なんと!明後日じゃないか!
なんという酷さ…。
あたしは泣きそうになりながら、それをなんとか終わらせようと、悪戦苦闘した。
夜も12時を周った頃、一本のLINEが入った。
こんな夜中に?
そう、こんな非常識な事をするのは、彼しかいない。
あたしは携帯を見てみた。
案の定、リュウくんからだった。
『起きてるか?』
『うん、起きてる』
『どこまで進んだ?』
『うーん、数学はもう少しで終わり。それから、科学、生物はまだ』
『そっか』
リュウくんは、あたしの事を、遠くからでも監視しているのだろうか。
ちゃんとやっているのか、サボってはいないか。
彼はあたしの保護者か何かか?
あたしは少しの怖さを感じたが、それも彼なりの優しさなのだろう。
あたしはこうでもしないと、トロい分、追い付けない事をちゃんと知っているのだ。
人間観察力にも長けている。
彼の短所って、なんだろう?
ふと、そんな関係ない事が頭を過った。
『まあ、休み休みな』
そんな気遣いをするぐらいなら、最初から監視しているような行動はやめて欲しいものだ。
でも、それがあるから、頑張れている自分もいた。
その事実は否めなかった。
だからあたしは、敢えてそれに既読だけをつけ、返信はしなかった。
リュウくんも、これで、どれだけあたしが切羽詰まった状況かわかるだろう。
リュウくんみたいに器用にはこなせないけれど、あたしはあたしなりに、やろうと決めたのだ。
そう、リュウくんに少しでも近づきたい。
少しでも、近い位置にいたい。
彼氏とか、彼女とか、そういう不安定な位置ではなく、きちんとした、パートナーになるために。

「おお、よく終わらせたな」
リュウくんとの勉強の日、あたしは「宿題」を見せ、採点をしてもらっていた。
思いの他褒められたので、あたしはなんだか拍子抜けしてしまった。
「ちょっと量が多かったかと思ったんだけど、お前、よく頑張ったな」
そう言って、あたしの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
肝心の採点も、そこまでは悪くなかったらしい。
赤ペンをきちんと用意しているところに、リュウくんの本質をかいま見れた気がした。
けれど、あたしは、それが入っているペンケースの方が気になっていた。
いつか、聖羅ちゃんが言っていた、あの女の子からもらったものなのだろうか…。
でも、それは、怖くて聞けなかった。
リュウくんの機嫌を損ねてしまうかも知れない。
彼にとっては、すごく大事なものなのかも知れない。
あたしがあげた、あのシャープのように…。
あたしはいつの間にか、そのペンケースを凝視してしまっていた。
「どうした?なんか思いつめた顔して」
あたしはリュウくんにそう言われ、はっと我に返った。
きっと、すごい目つきでペンケースを睨んでいたに違いない。
それに、その事実をあたしが知っている事も、リュウくんは知らないのかも知れないのだ。
余計な事は聞かないでおこう。
「ううん。何でもないよ」
そう、作り笑いを浮かべて、返事をするのが精一杯だった。
彼は怪訝そうな表情を浮かべたが、それ以上、何も聞かなかった。採点が終わって見てみると、思いの他、できていてホッとした。
「これだけ合ってれば、模試ではいいとこいくぜ、多分」
リュウくんのそんなお墨付きまでもらった。
「そうかな…」
「オレが言うんだから、間違いない」
そう太鼓判は押してくれたものの、やはり、不安はどうしたってついてまわるものだ。
今まで模試で良い結果を出した事などないのだから、尚更だ。
でも今はそれよりも、ペンケースが気になって仕方ないなど、言えるはずもない。
ここまで親身に勉強を教えてくれる優しい彼氏に、感謝しないと。
あたしは必要以上に気にしないように、ペンケースから目を逸らした。
が、否応なしに、それは、あたしの視界の端にどうしても飛び込んでくるのだった。
今だけ、目が見えなくなればいいのにな…。
でも、それはやっぱりだめだ。
今、この瞬間の、リュウくんの表情までもが見えなくなってしまう。
こんなに嬉しそうに、あたしを褒めてくれているのに…。
あたしは、この表情だけを見ていたい。
全ての採点が終わったリュウくんは、あたしに宿題を返却した。
「これ、忘れんなよ」
「うん。今日も復習するよ」
「それで、だ。これから重要なのは志望校選びだが…お前、どこか決めてるのか?」
「え?」
そういえば、今まで理系に進もうと思っていなかったから、それ系の大学はまったく調べていなかった。
噂も聞かないし、模試の結果次第で選ぼうとは思っていたけれど、漠然とすら浮かんでこない。
「いや…まだ、そこまで明確には…」
調べるのすら怠っていたと知れたら、また叱責されるに違いない。
そう予想したあたしは、そうやって言葉を濁した。
するとリュウくんは意外にも、
「だと思った。お前、理系に進むの、最近決めただろ」
「え?何で…」、
彼はそんなところまでお見通しなのか?
ひょっとして、千里眼か何かを持ち合わせているとか?!
さすがに、ここまでも鋭いと、怖くなってきた。
「だってお前、テストの時も、文系だけ成績良いじゃんか。理系はまるで苦手、って顔にも書いてあるぞ」
そう茶化すように笑った。
そんなところまで、知っているなんて。
確かに、テストによっては簡単で、文系の科目別順位の掲示には、載った事が一度くらいはあると思う。
でも、それを彼は見逃さなかったのだ。
なんていう洞察力。
まるで、絵摩ちゃんを見ているみたいだ。
あたしはふと、絵摩ちゃんとリュウくんが重なった。
「リュウくんて…絵摩ちゃんみたい」
あたしがボソッと言うと、彼はすかさず
「やめてくれ。絵摩と一緒にすんな」
と、あたしを笑いながら小突いた。

リュウくんは、最近、よく笑顔を見せてくれる。
あたしと付き合うようになってからだ、と思う。
この笑顔を、無くしてしまいたくなかった。
ずっと、隣で笑っていて欲しい。
その為には、余計な感情は、捨ててしまわなければいけないのだ。
だから、あのペンケースの事など…。
いけない。また、考えてしまった。
あたしは邪念を払おうと、頭を横に振った。
「お前、大丈夫か?」
その様を見ていた彼に、注意されてしまった。
あたしははっとして、リュウくんを向いた。
すると、あたしの目の前に、いくつかのパンフレットが並べられていた。
「これ…は?」
「見てわかんだろ。大学のパンフだよ。予備校に置いてあって。お前のレベル次第で行けそうなとこ、適当に持ってきといた」
そう言って、あたしの前にずらっと並べた。
見ただけでも、6校分はある。
中には、名の通った名門大学のものもあった。
「こんなとこ…あたしの成績で、行けるのかな…」
思わずそんな不安を口にすると、彼は、
「大学受験は、高校受験と違って、教科を専攻できるんだ。センター採用してるとこなら、得意な科目だけ絞って受けられる。その可能性は、多い方がいいだろ?」
「そうだけど…」
「だから今、お前の得意科目を作ってやってる最中なんだよ」
そうか。
あの、膨大な量の宿題は、あたしがどれに向いてるか、統計を取るために出した課題だったんだ。
リュウくんて、進路指導にも向いてるな。
本当に、学校の先生になった方がいいんじゃ…。
そんな風に感心しているあたしを無視し、彼はそれぞれの大学の特徴を説明してくれ始めた。
あたしはそれを一生懸命に聞いていたが、心のどこかに、まだ、あのペンケースが引っかかっていた。

模試までに、志望校を確定させるように、リュウ先生に言われ、あたしはその日は家へと帰った。
リュウくんも、ちょうど病院の検査がある日だった。
あたしは、リュウくんにもらったパンフレットと、あのモヤモヤとした感情を抱えたまま、自宅へと足を運んでいた。