「そんなことはわかってます。ちょっと見てみたかっただけです」
 男の態度に頭にきたが千穂は帰ろうとは思わなかった。眼鏡屋の雰囲気を考えればその男の対応も妙に納得できる部分があった。
「眼鏡の新調ですか?」
「いえ、コンタクトなんですけど」
 千穂がそう言うと、男は少し考えてから
「コンタクトなんかより、もっと君に似合う眼鏡がある」
と後ろの戸棚から縁が太い丸いレンズの眼鏡を取り出した。千穂がカウンターに置かれた時代遅れの眼鏡をかけると、重みをまったく感じず耳に鼻に実によくフィットした。何よりも驚いたのは視界がまるで小学生のときに戻ったかのように鮮明だった。
 不思議な顔をしている千穂に
「とてもよくお似合いですよ」
と男は初めて微笑んでそう答えた。
 千穂は支払いを済ませて店を出る前に踵を返して男に聞いた。
「どうしてこのお店には鏡がないんですか?」
「必要がないからです」
 男は真顔で答えた。
 千穂はその眼鏡屋が潰れることは永遠にないのだろうと思った。