夢開く大輪の花

「今…名前…」
「うん。大輪花。ちゃんと、知ってた。ほんとは…あの時から…」
息も切れ切れに、彼はあたしにそう語り掛ける。
「てゆうか、本当に連絡しなくても、大丈夫なの?」
「大丈夫だって。こういう事は、初めてじゃない。それに…オレは、医者のタマゴだぜ?自己管理くらいできる…」
「できてないじゃない。だから心配してるのに…」
「そうだな…ごめん」
今日の相良くんは、ずいぶんとしおらしい。
いつもの、あの気丈さや、誰も寄せ付けようとしないオーラを放っている彼とは、全然別人のようだ。
それだけ、弱ってしまっているのだろう。
けど、強がりだけは健在のようだ。
その部分に、心なしか、あたしはホッとした。
しゅん、といじけてしまった彼に、あたしは笑いかけながら言う。
「誰も心配しなくても…あたしは、心配なんだよ…相良くん…」
「リュウ」
「え?」
「今度から、リュウって呼べ」
「えっ!?そんな突然…無理だよ」
「いきなりが無理なら、二人の時だけでいいから…」
二人の時?
それは…どういう意味だろう?
あたしは訳が分からなくなってきた。
教室にはみんないるし、あたしは彼の彼女でも何でもない。
あ、もしかして、また秘密を共有しようとしているとか?
今度は一体、どんな秘密が…。
そんな事をぐるぐる考えていると、
「桜…」
相良くん…いや、リュウくんが、そう、呟いた。
「入試の日…あの、桜の木の前に、立ってたろ?」
「うん…。知ってたんだね」
「あの桜…オレも、気になってた。一本だけ、背が低いだろ?それなのに、頑張って花、つけんだよな。毎年、毎年。オレ、家近いから、見る機会多くて」
「そうだったんだ…」
「…で、入試の日も、あの桜の前通った。そしたら、お前が立ってた」
「…うん。立ってた。あたしも、気になってたから…」
「一人だけ、南中の制服で…ずいぶん遠くから来てるんだな、って思った。気になった。それより、同じ桜を見てる事で、親近感湧いて。勝手に」
あたしは思わずクスッと笑った。
「勝手に…ね」
「だって…そうだろ?お前に確認してねーもん…」
「そりゃ、そうだけど…」
「顔…見たら、メガネで…背、ちっこくて…。真面目そーで。でも…目が、キラキラしてて」
「…そうだった?」
「そうだった。だから…鞄のネームプレート、こっそり見た」
ああ、それで、あたしの名前、知ってたんだ…。
あたしの中学の時に指定されていた鞄は、みんな同じものを持つので、名前を書く事が強制されていた。
本体には誰も書きたくなかったから、学校指定のネームプレートを、みんなぶら下げていた。
「なんて読むんだろ…。ずーっと、気になってた…。アイツ、受かればいいな、って。受かったら…一緒の学校に通える…って」
「…え?それって、どういう…」
リュウくんのその話の流れに、あたしの鼓動は爆発寸前だった。
だって、こんな展開、シンデレラストーリーでもない限り、あり得ない。
ああ、リュウくんは、きっと疲れているんだな。
具合が悪すぎて、幻覚に近い妄想を抱いているのかも知れない。
そう思って、早まる鼓動を抑えようとした。
でも、どう頑張っても、抑えられそうには、ない。
「そしたらよ…。髪型も、顔も、微妙に変えやがって。可愛くなりやがって…」
「…はっ?…いけなかった…?」
ただ、それまでの自分とは、決別したかった、だけだったのに…。
少しがっかりした顔を浮かべると、リュウくんは拗ねたように、あたしに言った。
「お前がキレイになると…困るんだよ」
「え?」
「オレだけが…お前のホントの姿…知ってたのに…。可愛くなったら、モテんだろ…」
目も合わせずそう言う彼を見て、あたしはどうしたらいいのか、更にわからなくなってしまった。
リュウくんレベルの男子なら、女子には困らないはずだ。
あたしなんかより、もっともっと可愛い子なんて、たくさんいるはずだ。
それなのに…なんで、あたし…?
そんなあたしの表情を読んだかのように、彼は、あたしに向き直って言った。
「大輪花は…そのままで、充分だ」
「…充分?」
「うん、充分。オレが、好きになるには、充分」
今…なんて?
彼は、具合が悪すぎて、頭までおかしくなってしまったのだろうか?
あたしは、嬉しいを通り越して、いよいよ心配になってきた。
「ねぇ…リュウくん…。熱、測った方がいいんじゃ…」
「熱なんて…ねぇよ。手…熱くないだろ?」
「そう…だけど…」
こんな事、すぐになんて、信じられる訳がない。
一時の気の迷いなら、話は分かる。
そうあって欲しいとすら、願ったほどだ。
けど…、こみ上げてくるこの、嬉しさと幸福感は、どうしても抑えられない。
あたしがそんな事をごちゃごちゃ考えていると、不意に、ポケットに忍ばせていたケータイが鳴った。
「あ、ごめん…」
あたしはベッドから飛び起きると、急いでそれを取り出し、確認した。
そのLINEは、聖羅ちゃんがあたしを心配している内容だった。
あたしは、すぐに返信をし、相良くんを保健室に運んできた事、それにより先生が不在だった事などを入れ込んだ。
その様を後ろからのぞき込んでいた相良くんが、少し拗ねた様子を見せた。
「…誰?」
「あ、聖羅ちゃん。あたしを心配してた」
「そう…」
と、彼はあたしのケータイをひょい、と取り上げた。
「ちょいかして」
そう言うが早いかあたしが驚くが早いか、止めようとした時にはもう既に、彼は何やらあたしのケータイを操作していた。
「ほんとに、聖羅ちゃんなんだってば…」
「違うよ。ちょい細工した」
悪戯そうな口調でそう言うと、彼は「細工」を施したケータイをあたしに満面の笑みで返した。
「はい。もー終わった」
「あ、ありがと…」
自分のケータイを勝手にいじられ、何故お礼を言っているのかよくわからなかったが、あたしは咄嗟に、返却された事への条件反射で、お礼を言っていた。
その時、ガラっと音がして、保健の先生が戻ってきた。
あたしはビクッとし、咄嗟に相良くんの元を離れた。
「じ、じゃあ…」
彼は優しい目だけで頷いて見せた。
「あ、教室入ったら、LINE見る事。わかったか?」
「あ、はい…」
何故か敬語になりながら、あたしは保健室を後にした。
保健の先生に何やら、相良くんの状態を聞かれ、あたしの知る限りの事を話しておいた。
もう、容体は安心だろう。
教室で、聖羅ちゃんと絵摩ちゃんがあたしを待っている。
少しだけ、急ぎ気味に、あたしは教室へと戻った。

「ほんっと、心配したんだよ!」
聖羅ちゃんに怒られるのは承知の上だった。
「ごめんなさい…」
あたしはしゅん、として謝る。
「でもさ、あたしたち、大輪花を応援するって決めたじゃない?だから、今回の事も、無事だったんだからそんなに責めるのよそうよー」
相変わらず、ほんわかした雰囲気で、絵摩ちゃんがたしなめてくれる。
ふと、あたしは、相良くんに言われていた事を思い出した。
『教室に着いたらLINEを見る事』
あたしは、ケータイを徐に取り出し、言われたとおり、LINEを開いてみた。
見た瞬間、びっくりしすぎて、口が開きっぱなしになってしまった。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。
そこには、登録もした覚えのない、メンバーが追加されていた。
他でもない、相良くんだ。
一体、何故!?
どうやって!?
あたしの頭の中は疑問符でいっぱいになり、訳がわからなくなってしまっていた。
「どうかした?」
聖羅ちゃんにきかれ、訳を話すと、
「ああ。簡単じゃん。アイツ、大輪花のLINEから自分を検索させて、それをそのまま登録したんだよ。だから、アイツのケータイにも入ってるはずだよ」
「そうなんだ!電話帳だけじゃないんだね…」
「大輪花…どんだけアナログなのよ」
そう、笑われてしまった。
そこに、一通のメッセージが届いた。
相良くんからだ。
『今日はサンキュな。これから、よろしく。大輪花』
それを見た瞬間、あたしの顔はかあっと熱くなった。
「どしたの?」
「待って…これって…え?」
「大輪花…。もしかして…」
聖羅ちゃんのその予感は、まさに的中していた。
こんな事があって良いものだろうか。
いや、良くはない。良い訳がない。
明日になったら、ほとぼりも冷め、また普通の生活に戻るに違いない。
あたしは無理にそう、自分に言い聞かせようとした。
すると、もう一通、メッセージが入った。
『また、夜LINEする』
これは…。
どう、解釈したら良いのだろう?
あたしは、弄ばれているだけに過ぎないのに、何故、こんな事ばかり…。
そんな事ばかりが頭を過る。
すると、しかめっ面をしながらケータイと向き合っているあたしに、聖羅ちゃんがそっと言った。
「…相良、本気だね、大輪花の事」
「…え!?まさかぁ…」
「いや…。アイツがこんなに女の子に興味持つなんておかしいよ。絶対。あの子の時だって、こんな事はなかったし、こんな話聞いた事もない」
「そ…そうなの?」
「うん。だから…大輪花。覚悟だけは、しといたほうがいいよ」
その意味もよくわからなかったが、あたしはとりあえず、うん、とだけ、頷いた。

その日の夜は、相良くんととりとめのないやり取りしかしなかった。
あたしの中には、まだ、あの時の傷が残っていた。
こんな事、本気にしたら、またあんな思いをしなければならない。
そう考えると、怖くなった。
…でも、あの時の、彼の目。
彼の、態度。
全てが、嘘には思えなかった。
そして、「秘密」の共有も。
あれすら、だたの偶然だったのだろうか…?
その全てに意味が何かしらあるような気がして、あたしは、その日、眠る事ができなかった。
その出来事を、夢だとも、思いたくなかった。

こうして、相良くんと、あたしの、「恋」は、始まってしまったのだ。