まだ耳にあいつの声が響いている。あたしの名を呼ぶその声は、繰り返し繰り返し、胸の内で谺する。深淵の闇の中、あたしはきつく自分を抱き締めて、解放の言霊を囁いた。
 …天狼(てんろう)。
 瞬間、血の色をした焔が身体から吹き出し、服を剥いで膚を舐め、髪をなぶる。あたしは点した焔が消えないように、記憶を一つ火にくべた。


 あいつと目が合った、あの瞬間を覚えている。揺ぎない眼差しが、あたしを捉えた瞬間を。
「天狼、晶鵠(しょうこく)、火辰(かしん)よ。この凍りつつある世界を救う為に、お前達は選ばれた。命に代えても、必ず使命を果たせ」
 あたしは無責任な長達の宣告を聞き流しながら、頭を巡らせて、これから旅をともにする相手を確かめた。
 雨上がりの梨花を思わす女性が晶鵠、こちらに気付くと、しっとりとした微笑と会釈とを寄越してくる。
 今一人は、野生の獣の如き鋭い眼をした男。彼と視線が合ったとたん、胸の奥で火花が散った。弾けた火花が、天狼という男の名を心臓に刻む。
 世界が氷に閉ざされていく原因は明白だった。火を司る朱雀が死に瀕しているからだ。無論、時が到れば新たな朱雀が生まれる。だがそれまでの間、大地を温めるものが必要となる。あたしたちはそれを探し出さねばならなかった。
 長い長い旅の途中で、何度あいつと口論したか分からない。あいつの激しいまでの真っ直ぐさと、あたしの意地っ張りな気の強さとが、事あるごとにぶつかり合った。
 当初あたしたちの仲を案じていた晶鵠だが、やがて微苦笑と共に見守るようになり、折に触れ、あたしたちを喧嘩友達だと評するようになった。あたし自身そうだと感じていた。
 いつからだったろう、それが変化したのは。
 いつ頃からだったろうか、あたしは前だけを見据えるようになった。ただひたすらに前だけを。そうすれば、あいつを見なくて済んだから。晶鵠をその瞳に映し続けるあいつを。
 あたしは目を閉じ、耳を塞いで、気付かない振りをし続けた。―いつまでも気付かないままでいたかった。