アキオ・トライシクル~心理学入門編~

 克彦はその意味を理解した。
「誤解するなよ。言っておくけど、僕たちに子供が居ないのは、信子がまだ仕事に専念したいって言うからで…。」
 克彦の弁解も最後まで聞かずに自分の席に戻る美穂。その後ろ姿から聞こえてくる鼻を鳴らす音に、克彦は彼女があからさまに鼻で笑っているのだと確信した。

 一日休めば熱も落ち着くと言う彰夫の予想に反して、発熱のピークは夜にやってきた。熱はあるとはいえ昼間はこう着状態だったので、これ以上熱も上がるまいと、好美も多少気を緩め、看護の手を休めて自室で休んでいる。夜の闇が訪れた頃に、彰夫は眼が覚めた。熱で眼が覚めるということもあるのだと、彰夫は初めて知った。身体がだるく息をするのも苦しい。好美に助けを求めようとするが、声が出ない。すると、勢いよく彰夫の部屋のドアが開き、好美が彰夫のベッドの様子を見に来てくれた。さすが好美だ。来て欲しい時に来てくれる。助かった。しかし、覗きこむ彼女の瞳を見て、彰夫は絶望的になる。来たのは黒い瞳のテルミだった。
「あらぁ、苦しそうね。わたしを馬鹿にした罰かしら。」
 彰夫は言い返す力もない。
「バッグを離さなかったのは褒めてあげる。でもこんなことで、私が納得したなんて思わないでね。」
 水が欲しい。声が出ない彰夫は濁った眼で、テルミに助けを求めたが、彼女はそんなことを意に介する様子がない。
「彰夫はお水が欲しいみたいね。あたしはお酒が欲しいの。今夜も飲みに行ってくるから…。じゃあね。」
 テルミはそう言って部屋を出ていった。勢いよく閉められた入口のドアの音を、ベッドで耳にした彰夫は、自分は本当に取り残されたのだと諦めた。