、言う程不真面目な人じゃないじゃない。
あたしは思わず、小さく笑みを浮かべる。
「絵摩ちゃん、聖羅ちゃん、待って…」
ようやく道具を揃え終わったあたしは、席を立ち、二人を呼んだ。
二人は教室の入り口で待っていてくれてる。
早く行かないと…。
その瞬間、バラバラッという嫌な音がした。
恐る恐る足元を見下ろすと、案の定、ペンケースをひっくり返してしまっていた。
あーあ、やっちゃった…。
ドジで抜けているあたしは、よく物を落とす。
無くす事も、しばしば。
ここまで派手にやる事は、そうそうないけれども…。
一瞬、何が起きたのか飲み込めず、少しの間は動けなかったけど、すぐに片付けないと、という義務感にかられた。
あたしは、屈んでペン類を拾い集める。
と、目の前に、そのうちの一本が差し出された。
「ほらよ」
顔を上げると、相良くんが、あたしのペンを持って屈んでいた。
ビックリしすぎて、うまく言葉が出ない。
口をパクパクさせていると、彼はあたしの手にそれを握らせた。
「そんなびびんなって。あ、コレもらっていい?俺、今日シャープ忘れちまってさ」
そう言いながら、違うシャープをあたしの目の前に差し出す。
「…うん、いいよ」
シャープなら他にも何本かあるし、ないと困るだろうし、ペン拾い手伝ってくれたし…。
そんな事を、あたしはぐるぐると考えていた。
相良くんは、ニカッと笑って、
「サンキュな」
と言って、立ち上がった。
「あ…あの!」
ない勇気を振り絞り、あたしはその背中に声をかけた。
半ばビックリして彼は振り向き、あたしを見る。
「あ…、ありがとう」
蚊の鳴くような声で、やっとの思いで、彼に、そう伝えた。
相良くんは、フッと笑い、後ろを向いて片手だけ挙げて去って行った。ドキドキしている、自分がいた。
それに気づいたのは、相良くんが去った後の事だった。
あたしは、足早に教室を後にし、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんを追いかけた。

相良くんが、振り返って、走っていくあたしを、見ていた…気が、した。


それから、相良くんは、相変わらず、あたしがあげたシャープを使っていた。
見たところ、ペンケースは持参していないようだったけど、ノートはそれなりに書いていた。
なんだか、少しだけ、彼の役に立ててる旗がしていた。

春風が、さあっと、窓をかすめて通り過ぎていった。

入学してすぐの時に行われた、学力テストの結果が張り出された。
あたしは、当然ながら後ろから数えた方が早い位置に、自分の名前を見つけた。
やっぱりね……
溜め息と共に、不思議な安堵感が一緒に漏れていた。
ふと、人だかりができている掲示板が目に付いた。
あっちって確か、成績上位者の掲示板だよね…?
そっちにぼーっと気を取られていると、聖羅ちゃんに肩をたたかれた。
「よっ、何位だった?」
「いやー…、言えないよねー…」
「まじでかー。あたしもさっ。仲間よ!」
そんな会話をしながらも、人だかりが気になっていたのを、聖羅ちゃんは気づいていた。
「見に行ってみようか」

二人で、人混みの後ろからそおっと掲示板を覗き込んでみた。
成績上位50人が張り出されていたその掲示板を見て、あたしは、思わず目を見開いてしまった。

『相良龍彦』

その名前を、一位の場所に、見つけてしまった。
ぽかんとしてしまい、開いた口が塞がらない状態のあたしを見た聖羅ちゃんが、
「あー、またあいつかー、やっぱりねー」
そう、あたかも当然の事のように言った。
「あいつ、昔っから、頭だけはいいんだよねー、謎が多いけど」
「そうなんだ。すごいねー…」
二人でその場でしばらくぼーっと掲示板を眺めていた時、
「ちょっと邪魔」
頭越しに、低めのハスキーボイスが聞こえた。
慌てて振り向くと、相良くんが面倒臭そうな表情で立っていた。
「うわっ!!」
思わず、咄嗟に右横にずれたあたしを横目に見ながら、
「そんなに俺がこえーかよ…」
と、チッ、と舌打ちをしながら、通り過ぎて行った。

怖いわけではなかった。
ただ、びっくりしただけ。
でも、彼の目には、あたしが脅えているように映ってしまったのだろう。
後悔すると共に、異常に早く打つ鼓動にも、気づいていた。
キラキラした彼の事を、もっと知りたいと思った自分に気付いたのは、その時からだった。

「相変わらず感じ悪いねー、あいつ」
聖羅ちゃんはそう言って彼の背中に向けてべーっと舌を出したけど、あたしは、もっと素の彼の顔が見たいと思っていた。
あたし自身が、喜怒哀楽表現が得意ではないから。
それを素直に出せるのは、羨ましいと思っていた。
心なしか、いつもより元気がない気がしたのが、引っ掛かった。
でも、機嫌が悪いだけなのかな、そう思って、その時は、気づかないフリをしておいた。

それからというもの、彼は学校に来たり来なかったりが多くなった。
そんな彼と、駅で偶然はちあわせになったのは、5月も半ばの事だった。
彼は、あたしに気づくとぱっと目を伏せ、気づいていないふりをした。
あたしはその日、学校帰りに病院に寄るため、違う方向の電車に乗ろうとしていた。

ふと、気がついた。

彼は、電車を使用していただろうか…?
普段、通学の時に、駅で彼の姿を一度も見た事がなかった。
遅刻せずに、来ていた時もあったのに。
不自然に思えた。
そんな疑念を抱いてはいたが、あたしは、敢えて話しかけもせず、電車に乗り込んだ。

彼は、その電車には乗らず、ただ長い脚を組んでベンチに座り、俯いて寝ているフリを装っていた。
あたしは、何故か胸騒ぎがした。
乗り込んだ電車のドアから振り返り、肩越しに彼をチラッと、見てみると、彼は、ひどくイライラしたように、ホームの一点を睨みつけていた。
何か、彼のいけない一面を見てしまったような気分になった。咄嗟に、怖くなった。

揺れる電車の中で、目的の駅に着くまで、あたしは、妙に早まる鼓動を抑えるのに、必死につり革に捕まっていた。