小さい頃(今も十分小さい頃だけど)は、割と明るくて活発な性格だったと思う。お母さんやお父さんも私にだって愛情をくれていた。
仕事が忙しくて、なかなか家にいないことも多かったけれど、それでも家族全員がいる時は皆でよく出かけていた。
幼稚園を卒業てからだろうか。
お母さんは、危ない仕事ではないけれど、夜の仕事?みたいな事を始めた。
私の家が、家庭的に苦しいことを知っていたから、特に何も思わなかった。
多分、この時から私達家族の歯車はずれていったんだと思う。
お母さんが夜いないのはいつもの事だった。慣れ始めてきた時。兄と布団に入って寝ようとしていた。でも時刻はまだ7時くらいだった。
この時すでに、夕飯を食べないだなんてことは普通になっていた。
お父さんは、お母さんに頼まれてか、夜はいつも家にいた。
私は嬉しかった。
お父さんが、私たちのために家にいてくれるんだと思うと本当に本当に嬉しかった。
仕事が忙しくて、なかなか家にいないことも多かったけれど、それでも家族全員がいる時は皆でよく出かけていた。
幼稚園を卒業てからだろうか。
お母さんは、危ない仕事ではないけれど、夜の仕事?みたいな事を始めた。
私の家が、家庭的に苦しいことを知っていたから、特に何も思わなかった。
多分、この時から私達家族の歯車はずれていったんだと思う。
お母さんが夜いないのはいつもの事だった。慣れ始めてきた時。兄と布団に入って寝ようとしていた。でも時刻はまだ7時くらいだった。
この時すでに、夕飯を食べないだなんてことは普通になっていた。
お父さんは、お母さんに頼まれてか、夜はいつも家にいた。
私は嬉しかった。
お父さんが、私たちのために家にいてくれるんだと思うと本当に本当に嬉しかった。


