私は喉の奥に魚の小骨が刺さったような感覚が消えないまま、一日の授業を受け終えた。


放課後、私はスケッチブックと必要最低限の筆記用具を手に校内を歩き回った後外へ出た。


下校していく自転車の間をすり抜け、教室の窓からは見えない自分のクラスの駐輪場へ行った。


私より7つ後ろの番号が付いたステッカーが貼られた自転車は冬の物だ。


それを探すために来てみたものの、置き去りにされた彼女の上履きと同じ状況にされているのは自分のほうだと分かっただけだった。


珍しく冬が私に興味を示してくれたように見えたのは、私の気のせいだったのだろう。


この後はどうしようかと考えて校舎の二階を見上げたが、どうも美術室に行く気分ではないらしく、私の足は体育館へと向かっていった。


近づくほど独特の音が大きくなっていく。


中から聞こえる様々な声に私は圧倒された。


彼らの足元が見える位置に、体育館には高さ30センチ程の横に動かす窓がある。


そこはガラスが張られているわけではなく、代わりにボールが出ないように柵が張られている。


そこの隙間から、私は彼らの足を見つめていた。


打ち付けられる音や靴と床の間に起こる摩擦音までもが、手に取るように聞こえてくる。


無性に描きたくなってスケッチブックを開いて描こうとした瞬間、やっと気づいた。


描きたいと思った、その足を見るのに夢中になっていた私は、手に持っていた鉛筆が柵を掴んでいた手から転がり落ちていたことに気づかなかったのだ。


床が足音と共に揺らぐ度に鉛筆が僅かに揺れ動く。


転がって行った先で見覚えのある水筒がそれを受け止めた時、聞こえてきていた無数の足音が急に静まった。


今だ、と思い手を伸ばす。


しかし、腕の半分も入れられない程しかない柵の間からでは触れることすら出来ず、代わりに他の手によって持ち上げられた。


「…春?どこ」


呟いた彼に聞こえるように、私は手で床を叩きながら声を上げた。


「ここ!」


手を広げて渡されるのを待っていると、彼は水筒を持って走って行ってしまい、足が見えなくなった。


すぐに体育館入り口から出てきて、彼は水筒と鉛筆を私の手に持たせた。


水筒が朝持ってきた時より重たくなっている。


揺らしながら首を傾げると、それを取り上げて彼は自分で中身を飲んだ。


蓋を開けられたままの状態で突き返された水筒の中から甘い匂いがする。


「何でこんな所にいるんだよ?」


周りに目を配りながら、彼は私のスケッチブックのリングを弄ってくる。


丁度、開いてあるページには中学の頃の彼の手が描かれていた。


その手に触れたあと、私は目の前の彼に手を乗せた。


「描きたくなったの」


それほど大きくないはずの声が、彼の表情を変えていく。


揺れる彼の瞳には、沈み始めた夕日がチカチカと光を放っていた。


「湊が、前より綺麗になったから」


頬に滑らす指先が彼の汗で濡れていく。


染め上げられた彼の頬は、夕日を映している彼の瞳と同じ色をしていた。


私は、吸い込まれるようにお互いに魅入っているように見えた。


同じように近づいてきた彼の指先と私の頬の間に、風に吹かれた髪が入り込む。


目を逸らしたのは彼のほう。


暗くなった空の下で、駐輪場に付いている灯りが私達を照らす。


盗み見ていたのはそれだけではない事に気づくと、湊は耳打ちをした後走って体育館へ戻っていった。


「荷物まとめて来て」


上擦った彼の声が耳にこびり付いてくる。


彼女の声よりずっと、彼の声は私の胸を熱くさせるものだった。