初めて彼女を見たのは、研究室棟の玄関だった。

植木鉢の前に座り込み、なにやらじっと覗きこんでいたので、変な子がいるという印象だった。

よくよく考えてみたら、それは自分で種をまいた鉢だった。何かのイベントで貰った種を空いていた植木鉢にまいて、そのまま忘れていたのだ。

たまたま雨のかかる場所であったためか、種自体の生命力かその種が芽を出していた。

彼女が見ていたのは、その芽だった。

熱心に芽を見て、何を考えていたのだろう。ほんの少しの好奇心が湧く。それもわずかの間で、今までの付き合った女性とのやり取りが頭をよぎり、それ以上触れることなく流れていった。




ある朝、また彼女を見かけた。


にこにこと何やら楽しげに大きな袋を抱えていた。両手で大切に抱えていた物は、緑の棒らしく、なんでそんな物を楽しげに運んでいるのか興味が湧いた。

彼女は研究室棟の玄関につくと袋を広げ、中から輪の三つ付いた棒を取り出した。

手慣れた様子で輪についた支柱をスライドさせて、植木鉢に差し込んだ。

うんうんと頷きながら、支柱のバランスを見て、伸びてきた蔓を絡ませ始めた。

どうやら僕の貰った種というのは、蔓の伸びる種類だったらしい。

すっかり鉢の所有者のように世話をやく姿を見たら、口元に笑いが浮かんできた。




それからは、歩いていても彼女を目で探してしまうようになっていた。

視界の隅に彼女を見留めるだけで、なにかあたたかいものが胸に湧く気がした。

ふわりと髪をなびかせて歩いている姿を見るだけで、幸せな気持ちをもらえた。

彼女はいつも楽しげで、それは友達といても、独りであっても変わることはなかった。

そんな姿を見るだけで、僕は満足していた。手を伸ばして払われる辛さを、また味わうつもりはなかった。





「瀬波、お前、こいつら面倒見ろ」

生物学の渋沢教授は、どこにでもいそうな、いわゆるオジサンだ。薄手のチェックのシャツにプレスがへたっているスラックス、健康サンダルで校内を闊歩する。

教授から渡されたプラケースには、蛍の成虫が閉じ込められていて、なんだか窮屈そうだった。

「用水路の脇に、繁殖用の小屋があるから、そこを使え。鍵を渡しておくから。あと、歴代の観察ノートがあるから渡しておく」

そう言ってノートと鍵を押し付けられた。


「僕に断るという選択肢はないんですか?」

椅子に座った教授は、眼鏡の隙間から見上げるような視線をよこした。


「ない。お前にはそれが必要だからな」


キイッと椅子を軋ませてデスクに向き直ると、パソコンのキーを乱打し始めた。

これでこの話は終りだと言うように、すでに頭を切り替えてしまっている。

仕方なく肩を竦めて蛍を連れていくことにした。



ぱらぱらと見たノートには、大した記述もなく、教授に対しての感謝の言葉が大半だった。

『やって良かったー』
『蛍感謝!!』

などなど。半信半疑でしかない。

ジンクスを信じるなんて簡単に出来ることじゃない。

自分にとって好きなことは、他の人からしたら変わっていると言われかねない。

それでもどこかに僅かに期待していた。