冷たい。気持ちいい。
「ああ、よかった。目が覚めたね」
 額に当る冷たい感触にゆっくり目を開けると、若い男がほっとした表情で覗きこんでいた。彼は冷たく濡らした布で、私の額の汗を拭う。
「熱が下がってよかった。四日も熱にうなされていたんだよ」
 彼は柔らかく微笑み、私の頭をなでる。
「お腹はすいていない?何か食べられそう?」
 こくりと頷くと、彼はおとなしくしているよう言い置いて、どこかへ行ってしまった。
 一人になった部屋。白い天井に向かって右手を伸ばす。枷によってできた手首の傷には真っ白な包帯が丁寧に巻かれていた。翳した手を見つめ、閉じたり開いたりしてみる。意識も大分はっきりしてきた。熱で体力を失ったようで、体は随分重い。体中がぴりぴりと痛むのは、砂嵐にもまれ傷だらけだからだろう。健康とは言いえないが、五体満足で確かに生きている。
「生きてる……」
 声が震える。死を覚悟したあの時の恐怖を思い出し、今確かに生きているということに涙で視界が滲む。
「まだ無理しない方がいいよ」
 寝台の上で起き上がろうともがいていると、食膳持ってきた男が、慌てて駆け寄ってきた。机に食膳を置き、私の背に片手をを宛ててゆっくりと支え起こしてくれる。
「あ、ありがとう」
 養父以外の異性にこんな風に世話されたことなんてないものだから、どう反応していいかわからずどぎまぎしてしまう。
 そんな私の様子をまったく気にする様子もなく、男は私の口元にコップを充てる。私は促されるままに水を口に含んだ。
「おいしい」
 ただの水なのにとても美味しく感じる。ほうっと息をつくと、口元に匙を差し出した。
 きょとんとして男を見ると、こくこくと頷き、食べるように促された。
 見知らずの異性に食事を食べさせてもらうなんて、恥ずかしくてできるはずがない。普段なら絶対に拒否する。しかし鈍った体は思った以上に言うことを聞かず、私は羞恥心を押さえて、男の好意に甘えることにする。
 素直に食事をぱくぱく食べる私に、男は終始嬉しそうにしていた。
「私はリシャール。一応ここの主だ」
 食膳を下げ、男はそう名乗った。
 一息ついた私は、部屋をぐるりと見渡す。この部屋だけでかなりの広さがあり、床や壁は大理石だろうか、つやつやと光沢のある白い石でできている。置かれた調度品も品があるものばかりだし、少し離れた位置にある窓からは、美しい庭園が見えている。先ほどの食事も肉や果物といった栄養のあるいい食材が使われていた。ここは恐らく大きなお屋敷だ。
 改めてリシャールを観察してみる。年は二十歳前半だろうか。穏やかな雰囲気を纏う彼は、雰囲気どおりの優しく整った顔立ちをしており、黒髪と黒い目が物静かな印象を与えている。身に纏う衣類は派手ではないが品がよく上質な生地を使っているようで、ここの主と名乗った彼が裕福なのは間違いない。商人という風でも、役人という風でもない彼は、裕福な家に生まれた後継ぎか何かなのだろうか。
 どちらにしろ、そんな人が4日間も病人の看病をするだろうか。そもそも私をどこで拾ったのだろうか。ここはどの辺りなのだろうか。次々と疑問が出てくる。
 とはいえリシャールは悪人には見えないし、ずっと体が弱った私の世話をしてくれていたのだ。その点は安心していいだろう。
 それに私にはまだ彼の助けが必要だ。純粋に助けてもらった感謝の気持ちも多大にある。
 今は彼を質問攻めにしたい気持ちをぐっとこらえることにする。
「私はライエといいます。助けてくれてありがとうございます。とても感謝しています」 人としてまずは感謝の気持ちを伝えなければ。
「ライエ。綺麗な名前だね」
 いきなりの言葉に頬が熱くなる。彼はなんなんだ。微笑みながらこんな恥ずかしいことをすらりと言うなんて。
「もうしばらくゆっくり休むといいよ。何かあれば私を呼んで。それと、私に敬語は必要ないから」
 それだけ言うと、リシャールは私の頭をひと撫でし、部屋を後にした。