ブルースは、達也が大学に入った年に家にやってきたゴールデン・レトリバーである。親戚が飼っている犬に子犬が生まれ、手に余って母に泣きつき、仕方なく1匹引き取ったのだ。兄とふたり兄弟の達也だったが、苦手の父親に信頼の厚い兄とはどうも馴染めずにいた彼にとって、いつしかブルースはかけがえのない兄弟となった。最初は弟だったはずのブルースだが、成長するといつの間にか達也の兄になっていた。勉強の合間にフリスビーを投げ合い、愚痴を聞いてもらい、時には喧嘩もした。父親は、ブルースを決して家に上げることを許さなかったので、達也はブルースと庭で夜を明かしたこともある。ブルースが家に来てからはや11年が経ち、彼もだいぶ高齢になった。庭ではしゃぎまわることよりも、達也のそばでじっと日向ぼっこをしている方を好むようになっていた。しかし、達也が父親の病院に勤務するようになった最近では、忙しくてなかなかブルースと過ごす時間を持てなくなっていたのだ。
 達也がリードを手に散歩を持ちかけると、ブルースがのっそりと起きだしてきた。睡眠を妨げられ迷惑そうな顔ながら、本音は嬉しいのか達也にすり寄ってくる。
 ふたりは、暖かい朝日を浴びながら、久しぶりの散歩を楽しんだ。やがてブルースも、ほど良い運動で身体が覚醒してきたようだ。人通りのないいつもの空き地に着いて、達也は愛犬の首からリードを外す。
「あまり遠くへ行くなよ。」
 そう注意をしたものの、ブルースは暖かい日差しに誘われて出てきた蝶々とはしゃぐのに忙しく、その耳には届かなかったようだ。案の定、ブルースは楽しげに舞う蝶々に、空地から車道へと誘われて、快適に飛ばしてきたバイクの目の前に飛び出した。
「ブルース!」
 リードを離してしまってなす術もなく、ただ叫び声を上げる達也。しかし彼は、路上で信じられないパフォーマンスを目撃した。
 向ってきたバイクはカワサキKLE500である。ブルースを避けきれないと判断したライダーは、前輪に急制動をかけて前輪サスを深々と沈めると、今度は一気にブレーキを解放。その反動と同時にアクセルを開いた後輪のキックを利用して、車体を空中に跳ね上げた。そのまま後輪を左へスライドさせて空中で車体を横向きに倒すと、ハンドルを左に切って空中姿勢を保つ。そして見事に、バイクに驚いて身を硬くしていたブルースの頭上を越えていったのだ。