そんな大好きだった、おじさんとおばさんが死んだとき私は泣いた。
それは盛大に。
だけど、彼は涙一つ見せなかった。
彼の表情とか覚えてないけど、きっと何が起こったのかさえ理解できていなかったのかもしれない。
それ以降、彼は私の家でご飯を食べる機会はさらに多くなった。
お父さんもお母さんも責任感から彼の面倒を見ていたわけじゃない。
彼のことが好きだったからだ。
それが敏い彼にもわかっていたから、素直に甘えていたのだろう。
私が彼のことが大好きなのは水野家の血筋もあったりするのかもと、思ったりする。
食事をまともに取っていなかったから、夕食は早目が良いと、私はすぐに仕度を始めた。
お母さんのサポートなしで私だけで作る。
まぁ、お母さんは彼に夢中で手伝う気はさらさらないだろうけど。
料理はお母さんに教えてもらった。
お母さんが一番身近に教えを請える人だったからというよりも、彼は上京するまでお母さんの手料理を食べていたし、おばさんもお母さんも、この土地の出身だから味付けは同じだった。
小さい頃から、私たちは二人のお母さんの料理を食べてきた。
つまりは、彼にとっての『お袋の味』は私のお母さんの料理でもあるのだ。
高級な料理は飽きがくるかもしれないけど、温かで、懐かしい味はそんなことはない。
彼が久しぶりに食べる懐かしい味を喜んでくれるはずだ。
彼の『お袋の味』を再現できるのは、今では、私とお母さんしかいない。
料理ができる女性は多くても、これは他の誰にもできない。
彼が将来の伴侶を選ぶときに、この一手は強いと思って、特に料理には力を入れてきた。
初めて卵焼きが上手く出来たときの喜びは忘れられない。
それから料理が楽しくなって、高校時代には自分とお父さんのお弁当を作っていた。
炊事をすると、手が荒れてしまうのが難点だけど。