アキオ・トライシクル~心理学入門編~

「そっ、そんなことは、考えていない…。」
 そう言いながらも、答える表情と少しカミ気味の返事は、その言葉の真偽を証明するには、はなはだ不適当なものになっていた。彰夫は慌てて言葉を足した。
「テルミの誤解だよ。」
「だいたい、わたしとあの女とどっちが好きなの?」
「どちらも…好きだよ。」
「嘘つかないで!この前あたしを抱こうとしなかったじゃない。なのに、あの女の真似をしたら抱いたわよね。」
「いや、それは…。」
 テルミは話を打ち切るかの様に彰夫の返事も待たずに歩き始めた。彰夫はすぐ追いかけて、彼女の前に立ちはだかる。
「テルミは、テルミ自身と好美さんとの関係がわかってものを言っているのか?」
「好美って誰よ。それがあの女だとしたら、わたしとは何の関係もないわ。」
 ここから彰夫は慎重になった。切り離された人格に、基本人格との同一性の自覚を、どのように芽生えさせたらいいのだろうか。他人があからさまに暴露して、同一化を強要してはならないことはわかる。あくまでも自らが自然に気付くように導かなければならない。彰夫は慎重に言葉を選んで言った。
「いいか、俺が好美さんを好きなのに、テルミが嫌いになれるわけないだろう。」
「意味わかんない。」
「いいか、よく考えてみろ。好美さんを大好きだと言うことは、テルミの事が大好きだと言っているのと同じことなんだぞ。」
「それって、いわゆる二股でしょ。」
「だから…。」
「あの女と並べて言われるのは気に入らないけど、わたしのこと大好きだったらそれを証明してよ。」
 テルミがまた悪戯っぽく笑いながら言った。彰夫は彼女から受けた様々な仕打ちを考えると、身を固くして警戒せざるをえなかった。
「どうやって…。」
「簡単よ。あたしが日本酒買って帰って来るまで、これを持ってここで待ってて。」
 テルミは自分が肩から下げていた小さなポシェットを彰夫に手渡した。
「そんなことで証明できるのか?」
「ええ。」
「日本酒買ってきても、俺は飲まないぞ。それでもいいな。」
「ええ、お金はちょうだい。」
「俺が出すのかよ。」
 彰夫はポケットの財布からしぶしぶ札を出した。
「それからそのポシェットはわたしが一番気に入っているモノだから、大切にしてよ。」
「ああ。」
「失くさないで、彰夫の手からちゃんと私に返してよ。」
 そう言い残すと、テルミは足早に走っていった。