夢開く大輪の花

「大丈夫。そんな危ねー事はしねぇよ」
少しだけあたしにそう優しく言うと、彼は大塚くん達に向かって行った。
あたしが止めようとしても、無駄だとはわかっていた。
でも、事が大きくなる前に、何とかしなきゃ。
もし、傷害罪なんかで捕まったら…。
「リュウくん、相手にしちゃだめ…」
もちろん、こんなあたしの呟きにも、気づいてはいないようだった。
彼が近づいていくと、その凄みに少々圧迫されたのか、大塚くんたちは少したじろいだ様子を見せた。
「なんだよ、お前」
「お前か?大輪花を散々傷つけたっつーロクデナシは」
「ロクデナシって。ひでぇな。おれは、コイツと付き合ってた『ふり』してただけだけどー?」
そう言い終わる前に、リュウくんが大塚くんの胸倉を掴んだ。
そして、ぐいっと強引に自分の方に引き寄せた。
「お前、オレが誰だか知ってるよなぁ?南中で、オレを知らねぇ奴はいねぇんだよ。もし、お前が本当に名の通ったヤツならなぁ」
「しっ…知らねぇよ。誰だよお前。いきなりこんな事するなんて傷害罪で…」
「うるせぇ!黙れクズが!」
そう声を荒げられ、大塚くんはビクッと体を反応させた。
「てめぇ、傷害罪ってなんだか知ってんのか?こんな事ぐらいで罪になるならなぁ、ケーサツなんてのはいくらいたってキリねぇよ。知りもしねーくせに、偉そうな事言ってんじゃねぇぞ」
その言葉に、大塚くんはぐうの音も出ない様子だった。
すると、一緒に来ていた女子の一人が、突然、「あっ」と声を上げた。
「あんた…まさか、北中の…?」
そう言うのが精一杯だったのか、その後の言葉が続かないようだった。
するとリュウくんは、その女子の方をギロリと睨みつけた。
「お前は知ってるみてぇだな」
その女子は、「ひっ」と声を上げ、突然ガタガタと震えだした。
「聞いた事あるんだ…。金髪で、北中にヤバい奴いるって…。有名だよ。うちの中学にも何回か来てて…相当、名通ってて…」
「ほお。ヤバい、てだけか?」
リュウくんは面白がるように彼女を挑発する。
「あたしは…それしか知らない。あと…キレたら誰も勝てないって事ぐらい…。…あんた…もしかして…リュウ、って奴…?」
「もしかしなくてもそうだ」
リュウくんは更に挑発を続けていく。
彼らは、まるで今のあたしのように、凍り付いて動けなくなってしまったようだった。
リュウくんはその様を嘗め回すように見ると、大塚くんに顔を近づけ、静かに言った。
「オレをキレさすともっとやべぇぞ。その前に、早々に立ち去るんだな。わかったら、さっさと失せろ」
何も言えなくなった彼らは、リュウくんに手を離されたあと、逃げるように去って行った。
あたしはその一連の様を、ぽかん、と口を開けたまま見ていた。
そうするしかできなかったのだ。
足は動かないし、リュウくんはあの人たちに近づいていってしまうし。
あたしはどうしたらいいのかわからずに、彼が言う通り、その場で立ちすくむしかなかった。
程なくして、リュウくんがあたしの元へと戻ってきた。
「大丈夫だったか?」
何もされていない事は知っていたはずだが、彼はそうあたしに優しく声をかけた。
「あたしは…大丈夫だけど…リュウくんは?」
「ああ。直接手はだしてねぇし。傷害罪にすらならないだろ。脅したわけでもないから、脅迫罪でもないしな」
「でも…」
「大丈夫だって。法に触れることも、手を汚すことも、何一つしちゃいない」
そう言って、あたしの頭をくしゃっと撫でてくれた。
一瞬の不安が過ったものの、それだけで安心できる自分がいた。
彼は、あたしに安心をくれようとしていた。
それだけは、わかっていた。
けど、なんで、涙がながれてくるんだろう。
あたしは、その時初めて、自分が泣いている事に気づいた。
「どうした?何か言われたりしたのか?」
「ううん…そうじゃない。なんだかよく…わからないの…」
ホッとしたのと、恐怖からの解放がそうさせたのかも知れない。
あたしにも、本当に何故かはわからなかった。
「まぁ、情緒不安なトコあるからな、お前には。だから、オレが必要なんだよ」
そう、優しく言ってくれるリュウくんが、本当に頼もしく見えた。
あたしはもう、過去に縛られて生きる必要はない。
とらわれる事も、何もない。
だって、守ってくれる人が、もういるから。
あたしを、過去から解放してくれた。
嫌な思い出を、塗り替えてくれた。
それだけで、この先、この人となら、何が起きても怖くはない、そう思えた。
「ねぇ…リュウくんて」
「ん?」
「うちの中学に、よく来てたの?」
「ああ…前に売られた喧嘩買いに行っただけだ」
「喧嘩!?」
「そう。そっちがふっかけてきたから」
あたしは、なんだか違う世界の話を聞いているような気がした。
リュウくんが、喧嘩なんて…。
体も強くないのに、何故喧嘩なんて?
あたしは疑問でいっぱいになった。
と、徐に彼は、シャツを脱ぎ始めた。
「な、なにやってるの!ここ、外だよ!?」
「男が上半身脱いだら悪いのか?外で?」
彼はハハッと笑い、それから、あたしに自分の背中を見せた。
そりゃ、女じゃないから、犯罪でも公然猥褻でもなんでもないけれど…。
その背中を見て、あたしは息をのんだ。
彼の背中にあったのは、無数の痣。
やけどの跡、何かに殴られた痕。
そして、タトゥーが入っていた。
それは、阿修羅像だった。
「こーゆーもん背負ってるってだけだ」
「これって…リュウくん…」
「だから、目、つけられやすいんだよ。それなりに悪い事もしてきたしな。その度、何かにつけて、親が金で解決してきた」
「そう、だったんだ…」
「昔はな、それでいいと思ってたよ。でも、そろそろ自分の進路も決めないといけない歳だし、そんな事はやめよって思っただけ」
だから、彼は孤独だったのか。
仲間はいただろう。
けれど、そんな仲間にすら、心を開けはしなかったのだ。
きっと、表面だけの付き合いだったに違いない。
あたしのように、友達と呼べる人すらいなかったわけではないと思うが。
「でも…」
「どした?」
「なんで、阿修羅入れたの?」
「そこかよ」
リュウくんは意外だったのか、あたしにそう突っ込んだ。
「だって…阿修羅って、万能の神様でしょ?インドの。ビシュヌ神とたしか…」
「大輪花って、そんな事詳しいのな。やっぱり、変な奴」
そう嬉しそうに彼は言った。
「阿修羅は、万能の神。仏教では、あらゆる神を司る役目の神なんだ。そこに惹かれた。オレも、もしかしたら、万能まではいかなくても、自分でなんとか生きられる術を身に着けられるかも知れない、ってな。だから、医者目指すことにしたんだ」
「そうなんだ。でも、ご両親は、大学病院にいるんでしょ?」
「そうだけど。継ぐ気はねぇよ。こんなもん背負ってたら、継ぐに継げねぇしな」
「そっか…」
あたしは、リュウくんを背後から抱きしめた。
その傷だらけの背中が、とても愛おしく思えた。
ぎゅ、と、ちからいっぱい、抱き着いた。
すると、リュウくんはその手をあたしの手に重ねた。
「阿修羅も、オレも。お前を守るから。だから、安心して大丈夫だ」
「あたしも。その、お守りと、リュウくんを守るよ」
あたしたちは、そう約束を交わした。
もう、お互いに、一人ではない。
それが、何より嬉しかった。
ふと何かに気づいたように、あたしたちはお社に向かって一礼し、その場を後にした。

「すっかり遅くなっちまったな」
辺りが暗くなったのを心配し、リュウくんがそう呟く。
「送ろうか?」
「え?大丈夫?」
「大丈夫。それぐらい、させろよな」
彼はあたしの手をぐいっと引っ張り、
「家、どこだ?」
と、あたしに案内をさせた。
無事にあたしの家に着くと、玄関の前で別れを告げた。
「ここで大丈夫。ありがとう」
「そっか。じゃ、また後で連絡すっから」
「うん。待ってる」
あたしたちは、そこではキスは交わさなかった。
代わりに、手を握り、そっと離した。

今日はとんだ災難に見舞われた。
でも、あたしの中では、忘れられない初デートになった。
あんな色んな事が起きるデートなど、そうそうない。
それに、リュウくんの本質、新しい一面が見られた事が嬉しかった。
と、同時に不安も感じていた。
これから、どんなリュウくんが出てくるのだろう。
きっと、これだけではないはずだ。
色んな人生経験を積んでいる彼だから、もっと他にも出てくる事はあるだろう。
でもそれも、きちんと受け止めていこう。
あたしの過去にも、逃げずに立ち向かってくれたように。
彼は、あたしを馬鹿にする事もなく、むしろそれに対して怒りさえ覚えてくれた。
あたしは、見ていた。知っていた。
大塚くん達があたしに、色々言っていた時、あたしに誰?と尋ねていた時、怒りを堪えきれていなかった事。
密かに、あたしに見られないように、拳を握りしめていた事。
あたしの足がすくんでしまったせいで、彼は気づいていないと思っていたかも知れないけれど。
あたしは、ちゃんと見て、知っていた。
だから、不安になったのだ。
何か、事件を起こすのではないかと。
でも、彼は大人だった。
大塚くん達が、すごく幼く見えた。
あたし…なんだか、馬鹿みたいに無駄な「恋」をしていたな…。
その時改めて、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさした。
そんな事でも、彼は、真剣に受け止めてくれた。
どんな些細な事でも。
あたしを苦しめているもの全てから、解放してくれた。
なんて、優しい人なんだろう。
改めて、彼を尊敬していた。
一人の人間として、男性として。
本当に、あんな人に出会ったのは、初めてだった。
あたしは、運命というものに、初めて感謝した。
普段は信じる事はないけれど、神様は、本当にいるのかも知れない。
そうとすら、あの神社で思えたくらいだった。

リュウくんとLINEしながら、ふと、窓の外を見た。
相変わらず、他愛もない会話。
その最後に、あたしはその時窓から見えた情景を伝えた。
『リュウくん。窓の外、見てみて。月が、キレイだよ』