誰よりも大切なひとだから。




私は彼の動揺に気付かなかったふりをして、参考書を開いた。


それは、皮肉にも、長野くんと一緒に勉強してきた数学の参考書。


私は唇を噛み締めた。


背後で、どうしよう、と困惑している彼の気配が窺える。


……上手く笑えなかった。


何にもなかったことにはできなかった。


あいにく、東先生は私たちの動揺に気づいていなかった。


長野くん相手に、仔犬のハッピーちゃんの話をしている。


シャープペンシルを取り出しながら、私は彼の表情を思い返した。


無理矢理、唇を持ち上げていたその表情。


そんな表情をさせたくなかった。


自然な笑顔を見たかっただけだった。


"大丈夫。近藤さんにそんな思いは俺が絶対にさせない"


"また話しかけたら笑ってな。長野くんの笑顔、好きやから"


約束が、彼を苦しめている?
だよね?


そんなつもりはなかった。
あなたを苦しめたかったわけじゃない。


わがまま過ぎたよね、ごめん。


あなたはあなたの笑顔を忘れてほしくない。


「そういや、近藤、3月の学年末テストっていつからや?」


先生の声に振り返ると、彼が困った顔で私を見ていた。


ギクシャクしていることを気にかけているらしい。


「んー?先生ちょっと待ってな」


スケジュール帳をパラパラめくり、先生の質問に返答する。


「さすが、近藤。俺よりスケジュール管理が徹底しとる」


先生からの褒め言葉に長野くんが笑いながら、同調している。


私も苦笑いを返しておく。


私と長野くん。
近くにいるのに、遠い。


まるで、鏡の中の自分を見ているみたいだ。


「先生。テスト簡単にしてな!」


視線は東先生に向ける。


「えー!めちゃくちゃ難しいやつにする」


ひねくれ者の先生らしい回答。


「それは困るって!うちら受験勉強も忙しいやん?」


ねぇ?と不自然にならないように、長野くんにも視線を送る。


彼は下手くそな笑顔のまま、コクコクと頷いた。


彼の笑顔らしくない。
いつもの笑顔に戻ってほしい。