アキオ・トライシクル~心理学入門編~

『テルミは、本当に日本酒が好きなんだな。もしかしてアルコール中毒なのか。』
 闇に消えていくテルミの後ろ姿を追いながら、彰夫は考えた。そんなテルミを、本当に自分は好きなのだろうか。話の流れでテルミのことを好きだと言ったものの、アルコール恐怖症の男が、アルコール大好き女と上手く付き合えるわけが無いと感じていた。そもそも交代人格とわかっているのに、その人格を好きになれるのだろうか。さらに、交代人格に、同一性の自覚なんて芽生えさせていいのだろうか。よしんばそれが正しいことだとしても、それを専門医でもない自分がやってもいいことなのだろうか。好美を守るために始めたことなのに、なにか違う方向へ走っているような気がしてならなかった。
「おい、おまえ。」
 気がつくと彰夫は、暗闇の砂浜の上で数人の男達に囲まれていた。
「お前、ストーカーだってなぁ。」
 男達はいたって自己中心的な理由で慢性的なストレスを感じており、そのはけ口としての怒りの矛先を、常に求めている人種であることが一目でわかった。ストーカーという称号は、彼らに遠慮のない暴力を許す格好の材料となっているはずだ。彰夫を囲む輪がじりじりと詰められていった。暗闇の中でも彼らの殺気がひしひしと肌を指すのがわかった。
「お前が奪ったというハンドバックを返してもらおうか。」
『やりやがったな、テルミのやつ…。』
 彰夫はポシェットを胸に、暗闇の海へダッシュした。

「専務、お電話ですよ。」
 江の島ハウジングのオフィスで美穂が信子に電話を取り次いだ。
「誰?」
「大塚さんと言う女性の方です。」
「ああ、好美さん…。」
 昨夜、晩餐に招待したものの、ふたりは忽然と姿を消した。好美は酔い潰れていたので仕方がないのかもしれないが、彼女を連れて挨拶もなく姿を消した彰夫の非常識には多少腹を立てていた。しかも彰夫は、事務所が開いたと言うのにまだ姿を見せない。
「もしもし…。」
 か細い声が返って来た。
「…好美です。昨夜は大変ご馳走になりました。お礼もせず帰ってしまって申し訳ありません。」
「そうよ、何も言わずにいなくなったから心配したのよ。」
 信子はふたりの非礼への抗議の意味を含めて、多少語気を強めた。
「…本当に申し訳ありません…。」
 今にも消えて無くなりそうな声だった。
「で、ゆうべはどうしたの?」