相良くんとの出来事があってからというもの、私は、それまで以上に彼を意識するようになってしまった。
目も合わせられなければ、話しをするなどもっての他だった。
最も、彼に話しかけられない限り、あたしから話しかける事などはなかったけれど。
それでも、どうしても否応なしに、目が合ってしまう事があった。
その時、彼はあたしに、ふっと笑顔を向けてくれるようになった。
あたしはどうしたらいいのかわからず、すぐに目を反らしてしまう。
それを面白がるかのように、横目でその様を見やりながら、悪戯な表情を浮かべている事も、あたしは知っていた。
あたしと相良くんは、それまでとは明らかに違う関係になってしまっていた。
それだけは、明らかな事実だった。
でも、好きという感情は暴走するばかりで、あたしの手には負えそうもない。
だから、思わず避けてしまう。
彼にとってのあたしは、戦友だ。
あの日、秘密と痛みを共有した、戦友に他ならない。
それ以上でもそれ以下の関係でもない。
その証拠に、あれからは彼の家に誘われる事もなければ、そのような展開になる気配すら、微塵も感じられなかった。
それでもあたしは、彼の秘密を知った時から、何か力になりたいとは思っていた。
だから、愛だの恋だのという感情は、抑えなければならない。
それに、それ以来、聖羅ちゃんがそれまで以上に相良くんを警戒していた。
「ね、大輪花。アイツに何もされてないよね?」
そう聞かれる回数が増えた気がした。
「う、うん。大丈夫。今までと一緒だよ」
「そう。それなら安心なんだけど…」
そうホッと胸をなでおろす、聖羅ちゃんを見て、あたしもホッとした。

「でもさ、相良、最近、大輪花の事、よく見てる気がするんだけど」
聖羅ちゃんの鋭いツッコミに、あたしは思わず、
「そ、そう?そんな事ないんじゃない?」
焦って動揺してしまいながらも否定はしたが、目が泳いでいるのが自分でもわかった。
「聖羅ー。心配なのはわかるけどさ、大輪花に限って、それはないってー」
「そうだといいんだけど。ただ…」
「わかるよ。聖羅の言いたい事。でも、もう大丈夫だと思うけどなー」
絵摩ちゃんと聖羅ちゃんのやり取りを横目で見ながら、あたしは目の前のお弁当を頬張った。
制服が夏服に変わった初夏のお昼休み。
あたしが倒れてから、かれこれ一週間が過ぎた。
それまでは、毎日のようにあたしを見に来る他のクラスの子がいたり、話しかけられたこともない子に色々と聞かれたりしたが、話すことが苦手なあたしは、それを濁し、そして聖羅ちゃんと絵摩ちゃんも、断るのを手伝ってくれたりした。
保健室の先生には顔も名前もバッチリ覚えられてしまった。
でもなぜあの時、相良くんが留守番だったのかは、生徒の中ではあたしだけが知っていた。
その、野次馬的な存在の中に、聖羅ちゃんが気にかかる子がいたらしい。
それについて、彼女は警戒しているのだった。
という事実は、絵摩ちゃんにこっそり教えてもらった。
「聖羅。大輪花は、もう大丈夫。ね。だから、そんなに警戒する事ないって」
絵摩ちゃんが諭しても、聖羅ちゃんの不安そうな表情が消える事はなかった。

そして、彼女のその予感は、不幸にも的中してしまう事になった。

それは、何の変哲もない普通の日常で起きた。
いつものお昼休み、あたしがトイレに行こうとすると、遮る女子たちが現れた。
「あんた、水島大輪花?」
「そ、そうですけど…何か?」
あたしはびっくりしてしまい、言葉に詰まった。
心臓が嫌な音をうるさいくらいに立てている。
なんだか、すごく嫌な予感がした。
それは、彼女たちの表情を見れば、一目瞭然だった。
あたしを真正面から睨みつけ、威圧するように腕組みをした女生徒が、あたしに突然、
「ちょっと顔かしてくれない?」
そう言ってきた。
「あの…あたし、トイレに行きたいんですけど…」
あたしはそう濁して、その場をやり過ごそうとした。
が、他の女子に行く手を阻まれた。
「ちょっとだけ。話するだけ。ね、いいでしょ?」
先ほど話しかけてきた女子が、不敵な笑みを浮かべてあたしに近づいてくる。
ここまで来ると、もう逃げられない。
あたしは観念し、女子達の言われるがままに、後を付いていった。

連れていかれた先は、校庭の隅、学校菜園がある場所だった。
校舎の裏手で、あまり人目につく場所ではない。
あたしはその場所を、この時初めて知ったぐらいだった。
3人の女子と共にその場所につくなり、あたしはドン!と壁に押し付けられた。
「あんたさぁ、なんでリュウにつきまとってるわけ?」
「…え?」
「とぼけんなって。知ってるんだよ。あんたがリュウに気に入られようとしてる事ぐらい」
「あたしは、そんなつもりは…」
彼女たちの気迫はものすごいものがあった。
リュウ、とは、相良くんの事だとはわかっていたが、つきまとうというよりは、向こうが目を合わせたりしてきているわけで。
あたしから、何もアクションを起こしているわけではなかった。
「あんたね、ぶっ倒れて、リュウの気を引こうとしたんでしょ?わかってるよ。計算高い女」
おそらくリーダーであろうその女は、あたしの髪の毛をぐしゃっとつかんで言った。
「リュウはさ、あんたみたいの相手にしないんだよ。あたしら、おな中だったから知ってるんだ。あんたみたいなのにチョロチョロされてると迷惑なんだよ!」
あたしが何も言えずにただただ驚きと恐怖の入り混じった表情を浮かべていると、その女は嬉しそうにニヤリと笑った。
「そうそう。その顔。そうやって怯えてずっと暮らせばいい」
あたしが怖がるのを楽しむように、彼女は手を振りかぶった。
その瞬間だった。
「こら!またあんたらなの!?」
遠くから、聞きなれた友達の声が聞こえてきた。
-聖羅ちゃんだ-
あたしは、ホッとしたのか、急に涙が出てきた。
もちろん、絵摩ちゃんも一緒にいる。
涙でかすんだ視界に、微かに二人の姿が飛び込んできた。
3人の女子達は、マズい、という顔をして、あたしから手を離した。
リーダー格の女子は、チッと舌打ちをして、
「またあんた。また、あの時みたいに痛い目にあいたいの?」
あの時…?
彼女のその言葉が気になった。
これが、前に絵摩ちゃんが言っていた事だろうか…?
「あたしはね、もうあんな思いをするのは嫌なの。なんなら、あんたの兄貴に言いつけてやろうか?」
聖羅ちゃんも負けずに言い返す。
兄貴、という言葉に、彼女の態度が一変した。
それまでの威勢はなくなり、諦めたようにあたしから離れた。
「ふん。ちょっと兄貴を知ってるからって。調子に乗ってると、今度こそただじゃおかねぇよ」
そう捨て台詞を吐き、3人の女子は去っていった。
あたしは、安堵と恐怖からの解放で腰が抜けてしまった。
聖羅ちゃんが、駆け寄ってきてくれる。
「大輪花!大丈夫?」
「立てる?」
二人は口々にあたしを心配してくれ、絵摩ちゃんが手を差し出してくれた。
それにつかまり、なんとかあたしは立ち上がる事ができた。
「良かった…!間に合って」
聖羅ちゃんがあたしを、痛いほど抱きしめる。
「聖羅ちゃん…」
「大輪花がさ、トイレ行くっていってからずいぶん時間経ってたから、心配してたんだ。トイレにいないから、ひょっとして、って思って…」
「そうだったんだ…」
あたしは、二人にどれほどの心配をかけてしまったのだろう。
そう思うと、胸が痛んだ。
「大輪花、今まで、相良がらみで心配しすぎてごめんね。全部、ちゃんと話すから」
聖羅ちゃんが、泣きそうになりながらあたしに言う。
「待って。聖羅、あたしから話すよ。話せる状態じゃないでしょ?でも、こうなった以上、大輪花にも知っておいてもらわないとね」
絵摩ちゃんが、冷静にそう言って、聖羅ちゃんをなだめる。
聖羅ちゃんは、こくん、と頷き、あたしからそっと離れた。
あたしたちは、その場に座って、絵摩ちゃんが、そっと話し始めた。

「大輪花。聖羅はね、中学の時、すごく仲が良い子がいたの」
絵摩ちゃんがそう話し始めると、あたしも聖羅ちゃんも、絵摩ちゃんの方をじっと見つめた。
「でも、相良が、その子にちょっかいを出すようになってね。多分、少しは好きだったんだろうね。女にはまるで興味がないアイツが、話しかけたり、悪戯したり。だから、すごく目立ってしまった。聖羅に聞いたと思うけど、陰でファンクラブがあるくらい、アイツはモテてたから」
「・・・・うん」
「あたしはその時は、今ほど聖羅とは仲が良くはなかった。違うグループにいたからね。でも、ふとしたきっかけで話をするようになって。それで、その子と仲が良い事も知ったの。相良は、その子とは小学校の頃から一緒だって言ってた。聖羅と同じ。だから、聖羅とも仲が良かったんだよね」
あたしも聖羅ちゃんも、頷きながら聞いていた。
「それが、あの3人は気に食わなかったんだろうね。そりゃ、ファンクラブのドンみたいなもんだから、気に入るわけないよね。相良にはまるで相手にされてなかったけど。でも、その3人のうちの一人と付き合ってるって噂は、常にあった。まあ結局、つきまとってただけだったんだけど」
「・・・そうなんだ」
「うん。それで…事件が起きたんだよね。今回みたいな。その時、聖羅は大輪花みたいに、その子を庇ったの。それこそ必死だった。でも、その時は、その3人が主犯になったクラスぐるみのイジメにまで発展して、結局、その子は不登校になっちゃったんだ…。今より、
あの3人は陰湿だったんだよ」
「そんな…ひどい!」
あたしは思わず声を荒げてしまった。
「でしょ。そうしたら、今度はその矛先が、聖羅に向いた。でもね、聖羅は不登校にはならなかった。そんなの相手にしない、って
一人で戦った。その時、あたしは違うクラスだったから、そのイジメの事は知っていたけど、遠くから見てる感じだったのね。だから、聖羅の傍にいてあげられた。聖羅は、クラスでは一人だったけど、クラスを出たらあたしがいたの」
「…そうだったんだ…」
あたしには誰もいなかったから、その、聖羅ちゃんの親友だった子の気持ちが痛いほどわかった。
「大輪花は、その子に似てるの。何となくね。雰囲気とか、印象みたいなのが。だから、聖羅は最初からほっとけなかったんだろうね。あたしも大輪花と仲良くなりたかったし。だからね、仲良くなれた時、すごく嬉しかったんだよ」
絵摩ちゃんは、あたしに満面の笑みを見せてくれた。
「だから、聖羅は、相良に対して警戒するようになった。相良本人も少しは責任を感じてたみたいでね、その子の事気にかけて、聖羅に様子をたまに聞いてた。あの3人をその時、相良は一喝したんだけど、まだ懲りてないみたいだね。そのイジメには、相良は加わってなかったし」
聖羅ちゃんは、言葉を発するでもなく、黙って聞いていた。
時々、悔しそうな表情を浮かべながら。
「聖羅に彼氏ができたのは、ちょうどそのほとぼりが落ち着き始めた頃だったね。2コ上の先輩でね。どっちが告ったとかは知らないけど、その相手が、あの3人の主犯の女の、兄貴の同級生で。仲良かったみたいだね」
「えっ!?そうなんだ」
あたしは思わず聖羅ちゃんを見た。
「ちょ、絵摩!余計な事…」
「だって、本当の事だし、兄貴って言葉が出てきちゃったんだから、大輪花だって不思議に思うよね?」
「・・・うう」
聖羅ちゃんは顔を真っ赤にしてしぶしぶ承諾した。
「でも、聖羅の彼氏は聖羅が大好きだから、そんな事をしていた事実を後で知って、その兄貴にキレたみたいだね。そしたら、あの女が大目玉食らったみたいで、さすがに懲りたみたいね」
絵摩ちゃんはそこまで話すと、悪戯っぽく、ふふ、と笑った。
「そんな事があったんだ…」
「聖羅は、あの子が不登校になったのは自分が守り切れなかったせいだって、自分を責めた。すごく、すごく責めた。だから、同じ思いをしたくなかったし、させたくなかったんだよ」