夏休みも終わりかけ、課題もなんとかクリアし、リュウ先生による講義も終盤を迎えた、8月の平日の昼下がり。
あたしは、自分の進路について、向き合う事となった。
というのは、両親と話をした時、大学はどこにする、という話になり、模試までに決める、と、パンフレットを見せた事がきっかけだった。
「こんなレベルの高い大学!あんたに行けるの?」
母は、目が飛び出そうなくらいに驚いて言った。
「センター試験重視の大学なら、二次試験次第で行けるみたいだよ」
そう、そのために、リュウ先生の厳しい指導を受け続けてきたのだ。
ただ、志望校は3校まで。
6校のうちから絞り込まなければならない。
それが、あたしにとって悩みの種だった。
どの大学も魅力的だし、家から頑張れば通えそうだ。
その中で、特にあたしの重視したい科目が勉強できるかどうか、がカギになる。
が、どの大学にもそれは備わっていた。
どれも私大で、そんなに大差はないものの、講義内容によっては、志望している職業を斡旋してくれないかもしれない。
そんな事で頭を悩ませていた。
あとは、学校の雰囲気。
あたしは、これらを全て見学に行こうと決めた。
そして、模試に間に合うように、決めるつもりだった。
リュウ先生によれば、学校の雰囲気はかなり重要らしい。
それを受け、あたしはとりあえず、見てみない事には始まらないと思っていたのだ。
「講義内容も大事だけど、あとは雰囲気。そして、何に力を入れている教授がいるかを選べ」
そう、彼に教えられていた。
模試は9月の頭。
それまでには、6校すべてを周らなければならない。
時間は、それほどなかった。
リュウ先生の講義は、後半は模試対策に変わり、課題とは離れてしまった。
そのかわり、毎回膨大な量の宿題が出る。
6割以上の正解率でなんとか平均、7割以上で、上位ランクに入れるとの事だった。
あたしはなんとか7割超えを目指したが、いかんせん、苦手な教科ばかりだったものを「得意」科目にしなければならない為、それほど楽なものではなかった。
でも稀に7割を超えると、リュウくんはすごく誉めてくれた。
それが、あたしのモチベーションにもつながった。
もっと頑張ろう、もっとやってみよう。
そんな意欲に繋がっていた。
自分でこんなに頑張ろうと思えたのは、高校受験以来の事だった。
高校も、模試の結果では、合格ラインから外れていた事もあったのだが、その後の追い込みで、なんとか滑り込む形で合格できたのだ。
今度の模試も、あの桜にお願いしてみよう。
あの神社にも、行くかな…。
でも、あそこでは誰に会ってもおかしくないから、やっぱり、行かないでおこうかな…。
あそこでのリュウくんとの思い出は、嬉しいものなのか、辛い、苦いものなのか、よくわからなくなっていた。
けれど、あそこに行ったお陰で、リュウくんをより深く知る事ができたのは、事実だった。
何か、良い願掛け方法はないだろうか…。
あたしは自分の実力よりも、そんな神に頼むような事を選んでしまっている自分を、少しだけ恥じた。
が、次の瞬間には、携帯で、「近くのパワースポット」を検索してしまっていた。
心の葛藤がそこに、表れていた。
何とも小さな葛藤ではあるが。
すると、1件、引っかかった場所があった。
あの神社の近くだった。
神社ではなく、その近くの、よりによって池なんて…。
でも、あたしは、夏休みの間には、そこに行こうと決心をした。

果たして、夏休み明けの新学期。
久しぶりの、登校。
制服に袖を通すのも、久しぶりだった。
あたしは、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんにまた会えるのを楽しみに、学校へと急いだ。
彼女たちには、夏休み中も会ってはいたが、学校で会うとなると、また違う楽しみができるような気がしていた。
また、1学期のように、毎日を一緒に過ごせる事が何よりも嬉しかった。
「そういえばさ、相良とはうまくいってる?」
「うん。夏休み中、勉強教えてもらってた」
「そうなんだー。相良も良いとこあるねぇ」
そんな普通の会話を楽しんでいた、昼休み。
ふと、脳裏をよぎったのは、二人の進路だった。
「ねぇ、二人とも、進路、もう決めた?」
あたしが尋ねると、
「なんとなくね。あたしは専門に行こうと思ってるから、模試あんまり関係なくて」
「あたしは、T大かなぁ。短大の。あそこ、就職率良いらしいんだぁ」
聖羅ちゃんと絵摩ちゃんが交互にそう言う。
それを聞いて、あたしは、感心すると同時に、何となく寂しい気持ちになってしまった。
「じゃあ、みんな、進路バラバラなんだね…」
「そうか。でも、この友情は無くならないじゃん」
聖羅ちゃんが、あたしを元気づけるように言ってくれた。
「大輪花は、理系大学に行くんだっけ?」
「うん、一応そのつもりなんだけどね…」
だから、次の模試がとても大切な事を、二人に告げた。
「大丈夫!相良がついてるんだから!」
あ、自分が、じゃないのね…。
何となく少しズレた、そんなところも、あたしは好きだけど。
二人とも、あたしを心から応援してくれているのが、すごく伝わってきた。

始業だというのに、やはりリュウくんは遅刻してきた。
まあ、いつもの事だから、みんな何も言わなくなったし、不思議にも思わなくなっていた。
むしろ、時間通りに登校してくる方が、皆珍しがったし、実際あたしもそうだった。
HRが始まってしばらくして、始業式に向けて体育館に移動する時に、彼は登校してきた。
その時、入り口で偶然にも、すれ違った。
彼は音楽を聴きながら、でも視線は携帯に落とし、もう一方の手であたしの手を、気づかれないように下の方でぎゅ、と握った。
ドキッとしたあたしの反応に気づいたのか、彼は視線を上げ、にこりと微笑むと、すぐにその手を離した。
あたしは、その手をドキドキしている胸元にもっていった。
そして、リュウくんからもらった「お守り」を、制服の上から握りしめた。
その直後、ポケットに忍ばせていた携帯が震えるのが分かった。
『おはよ。きょうも好き』
あたしは顔が赤くなっていくのがわかった。
彼は、なんでこんな照れくさい事がさらっと言えるのだろう。
でも、そこも、あたしの好きな一面だった。
素直に、自分の気持ちを、包み隠さず表現できる事。
なかなか、思っていてもできない事だ。
彼は毎日のように、自分の感情を露わにしたLINEでメッセージを送ってきてくれていた。
一日一回は必ず、そんな文言が入っていた。
昨日のやり取りには、
『明日、学校で会えるんだな。早く逢いてー』
そんなメッセージが届いていた。
そんな時、あたしは何て返そうか、迷ってしまう。
まだ、好き、と、伝えるのには、あたしには勇気がとてもいる事だった。
伝えていないわけじゃないけれど、どうしても、リュウくんが先にそれを言ってしまう。
あたしは、それに便乗する返信しかできない。
それでも、彼は満足そうだった。
いつか。ちゃんと言える日が、来るから。
あたしは、心の中でそう言いながら、毎日のLINEをやり取りしていた。

体育館での始業式は、何ともつまらないものだ。
ただ突っ立っているだけ。
早くこの時間が終わらないかと、何度も願った。
が、そんな時に限って、校長先生の話とは、長くなるものだった。
あたしは早く教室に戻り、普通に座りたかった。
リュウくんと席も近いし。
実は、それが楽しみなだけだったのだけど。

教室に戻ると、すぐに模試の案内と、三者面談に向けての志望校決定用紙が配られた。
志望校も3校に、何とか絞った。
あとは、満を期して、模試に臨むだけだった。

が、この後、その厳しい現実を知る事となるのだった。

リュウくんは、検査入院で学校を3日休む事になったと、新学期の翌日、連絡があった。
そっか、また少し、逢えなくなるんだ…。
リュウくんの病気は、そう簡単なものではないらしい。
検査入院を繰り返し、一月に最低でも3回は病院に通わなければならない。
発作もたまに起きるらしく、それを抑えるために、毎日薬が欠かせない。
あたしは、リュウくんの何か力になれないかと、病気を、調べてみようと思った。
急性腎不全、と言っていたけれど、本当だろうか?
あたしが何も知らないと思って、わざと違う病名を言ったのではないだろうか?
そもそも、腎不全自体、なんだかよくわからない。
わかるのは、腎臓が悪い、という事だけだ。
それに、あの注射。
インスリン、というものなら、普通は異常血糖の人が使用するものらしい。
つまり、糖尿病の患者。
そこから腎臓に転移するとは聞いた事がある。
あたしのおじいちゃんがそうだったから、何となく知識はあった。
でも、あんなに頻繁に入退院を繰り返したり、薬を使ったりしてただろうか?
よくは覚えていないけれど、もし、そうだとしたら、彼は、糖尿病なのか?
でも、あたしが彼に尋ねたところで、以前と同じ事を言われるだけだろう、というのは容易に察しがついていた。
彼は優しいから、あたしに心配はなるべくかけまい、としているのだ。
というのは、最初からわかっていた。
けれど、実際付き合って、一緒に過ごす時間が長ければ長い程、気になるし、心配にもなる。
本当にそうなのか、疑ってしまったりする。
それは、彼の行動が見えて来たからだった。
それでも、なんとか勉強に食らいつこうと、そして、医大進学レベルの成績を取り続けようと、奮闘する彼の姿は、あたしに少なからずの影響を与えた。
だから、あたしはあたしにできる最大限の事をしたかった。
それは、リュウくんと、いつまでも一緒にいる為に、リュウくんが生きていてくれる為に。
あたしにできる事は、なんだろう?
ただ傍にいるだけでいいと、彼は言ってくれた。
でも、それは何か違う気がする。
医療の力には勝てなくても、何か、あたしにだってできる事があるはずだ。
だから、もっと、それについて知りたいと思った。
あたしの進路決定に、少なからず影響を与えたのは、リュウくんの病気があったからだ。
このままでは、あたしは彼になにもできない。
彼を救えない。
だから、せめて何かの力になれるように、あたしにできる事。
そう思って、進路を決定したはずだった。

2学期最初の全国模試。
それは、土曜日に行われた。
通常、土曜日は休みなのだが、授業が無い日にしか模試は行えないのだ。
それは、学校として義務付けられている試験ではない事、あくまで進路決定の材料の一貫として行われる、という事が理由だった。
だから、学校によっては、行わないところもあるようだ。
それは中学と違い、義務教育でもないせいだろう。
大抵、大手の塾が開催しているものだ。
でも、うちの学校は、全員参加が当たり前だった。
そして、それは滞りなく行われた。
結果が出るのは、今月下旬、との事だったが、全ての試験が終わった後、模範解答が配られた。
あたしは、リュウくんに、模試を受ける際は、必ず問題用紙にも同じ答えを書くように言われていた。
模範解答が配られるから、それと照らし合わせられるように。
だからあたしは、問題用紙にできる限りの回答を写した。
そして、答え合わせを、できればリュウくんと一緒にする、はずだった。

リュウくんは模試に来たが、時間いっぱいまではかからず、早々と教室を後にしてしまった。
なんだか顔色が良くなかった。
後で携帯を見てみると、彼からLINEが何件か入っていた。
『なんかだりー』
『薬効かなくなってきたな。病院いくわ』
『マジ暑くてぶったおれそ』
『ごめん、今日は先帰るわ。答え合わせ、しとけよ』
やっぱり、調子は良くなかったんだ…。
汗を拭いながら模試を受けていたところを見ていただけでも、何となくそんな気はしていた。
大丈夫かな…。
こんな時、心配する事しかできない自分が、何とも情けなく思えた。