入っていった時と同じように、春が小走りで戻ってきた。
何度か視線を泳がせた後、少し息を整えてから春が口を開いた。
「作品を提出できるならどこでもいいって」
口元に腕を近づけて隠された春の顔は少し赤くなっていた。
「二階の自習室行こう。…たぶん、誰もいないから」
春の返事を聞く前に、私は一人先に階段へと足を進めた。
春の足音は私の足音とは交じることがなく、不規則に動きながら私についてきていた。
教室に入る前から気づいていた。
足音からも、ドアを閉める時の春の背中からも、こちらにまで伝わってくる。
緊張感なんて、私達の間に持つことではないと思うのだけれど。
「なに、意識してるの?」
含み笑いを浮かべながら春の背中に問うと、春がゆっくりと身体をこちらへ向けた。
「…してるよ」
私を見つめる彼女の頬は薄紅色に染まっていた。
瞳は不機嫌そうに私を軽く睨んできている。
春の表情には一つとして同じ表情がない気がする。
喜怒哀楽が表に出にくい私と違って、春は全てが顔に出ている。
わかりやすい彼女が面白くてとても好き。
そんなことを言ったら、彼女は益々不機嫌になるだろうけど。
「空気が悪い。窓、開けるね」
部屋の空気と私達の間に流れる空気を変えるために窓を開けた。
階段を降りている時から思っていたけど、開けると更にハッキリわかった。
地面に近づいた分、外の声が大きく聞こえてくる。
煩いとは思わない。
窓の外と私が違いすぎて外の状況が遠く感じる。
外へ唯一繋がる部分に座り半身を外気に晒す。
馴染めない空気感に返って落ち着いた。
教室の中はとても静かだ。
春が2メートル程離れた場所に椅子を持って来た。
それに気づいて声を掛けようと口を開いた瞬間、私は鳥肌が立った。
春が、私の胸元ら辺に視線を当てていた。
腕、足、首筋、全てを彼女が射るように見つめてきている。
私は顔を外に向けて、そのまま体の動きを出来るだけ止めた。
自然と呼吸をするのも忘れてしまった。
モデルになる、作品になる感覚を生まれて初めて体感しているんだ…。
想像とはまるで違う。
外を見ていてよかった。
今の春を直視してずっと止まっているなんて、私にはできない。
きっと走りだして逃げてしまう。
横目で見返すのさえ何故か怖い。
身体に穴が開くのではないかと思うくらい、舐めるように彼女の視線が私の身体を這っていっているのを感じる。
世界が止まって見える。
時間の流れがわからなくなる。
その分、風や音に全身が敏感になっていることに気づいた。
それは、外の世界が近く瞳に映った瞬間でもあった。
目を当てる全てのものの見え方が違いすぎて、浮遊感と違和感を激しく覚えた。
一度瞬きをしてもう一度校庭に目を当てる。
すると、視線が一人の男子に自然と引かれていった。
(あの人、確か…)
2週間ほど前から何度か見ている。
どこで?
そう考えて見てみると、彼の視線で思い出した。
図書室から見たのだ。
春と、あの人を。
一度目から何度か、必ず春の1メートル程離れた妙な距離を保ちながら登下校していく二人を見ているのだ。
バスケ部のユニフォームが風で揺れる。
同時に正面から受けた風に煽られて身体を揺らした私に、ようやく彼が気づいた。
目を合わせたのは一秒にも満たない時間に思えた。
それでも、彼の印象は最悪だった。

