堺商人との関係を取り持つため
茶頭となった宗易も自分の地位を
高めることに成功し、最初の頃は
信長と利害が一致していた。しか
し本来、宗易が目指していた茶の
湯は「身分に関係なく誰でも茶の
湯を通じて語り合える世界の実
現」だったと目覚めた。
 気がつけば茶の湯は茶器の値踏
みをする場になり、神のように振
舞いだした信長が、あたかも家臣
に神の宝物でも授けるように茶器
を与えることに嫌悪感を増した。
 さらに高慢になった信長は家臣
を使い捨て、まるで物のように扱
うようになり、優秀で忠実な家臣
の明智光秀でさえ無慈悲な扱いを
していることに、宗易はいずれ自
分も厄介払いされるかひどい目に
遭うのではないかと恐怖を感じる
ようになった。そこで百姓から出
世を続け、庶民に人気急上昇の秀
吉なら自分の目指す「身分に関係
のない茶の湯」が実現できると思
い秀吉にすりより、信長の暗殺を
考えるようになった。

 天正十年(一五八二年)
 信長はこの時代の平均寿命の四
十代後半の四十九歳になると自分
の寿命を考えるようになった。
 信長が好んで舞った謡曲「敦
盛」の一節に、

 人間五十年
 下天の中をくらぶれば
 夢幻のごとくなり

 一度生を受け
 滅せぬ者のあるべきか

 これは、

 人間界の五十年は天上界からみ
ればたった一日
 眠って見る夢は長いようでも目
が覚めれば一夜が過ぎているだけ

 この世に生まれたら誰だろうと
いつかは死ぬのだ

と読める。
 今すぐ天下を取ったとしても残
りわずかの人生しか統治できな
い。また神として振舞う自分が老
いていくことが許せず、異国の若
返りや延命の呪術に興味をもつよ
うになった。
 三国志の諸葛孔明は自分の死を
悟ると延命の呪術をおこなったと
される。そうした話を信長も知っ
ていた。