誰しもが大学のキャンパスの敷地に足を踏み込むと、街とは違った空気を感じるものだ。大勢の学生が知的エネルギーを発散させているせいなのであろうか。その中でも特に、女子美術大学の相模原キャンパスは、画材の匂いや学生が女性だけであることを差し引いても、他の大学とは違った空気が感じられる。大塚好美はその理由を、知性よりも感性エネルギーが勝っているのだと勝手に解釈していた。女子美術大学は、明治33年に設立された「私立女子美術学校」を前身とした、国内でも最も歴史がある私立美術大学だ。当時男子校で女学生の入学を認めていなかった東京美術学校に対峙し創設された。その長い歴史の中で、多くの女性美術家や女性デザイナーを輩出している。それだけに、その歴史的重厚さがまた、キャンパスの空気を特別なものとして際立たせているのかもしれない。
 好美はそんなキャンパスで、間もなく開催される作品展の準備に忙しい毎日を過ごしていた。作品展の準備とはいっても雑用ばかりで、それは好美の性格に起因する。ただでさえ出品する自分の作品を仕上げることに時間を使わなければならないのに、雑用に明け暮れる自分が情けなくもあった。ここに居られる日々も1年を切った。悔いのない毎日をと望んではいても、実際はなかなか思うようにはいかない。
「大塚さん。講義の後は暇でしょ。悪いけど案内看板を作っておいてくれない。」
 実行委員のひとりが好美を捕まえて言った。
「えっ、でも…まだ、自分の作品もまだ出来てなくて…。」
「別に順路とトイレがわかればいいんだからさ。凝らなくていいから。ちゃちゃって作っちゃってよ。良いでしょ。」
「ええ…まあ。」
「予備も入れて30枚ほど頼むわ。」
 実行委員が、好美に雑用を頼むのは、好美が絶対に断れないことがわかっているからだ。はたして今回も好美は、その雑用を断ることができなかった。