天正十二年(一五八四年)一月
 羽柴家は毛利一族との交渉が順
調に進んでいることもあって穏や
かな新年を迎えていた。
 この頃、秀吉の家臣には武勇に
優れた「賤ヶ岳の七本槍」に加え
参謀として弟の秀長、茶頭であり
ながら外交交渉にもあたる千宗
易、賤ヶ岳の戦いでは武功もあ
げ、知略にも長けて徐々に頭角を
現し始めた石田三成と大谷吉継が
いた。
 特に秀吉は今年で二十五歳にな
る三成と三成より一つ年上の吉継
にもっとも期待していた。
 大陸、明の歴史書、三国志によ
れば、蜀の劉備玄徳に仕えた二人
の軍師、諸葛孔明とホウ統士元は
「伏竜、鳳雛」と称され、この二
人を得れば天下を取れるとまで言
われていた。
 秀吉はこれにならい、三成と吉
継を「伏竜、鳳雛」になぞらえ宣
伝することで、世間は秀吉の天下
統一が実現するかもしれないと感
じるようになっていた。
 その過熱をいっきに冷ますよう
に秀吉の前に立ちはだかる巨人が
動き出した。