〜春side〜



なんて言えばいいのかわからなかった。


過去形ではなく、今でも。


「湊、だよ」


そう口にしたとき、自分がどんな顔をしていたのかわからない。


気づいていたから、気づかないフリをしていたのに…


冬の視線の先に居るのは、最近はずっと湊だった。


話しかけず、正面から見ようともせず、ただ彼の背中に視線を注いでは目を逸らす。


その繰り返し。


それだけでも、私には耐え難いものだったのだ。


「みなと…かぁ」


冬は嬉しそうに彼の名を口にした。


…あれからまだ1週間。


私にとっての当たり前で特別な時間は変化した。


冬の隣には湊が居るようになったのだ。


冬が湊の隣に行くようになったとは考えたくないけど、実際はそうだ。


彼は女の子と話すことは苦手で、私と話すだけで精一杯なはずなのだから。


それでも冬と話すのは慣れたようで、二人の距離は歩きながら時々手が触れるくらいになっていた。


そんな二人の後ろ姿を見ながら歩くのが、今の私の当たり前。


周りから聞こえてくる噂話を聞こえないフリをするのも、私の今の習慣となっていた。


耳を塞いでいたい…。


私がどんなに彼女の近くに行こうとも、こんな噂は流れない。


ただ、男か女かというだけで何が違うのか。


下心が暴かれずに済むから特をしたと思っていたけれど、なにも特なんてしていない。


彼との差を見つめることしかできない自分が情けない。


後ろを付いて歩いているのが嫌になり、そっと足を止めてみた。


「どうしたの?」


その声を待って。


冬ならきっと、気づいてくれると期待して。


けれど、二人は私が足を止めたことにも気づかずに廊下を進んでいく。


一歩、また一歩と。


「返して…」


静かに零れた涙を拭う手は自分の手。


この声が届くことはないのだろう。


こうして離れて見るとよくわかる。


思い知らされる。


距離も、視線も、私に向けるものとは違う。


返すも何も、あそこには彼しかいない。


そこは彼の場所であって、私がいた場所ではない。


気づかなかった自分の馬鹿さ加減に笑えてくる。


彼女の中にあった私の居場所は、もう消えてなくなっているのだ。


それを知っても尚求め続けるのだから、私は本当に馬鹿だ。