夢開く大輪の花

『うん、わかった。大丈夫?ゆっくり休んでね』
あたしはそう、心配をなるべくかけないようにと、そのメッセージだけを入れてその日は家へと帰った。

自宅の、自室で答え合わせをしてみて、あたしは愕然とした。
ほぼほぼ、6割は取れてはいるかと思っていた。
だが結果、4割のもの、7割のもの、ばらつきがすごくあった。
このままじゃ、志望校は愚か、ろくに理系大学にすら受かりはしない。
どうしよう…。
こんな結果、リュウくんに見せられない。
何より、一生懸命になってくれた、リュウくんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
模試の結果がまた貼りだされたら、そこでバレてしまう事なのだけれど、でも、今は隠しておきたかった。
あたしは、リュウくんが前にくれていた、過去の合格データと照らし合わせてみる事にした。
総合得点から偏差値ランクを割り出し、それで照らし合わせてみる。
結果、判定をもらう事になるのだが、それが出るのは今月末の事。
今から、現実を知っておく必要があった。
と言っても、まだ進路相談第一弾。
これから、また頑張って順位を上げていけば、何とか2年後には間に合うだろう。
今は、そこに向かって準備をする、事しかできない。
あたしは、がっくりと首を落として、そのランク表を見てみた。
案の定、かすっている程度の大学しかなかった。
これじゃあ、進路相談で、大学名なんてとても言えないや…。
深いため息をつき、あたしはその表をはらり、と床に落とした。
同時に、肩もがっくりと落ちた。
リュウくんからLINEが来ていたけれど、あたしは開く気にもなれなかった。
でも、あまりにもたくさん入ってくるので、あたしは仕方なく携帯に手を伸ばし、メッセージを見てみた。
『模試、お疲れ』
『答え合わせしたか?』
想像していたとおり、今日の模試の結果を心配する内容だった。
あたしはそれに返信しようとしたが、あまりに落ち込んで、そんな気にもなれなかった。
と、それに、まだ続きがある事を、発見した。
それを見て、あたしは、もう一つの現実を知る事になった。

『再入院、決定。今度は検査じゃなく』
『だから、当分、学校では会えないな』
『病院はお前だけに教えるから。聖羅にも湯浅にも教えるな』

…うそ。
本当に…?
リュウくんがどこまで悪いのかは、正直あたしはよくわかっていなかった。
ただ、あまり調子は良くなさそうだな、と思っていたぐらいで。
あたしは何故か、その後も良くない予感がして、気づいたら涙が出てきていた。
どうして…。
なんで、このタイミングなんだろう。
ううん、このタイミングとかじゃなくて…。
なんで、リュウくんは、こんなに苦しまなければならないんだろう。
健康優良児とは決して言えないが、できる事なら、あたしの元気を分けてあげたかった。
あたしの、女の部分を除けば、普通に健康な、この体を、少しでもリュウくんに分けたかった。
あたしは返す言葉に困ってしまったが、
『そっか、わかった。明日、お見舞いに行く』
それだけ入れて、あたしは返信を終えた。

今日はなんていう日なんだろう。
最悪な事が二つも。
良い事が重なればいいのに、なんで、悪い事が重なるんだろう。
あたしは落ち込むと同時に、今度こそ、決意をした。
リュウくんに、本当の病名を聞こう。
そして、それと向き合うんだ。
こうして、あたしは、二つの現実と直面する覚悟を、決めた。

翌日の放課後、あたしはリュウくんが入院している病院へと行った。
面会時間内だからと、身内以外でも通してくれた。
そこはものすごく大きな大学病院だった。
きっと、お父さんが勤務している所なのだろう。
それとも、あたしの事は、事前に彼に聞いていたのかも知れない。
入り口で病棟と病室を確認しなければ、迷子になってしまう。
あたしはその迷路のような病院内を、リュウくんのいる病室へと急いだ。

そこはすごく綺麗で、整った病室だった。
やはり、というべきか否か、立派な個室だった。
下手をすれば、普通のホテルなんかよりもずっと立派で、設備も整っていた。
ノックをして病室を開けると、リュウくんはベッドから出て立ち上がり、窓の外を眺めていた。
あたしに気づくと振り返り、
「よぉ」
と、力ない、でもいつものあの優しい笑顔を見せてくれた。
「リュウくん、寝てなくていいの?」
「ああ。今日はそこまで気分は悪くない」
「でも、安静にしてないと…」
「倒れたわけじゃねーし。検査で結果が良くなかったから、念のための入院だってよ」
「そう、なんだ…」
あたしは持って行った花を生ける花器を探し、近くの椅子に鞄を置いた。
「そこ、座れよ」
そう言われて指された先には、ベッドがあった。
「あたしが腰かけたら、リュウくん寝れないじゃん」
「いいよ。そしたらまた、一緒に寝る」
「もお。冗談言ってる場合じゃないってば…」
そんな会話を交わすと、あたしは、自分が、それまでの強張った表情から、ふっと力が抜けていくのがわかった。
「でも、そんな冗談が言えれば、大丈夫だね」
あたしは以前、学校の保健室に連れて行った時のような、あんな感じを想像していたので、少しだけ安心した。
でも、周りを見渡してみると、安心しても大丈夫なものは、一切なかった。
心電図計、点滴の器具、それらがあたしの不安を掻き立てるには十分な材料である事は、明らかだった。
それを目にして、あたしは、ああ、ここはやはり、病院なんだな…と、再認識してしまうのだった。
「そういや、答案、持ってきたか?」
あたしは事前に、今日、模試の自己採点結果を持ってくるように彼に言われていた。
見せたくはなかったが、こればかりは仕方ない。
逃れられない問題だった。
「…はい」
あたしは渋々それを鞄から出し、彼に渡した。
「ちょっと見るから」
リュウくんはそう言うと、楽な体制になりたかったのか、ベッドの中へと体を横たわらせた。
あたしは若干端にずれ、それを邪魔しないようにした。
リュウくんは、あたしに赤ペンを催促し、あたしが渡すと、それを口にくわえながら、真剣にあたしの問題用紙を見つめた。
その表情は、どこか安らかで、どこか寂し気で、物憂げな切なくなる表情だった。
あたしはその横顔を見て、胸が締め付けられる思いがした。
「リュウくん…」
「ん?」
あたしは、昨日思った事を、勇気を出して、尋ねてみた。
「リュウくんの、病気って…本当は、何…?」
そう尋ねた瞬間、リュウくんの顔色が変わった。
一瞬あたしを目を見開いて凝視し、そして、再び問題用紙に視線を落とした。
「前に言っただろ。急性腎不全」
「それって、どういう病気?あたし、よくわかんなくて…」
「簡単に言えば、糖尿の一歩手前みたいなもんだ。糖尿病は、腎臓もダメにするからな。尿を排出する器官だから、当然っちゃ当然だな」
「でも、それで、突然息苦しくなったり、何回も検査受けたり、入院したりするもの?こんなに長い事、入院しないといけなかったりするの?」
あたしは、思っている事を全てまくし立てるように彼にぶつけてしまった。
PMSのせいもあったのかもしれない。
不安で、怖くて、仕方なかった。
安心できるかどうかわからないけれど、彼には本当の事を話して欲しいと思っていた。
リュウくんは何も答えず、問題用紙に赤ペンで何やら添削をしている。
表情一つ、変えはしなかった。
あたしは嬉しいのが半分、もどかしさが半分、の心境だった。
リュウくん、本当の事を教えてよ。
あたしには、あたしにだけは、本当の事、言ってよ。
何もできる事はないかも知れないけど、でもあたし、できるだけ力になりたいの。
リュウくんの傍に、ずっと居たいから…。
あたしは込み上げる言葉を、ぐっと飲み込みながら、彼を見つめていた。
「そんな見られると、なんか集中できねんだけど」
「でも…リュウくん」
「うるせぇな」
突然、彼が苛立ちを見せた。
問題用紙をバサッとテーブルに置き、ペンをそこに投げ捨てるように置いた。
あたしは反射的に、ビクッとしてしまった。
思わず、身構えた。
「オレがそうだって言ってるんだから、それ信じてりゃいいだろ。くだらねえ事きくんじゃねぇよ」
「……」
あたしが視線を合わせる事ができずにいると、彼ははぁ、と大きなため息を一つ、ついた。
窓の外を見やり、ベッドから出て、立ち上がった。
「問題。できるだけ直しといた。やりなおしとけ」
テーブルに無造作に投げ捨てた問題用紙と赤ペンを見やり、彼はあたしにそう言った。
「…うん」
あたしはそれを鞄にしまいこみ、蓋を閉めた。
「今日はもう帰れ」
リュウくんは、あたしを見る事なく、窓の外に視線をやりながらそう小さな声で、少し面倒くさそうに言った。
「わかった…」
あたしはそれだけ言うと、病室を後にした。

やはり、触れては欲しくなかった部分だったのだろう。
リュウくんが言うのだから、間違いは無いのかも知れない。
でも、やっぱり、真実が知りたい。
決して彼を疑っているわけではないけれど、あたしは、それが彼の優しさのような気がしてならなかったのだ。
あんな形相のリュウくんを、自分にそれを向けられた事が、あたしは初めてだった。
少し怖かった。
でも、それよりも、彼が辛そうな表情を一瞬だけ見せたのを、あたしは見逃さなかった。
なんだかわからないけれど、気づいたら、あたしは涙ぐんでいた。
空を見上げてみた。
悲し気なくらいにきれいな夕焼けが、そこには広がっていた。

帰ってから、携帯をそっと開いてみた。
メッセージは来ていたが、あたしは開けなかった。
明日にしよう。
この気持ちに整理がつくまで、このままにしておこう。
あたしはそう決め、その日は、携帯を開く事をしなかった。
その替わり、問題を開いた。
そこには、赤い字でびっしりと書かれた添削内容がずらっとあった。
細かいところまで、すごくよく見てくれている。
図も時々あったりして、見ていてとても分かりやすかった。
それを見ていても、涙がなぜか、出てきてしまった。
あたしは、彼の心を、踏みにじってしまったのだろうか。
あたしは、彼の優しさを、受け入れる事はできなかったのだろうか。
今思うと、後悔ばかりが押し寄せてくる。
でも、彼を支えるには、真実を知らなければ。
そんな、つまらない考えに支配されていただけなのだろうか。
何が正しくて、何が真実で、何が優しさで、何ができるのか。
あたしには、わからなくなってき始めていた。
涙で滲んで霞んで見える問題用紙を、あたしは、何度も何度も見返した。
それが、あたしが、今日直面した、現実だった。