「キョウちゃん?」
気がつくと、ぼくのアイスのカップは空になっていた。
ぼくは立ち上がると、楽器店の方へ向かい、展示してある電子ピアノをおもむろに弾き始めた。
「oh my god!!」
うしろで美耶子の声がきこえた。
急いでアイスを食べ終えた美耶子は、駆け足でやってくると、ぼくの右腕にピタリと肩をくっつけた。
「ピアノ弾けたの!?」
ぼくはそれに答えず、そのままピアノを弾き続けた。
それは、美耶子もよく知っているあの曲だった。
「ここ」
ぼくはサビの、ある部分で指を止めた。
「ここのコードはEじゃなくてDデミニッシュにした方がいいんじゃないかな。Eだとなんか汗臭い感じがする」
それは、ぼくが美耶子とはじめて会った日に、彼女がきかせてくれたあの曲だった。
ぼくは新しいバージョンのサビを通して弾いてみせた。
「ね?こっちだと雨の日のパリって感じ」
美耶子の方を見ると、彼女は目を輝かせながらぼくをみつめている。
惚れたなと思った。意外とあっさり落ちたので、ちょっと拍子抜けもしたけれど。
直す前のバージョンのサビをもう一度弾いてみる。
「こっちだと初戦で負けた野球部」
美耶子はプッと噴出すと、声をたてて笑った。「初戦」という言葉の意味をわかっていたかどうかは疑問だが。
笑いがおさまると、美耶子は突然、ピアノを弾くぼくの頬を両手で包み、うっとりした表情で言った。
「You know, you’re the most strange guy I’ ve ever met…(知ってる?あなたって私が今まで会った誰よりも変わってる)」
そして、彼女は軽く背伸びをして、ぼくの唇にキスをした。