アキオ・トライシクル~心理学入門編~

 テルミの父は、酒をあおって返事を返してこない。彰夫は縁側に手をついて頭を下げた。
「お義父さん、お願いします。」
 テルミの父親はそんな彰夫をしばらく見つめていたが、やがて諦めたように口を開いた。
「わかった、とにかくテルミの部屋のドアを開けさせてくれ。できるか?」
「自分には考えがありますから…。そのかわり、お義父さん飲んでいるそのお酒を少しお借りできませんか?」
「好きにしろ…テルミの部屋は、2階にあがった右だ。」
 彰夫は、義父が台所から持ってきた日本酒の一升瓶を抱えると、礼を言ってテルミの部屋に向った。
「ああ、それから…。」
「なんですかお義父さん。」
「わしは今まで、娘に会いに来た男がわしをお義父さんと呼んだら、きっとその場で半殺しにするだろうと思っていたが…案外許せるもんだな。」
 テルミの父の言葉を聞いて、彰夫はもしかしたら半殺しになってかもしれない言葉を無意識に使ってしまった自分が恐ろしくなった。

 テルミの部屋の前に立った彰夫はしばし考えた。ことを始める前にまず中に居るのが今、テルミなのか、好美なのか確認する必要がある。すると彰夫が策を弄する必要もなく、中からテルミの声がした。
「彰夫なんかに会いたくないわ。帰って。」
 なんで自分が来たことを知っている?縁側での義父との会話に聞き耳を立てていたのか?自分の世界に籠っているのではなく、何かを待っていたのか?
「テルミ、久しぶりだな。」
 テルミからの反応は無かった。
「もうずっと部屋にこもっているんだって…。そろそろお酒が切れてる頃じゃないか?」
 あいかわらず返事が無い。彰夫は言葉を続けた。
「今日ね、お義父さんが注文していた酒が入ったんだって。聞いたら、『風の森』とかいう幻の銘酒らしいよ。へぇー、奈良の蔵元の酒なんだ…。1719年 享保4年創業、油長酒造か…。」
 部屋の中で人の動く気配がした。
「あれ、一升瓶に解説の書いたタグが下がってら。なになに…金剛渇城山系地下100mの湧水を用いられ、最初の飲み口では協会7号酵母ならではのフルーティーな上立ち香と含み香が出現します。俺には意味がわかんないな…。」
 ドアのすぐ向こうにテルミがいる気配がする。