彰夫は口に入った砂を吐きだすと、下から睨みあげた。女は彰夫の苛立つ視線を楽しむかのように薄笑いを浮かべ、ゆらゆら揺れながら立っている。荒くアップにまとめた髪元からのぞく左耳に、小さなホクロがあった。不思議なところにホクロがあるな…。彼女を見て最初に思った印象はそれだった。豊満とは言えないまでも形のいい乳房。引き締まったウエストと長い脚。そんな恵まれたボディラインの上に、胸元が大きく開いた派手なブラウスと、目のやり場に困るほどの短いミニスカート。それなりの美形な顔なのに、まったく不必要な厚い化粧を施し、それは自分の恵まれた容姿の魅力をわざと打ち消しているとしか思えなかった。
「ここで何してんの?」
「別に…。夜明けを待っているだけだ。」
 酔いのせいで乱れたイントネーションで喋る女の問いに、彰夫は追い払いたい一心でそっけなく返事を返した。
「地元のひと?」
「ああ…。」
「そう…折角お近づきになったんだから…あんたも飲みな。」
 女は、飲みかけの缶ビールを彰夫に差し出す。彰夫は、差し出された物を一瞥もせず、この申し出を無視した。
「そうか…飲めないなら、飲ましてやるよ。」
 女は、缶ビールを上にかざすと、ビールを彰夫の頭に注いだ。女の奇行に驚いたものの、なすすべもなく彰夫は、滝に打たれる修行僧のごとく、動かずビールの滝を身に受けた。
「ほら、上手いだろ。はは…。」
 女は、空になるまでビールを彰夫の頭に注ぎ続けた。やがて缶が空になると、空き缶を浜の上に投げ捨て、笑いながら元のグループに戻って行く。彰夫は、怒りで震えながらも、自分を押さえようと必死になって目をつぶりじっとしていた。当然受けた仕打ち許せないのだが、いつもと違った朝を迎えられることが少しだけ新鮮だったりもした。

 『江の島ハウジング』の専用駐車場に自転車を置くと、彰夫はオフィスへ急いだ。シャワーでビールの匂いを落とすのに手間取り、いつもの出勤時間より遅れ気味だ。デスクへ腰かけた早々、早速年の離れた姉の信子の説教が始まった。
「彰夫。また遅刻よ。寝坊もいい加減にしなさいよ。毎晩遅くまで起きてるんでしょ。」
「宅建の試験がもうすぐだから、準備してるんだよ。」
「そうよね。2回も落ちて、もうしくじるわけにはいかないわよね。」
 彰夫は返事をしなかった。