一連の行為が終わったあと、私はお湯が激しく流れ出る下に身体を置き、喉元から胸元まで手を這わせる。
 喉から鎖骨へ、鎖骨から胸のふくらみへ。
 さっきまで宵が私にやってくれたように、そっと見えない何かをなぞるように。
 指先は、水に濡れた素肌の上を何の抵抗もなく滑っていく。

 辺りには、私の身体に弾かれたお湯の床に落ちる音だけがけたたましく響いていた。
 水は散々騒いだ挙句、おとなしく排水溝へと消えていく。
 そんな中、ふと私は自分の手の甲に鼻を近づけてみた。
 鼻先で手の甲をなぞるように、右から左へと顔を動かしていく。

 身体からはベッドに入る前の香りは消えていた。
 日常の上に上書きされた甘いシャンプーや薄い香水の香り、それらはもうとっくにかき消されている。
 だから、そこに残っているのはお湯と私と……宵の匂いのはず。
 現実を消し去った夢の匂い、それが私に染み付いているはずだった。

(…………)
 だけど、私の身体からは、宵の匂いだと明確に感じられるものを見つけることはできなかった。
 ただ、お湯とは違う涙のような香りがほんのりとするだけだった。

 確か、侑子さんは、大茴香のような上品で甘く大人な香り、
 亜紀からは、まるで柘榴のような、ちょっぴりとろみのある可愛い香り、
 そして陽くんからは、確か柔らかい土の香りがした気がする。

 私は頭からお湯を被り、少しだけ気だるく、芯の熱い体をほぐしていく。
 顔を濯ぎ、濡れた髪に指を通し、クシャリと握る。毛先からは、止め処なく透明の温かなものが滴っていく。

 するとその時、またあの涙のような独特の香りが私の鼻腔をくすぐった。
 そして、そこで私は気がつくのだ。
 あぁ、これが宵の香りなんだ、と。

 宵の身体に顔を埋める時、宵からはいつもホッとするような穏やかな香りがする。
 全身の強張りを解いてしまうような、強制的にすべてを放り出してしまうような……それがこの香りなんだ。
 陽くんが、土で暖かな大地だというならば、宵は――
(宵は、きっと海なんだ)
 そんなふうに思ってしまう。

(あぁ、海か……)
 そして、私の思考は次々へと移り変わっていき、今や、過去や、その狭間をうろうろと彷徨い続けるのだ。
 私はそうやって熱いお湯を被りながら、幾つものことに想いを馳せる。
 きっと誰かに抱えてもらうには多すぎることを。それらを全部、シャワーの勢いで流し落としてしまおうとするのだ。
 消えない何かを、洗い落とそうとするのだ。 

(……うみ、か)
 私にあたり、私の色に染まったお湯はまた、物言わず排水溝に消えていった。